ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

幻の梨「稲城」を買う小規模な冒険

大阪の実家を出てから梨をほとんど食べなくなってしまった。高校生のころまでは、わたしは自分のことを梨大好きマンだと思っていたのだが、ふりかえってみると、皮を剥かれて八等分されて楊枝が添えられた梨が秋の始まりとともに食後に自動的に出てくるのが好きなのであって、単に王様のように振る舞いたかったというだけではないか。自分の稼いだお金で梨を買い、皮を剥いて八等分して楊枝を添えてまで梨が食べたいとは思わず、ごく稀に人から梨をもらったときだけ皮をピーラーで剥いてそのままかじりついて、梨もいいよねと思うのは、「梨大好き」とはいえないので、上京して早々に梨大好きマンの看板を下ろしたのだった。

 

そのままわたしは数年に1回、人に与えられた梨のみで暮らし続けるのかと思っていたのだが、先日よみうりランドの近くに梨の園―「梨園」と書くと別の意味になるかもと思ってこう書くのだが、むしろ別の意味の方が後なのだから、別の意味の方が遠慮して「梨の園」というべきではないのかと思わなくもないが―があって、ひっそりと生育している梨を見て、食べたいという気持ちが芽生えてきた。

 

しかし「稲城 梨 販売」で検索してみると、予約販売のページにたどりつき、今年は6月の異常な高温により梨の生育がよくないので予約を締め切らせていただきますという記述があって自分の認識の甘さを思い知った。そして、「稲城」という品種の梨があることも知った。わたしの認識では、二十世紀などのブランドを栽培していると思っていたが、稲城では梨を300年前から栽培していたらしく、当然ながら品種改良が重ねられて、稲城ならではの味がするに違いない。市場には出回らず、「幻の梨」と呼ばれているらしい。どの程度の幻なのは不明だが、「幻の手羽先」を食べたとき、幻と言いたくなる気持ちはわかると思ったので、わたしの幻の感度は非常に鋭敏であり、幻の梨もぜひ食べてみたい。食べたくなる情報と容易に食べられないという情報を同時に得て引き裂かれてしまったのだった。

 

当初は、散歩がてらにふと梨販売所を見かけて、もう秋だねぇ、いくつか買っていくかなと思って買うようなイメージだったが、少なくとも、家を出るときに「今日は梨を買うのです」という決意をもっていなければ梨にありつけないと悟って、作戦実行の日を9月3日(土)と定めた。「稲城」が売られるタイミングは9月上旬までなのでギリギリである。


事前に地図で稲城近辺を「梨 販売所」で調べてみたのだが、営業時間が不明瞭だったり、店先の写真でシャッターが下ろされていたりしてよくわからなかった。


ほかにインターネットで見つけた情報を総合すると

 

・車で買いに来る人が多い
・午前中に売り切れることが多い
・大きな通り沿いの店→奥まったところの店の順に売り切れる

 

で、具体的にどのお店で売られているのかなどの詳細は行ってみないとわからないと思って、ひとまず稲城駅に向かった。

 

稲城駅を降りたのは13時すぎ。午前中に行ければよかったのだが、詰め物が取れて歯医者に行ったらついでに歯石を取りましょうと言われて取ってもらっていたらいい時間になってしまった。

いつもの稲城駅の風景で、梨シーズンならではの看板や幟などはない。この風景から梨が結びつかない。なお、後述する稲城長沼駅はなかなかの梨感である。

 

駅を降りてから東に進んだところが最も販売所が多いようだったが、行ってみて成果が得られなかった場合、住宅街しかなく、そのまま虚しく来た道を戻るほかない。販売所がありそうで、かつ、梨が買えなかった場合も楽しい散歩をしたことになりそうな、稲城長沼駅~多摩川まで歩いて、そのルート上の梨販売所で買うというのがバランスがよいと思ったのだった。

 

稲城駅を出て稲城長沼駅方面に少し歩くと、稲城商店街にさしかかる。

風でよく見えなかったりぐるぐる巻きになっていたりもするが、梨のキャラクターと「ペアリーロード」とあるので、梨販売所が並んでいるはず……と思ったのだが、見当たらないし、そもそも商店も少なめである。

 

不安になっていると明治・大正・昭和の忠魂碑が並ぶ公園があった。

公園といっても忠魂碑で面積を使いきっている。

 

稲城長沼駅にかなり近づいたところで梨の園を発見。

順調に生育しているようだが、販売所は閉まっていて、川村あや先生の連絡所を兼ねている風味だった。
梨販売所と政治家の連絡所の関係について、わたしはよく把握していないのだが、以前、多摩ニュータウン通り沿いにあった梨販売所が、いつの間にか政治家の事務所に変わっていた。廃業した梨の販売所は政治家の事務所として利用されがちだと思っていたのだが、廃業していなくても、梨のシーズン以外に使い道がないので政治家の連絡所として使われているという仮説が生まれた。


そして稲城長沼駅が見えてきた。ここまで収穫ゼロである。

駅のデザインは梨と関係あるような、ないようなデザインである。砂漠の中でこの駅が見えたら「梨……」と思うかもしれない。

 

そして有名なスコープドッグ。

わたしの中で『装甲騎兵ボトムズ』と『太陽の牙 ダグラム』の記憶が混じりあっていて、「地味だけど面白いロボットアニメ」という印象である。

 

