光市の死刑判決について

てか、最高裁が実質「死刑にしろ」といってたんだから、それに従わないと、高裁の裁判官は左遷されちゃうわけ。よって、死刑判決なんだろう、と思ってました。なんだかんだいって、それが現実。

 脊髄反射しかできない輩はおいといて、それなりのリテラシーをもっている人の多くは、こんな感想をもったかもしれない。僕も通常なら、こんな態度をとった…だろう。そして一年後には完璧に忘れる。しかし、残念なことに(?)去年の六月に安田好弘弁護士はなんでこんなにフルボッコなんだろうを書いてから、菊地成孔と15000字のやりとりをしたり、弁護団の会見に足を運んでみたり、ということで 相当思い入れのある事件だったため、上記のような反応はできなかった。

山口県光市の母子殺害事件差し戻し控訴審で、元少年を死刑とした二十二日の広島高裁判決は、被害者感情を重視した厳罰化の流れを加速するものだ。

 「永山基準」以降、犯行時十八歳一カ月は最年少で、未成年による二人殺害で死刑が確定した例はない。極刑適用のハードルを引き下げる判断で、来年五月以降に始まる裁判員裁判に与える影響は小さくない。
 一九八三年に最高裁は、「やむを得ない場合には死刑の選択も許される」として「永山基準」九項目を列挙。根底にあったのは「原則は無期懲役、死刑は例外」の考えだった。一、二審判決はこれに沿う形で(1)計画性が乏しい(2)年齢が低い(3)目立った非行歴がない−を並べて死刑を回避した。

 しかし最高裁は、これらは「回避の十分な理由にならない」と審理のやり直しを求めた。遺族らの処罰感情を重くみる判決が各地で相次いだ流れをくんだとみられるが、従来の枠を超えて「死刑を例外とはしない」との意思がのぞいた。

 この意思が示された時点で、差し戻し審の結論は予測できた。弁護側が上告しても維持される可能性が極めて高い。
 今後、十八歳以上の少年犯罪にも極刑で臨むケースが増えるだろう。ただ、最も重い刑罰の適用に慎重さが求められるのは変わらない。 (共同・徳永太郎)

 この事件に関して、遺族が積極的に動いて量刑が変わった・永山基準の枠を超え、厳罰化へ・死刑制度について等、論点がいくつも有ることは確かだ。さっきこの動画をみた。

YouTube - 朝日新聞記者 犯罪被害者を逆撫でするような不適切な質問

文字におこすと

朝日記者:
死刑に対するハードルが下がることについてはどう思いますか?

本村さん:
 そもそも死刑に対するハードルという考え方がおかしい。日本の法律は一人でも殺めたら死刑に課すことができます。それ(永山基準)は法律ではない、勝手に司法の作った慣例です。今回の裁判所の判断で最も尊ぶべきことは、過去の判例に捕らわれず、個別の事案をきちっと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。

 今までの裁判であれば、ご質問にあったように「18歳と30日、死者が二名、無期で決まり」それに併せて判決文を書いていくことは当たり前だったと思います。そこを今回乗り越えた事が、非常に重要でありますし、裁判員制度を前にですねこういった画期的な判決がでることは意義があることだと思いますし、もっと言えば過去の判例に囚われず、それぞれ個別の事案を審査して、その世情にあった判決を出すという風土が日本の司法に生まれることを、僕は切望します。

詳しいわけではないが、被害者遺族が軽んじられてきた背景を察するに、本村さんの言葉は重い。

 けれども、そういった論点以上に、僕が最も関心があったことは「事件の事実」についてだった。そして、今回の判決で、弁護団の主張はほぼ全否定されてしまった。

山口県光市の母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われた元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、無期懲役とした一審・山口地裁判決を破棄し、死刑の判決を言い渡した。楢崎康英裁判長は「強姦と殺人の強固な意思のもとに何ら落ち度のない母子の生命と尊厳を踏みにじった犯行は、冷酷残虐で非人間的と言うほかない」と述べた。さらに「虚偽の弁解を展開して罪と向き合うことを放棄し、遺族を愚弄(ぐろう)する態度は反省とはほど遠く、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」と判断。一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。元少年側は上告した。

楢崎裁判長は主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。まず、新弁護団がついた上告審の途中から、元少年側が殺意や強姦目的の否認を始めた経緯を検討。「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」と述べ、「死刑を免れることを意図して虚偽の弁解を弄(ろう)しているというほかない」と新供述の信用性を否定した。

 そのうえで、元少年側が「被害女性の首を両手で絞めて殺害した」との認定は遺体の鑑定と矛盾し、実際は右手の逆手で押さえつけて過って死亡させたものだとした主張を退け、「そのように首を絞めた場合、窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」と判断。「殺意に基づいて両手で絞めたのは明白」とする検察側の主張を認めた。

 また、被害女性に母を重ねて抱きついたとする元少年側の「母胎回帰ストーリー」を「被害女性を殺害して姦淫(かんいん)した犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。 「姦淫することで生き返らせようとした」との主張も「荒唐無稽(こうとうむけい)な発想」と一蹴(いっしゅう)し、「性欲を満たすため犯行に及んだと推認するのが合理的だ」と述べた。被害女児の首にひもを巻いて窒息死させたとの認定にも誤りはないとした。

 さらに、元少年の成育歴が犯行に結びついたかどうかについて「幼少期からの父親の暴力や母親の自殺などの成育環境が人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面もあるが、死刑の選択を回避するに足る事情とまではいえない」と指摘。一方で、元少年側が差し戻し控訴審で「虚偽の弁解」を展開したことについて「更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」と結論づけた。

 この判決には何より驚いた。こりずに光市の件でまとめたが、検察・一審裁判・弁護団の各主張をみるに、僕は「弁護団の言い分がもっとも事実に近いだろう」と思っていたからだ。勿論神様ではないから、何が「真実」だったのか、なんて正確にはわからない。先日の記者会見で本村さんはこう言っていた。

以下は4月19日の被害者遺族の男性の会見から一部を抜粋(文責は綿井にある)。

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Q:判決が死刑、無期で大きな違いがあると思うが。それぞれの意味合いは?

22日の判決は死刑であろうとも、無期であろうとも、いずれも重い判決だと思っている。たとえば司法の観点から言えば、最高裁で無期が破棄されたものがまたもし無期判決であれば、司法に対する不信が募ると思います。遺族からすれば、人を二人殺めて、4回目の裁判になって、なぜこれほど揺らぐのか。当事者としても司法に対する不信が募る。そうした意味では無期にしても裁判官は相当悩むだろう。一方で死刑判決が出れば、日本は判例主義であるから、今後この判決によって死刑判決が増える可能性がある。どちらの判決が出ても、司法にとっては大きく意味を