そしてガンダムとザクもいる。

 

しかし、今回はなんといっても梨のキャラクターに注目してしまう。

小学生のころ、大興奮してガンダムを見ていたときに、いきなり梨のキャラクターが登場したら激怒したと思うのだが、今となっては「えーい、もっと梨を映せ!」と思う。
稲城長沼駅を降りるとこの人化した梨が迎えてくれるのだが、稲城駅ではここまで手厚くはしてくれなかった。

 

そして、稲城市観光協会が運営している「いなぎ発信基地 ペアテラス」で、梨を扱っているといういいニュースと、今日はもう買えないという悪いニュースを同時に得、またしても引き裂かれた。

 

この町では消防団のシャッターまで梨だというのに、わたしは梨を手にしていない。

それはともかく、火を消してくれそうなキャラクターなのは素晴らしいよね……。

 

今日はもう買えないかも……でもまあ多摩川でも見たら気分がスッキリするだろうと思って多摩川方面に向かったのだが、ものの数分もしないうちに、梨の販売所を発見した。まだ売っている風味だったので3個入りのをお願いしたら600円だった。1個600円ではなくて3個で600円……なぜかと尋ねると、ちょっと小さいからということだった。主観的にはじゅうぶんな大きさだった。

 

少なくともこれで手ぶらで帰ることはなくなったが、せっかく多摩川の近くまで来たので、多摩川を見ながら梨を食べたい……と思って歩いていたら、梨販売所が次々と姿を表した。

ここは無人販売をしているようだが、すでになし……絵が可愛い。

 

ここも丁重に梨がなしであることをお知らせ。

 

やはりこういうところから取水しているのかしら。東京じゃないみたいでいいね……。

 

「いちょう並木通り」なる、大きめの通りに出たらさらに状況は好転した。意味ありげに路上駐車されているところがある。もしかして……と思ったら、まだ売っていた。いちばん高いと思われる3個で1500円のパックが残り3つで、迷わず購入。

慌てて店に入って買ったので、店を出てから写真を撮ったのだが、押ナントカ園……読めない。Golgle Map上では「押園」と書いてあって、読めない字は飛ばすのがいちばんよね……と思ったが、ラベルを見たら「ヤマキ園」とあった。つまり「押ナントカ園」は「押ヤマキ園」だったのだが、今度は「押」がわからず、検索してみたら「矢ヤマキ園」も出てきて、謎が解けた気がした。「押ヤマキ園」は、「稲城市押立のヤマキ園」で、「矢ヤマキ園」は、「稲城市矢野口のヤマキ園」で、ヤマキ園同士で区別をつけているのだろう。そして、どちらも発音上では「ヤマキエン」であり、つまりこの文脈において「押」「矢」は、knifeやknightやknitやknockにおける「k」と同じ、サイレントなのかもしれないしそうでもないのかもしれない。

 

お店の名前に拘泥してしまったが、梨の旅は、多摩川沿いのどこかで座って多摩川を見ながら梨をいただくだけば終わりである。

合計梨6個をリュックに詰めて多摩川沿いに来てみたのだが、ただ草がぼうぼうに生えているだけで、川を見ながら食べている感じにはなりそうもなかった。

多摩川の向こうに変電所が見えた。nuclearは全然関係ないはずなのにすごいnuclear感……。

 

シーズンオフにつき閉鎖中のプールの前のベンチに座ることにした。とくに風景がよいというわけではない。

 

こちらが本日の収穫。

薄い本などだと「本日の収穫」と言いやすいが、作物だと、言葉本来の意味の「収穫」がちらついて、「収穫したわけではなくて単に買っただけだろうが……」ともう一人の自分が言ってくる。

最初に買った3個600円(左)は、お店の人の言うほど小さくはなかった。ひとまずこちらを食べてみようと思って、ベンチでいただいたが、甘くてジューシーだった。手がベトベトになるのは想定していたが、ズボンも濡れた。梨の中心に迫るにつれて甘くなくなってきたのだが、3個600円という価格を考えれば破格の味である。来年も普段遣いの梨として入手しておきたいと思う。

 

帰宅して、急いで冷やして、3個1500円のオフィシャル感のある方もいただいたのだが、これは徹頭徹尾甘くてジューシーで、価格の差について理解した。


「稲城 梨 特徴」で検索してもジューシーである旨の記述くらいしかないが、誰もが先日凶弾に倒れた元総理大臣と同じ感想を抱くということであり、わたしもそうだった。ほかの梨で感じられるささやかな酸味も皆無で、ただひたすらにジューシーなのである。


わたしは彼がこの世を去ったあと、彼のジューシー発言集を見ながら、殺めることなんてなかったけれども、それはそれとしてジューシー以外に言い方はあるんじゃないのと思っていたのだが、ジューシーな果物を口にしたら、人は「ジューシー」としか言えないのだ。彼に供された果物は常に一級のものばかりだから「ジューシー」としか言えないようなものばかりに違いなく、少なくとも彼のジューシー発言に限っては正当なものであったと実感したのだった。これからもジューシーなフルーツに出会っていきたいし、来年は少なくとも2回は「稲城」を味わいたい。

 

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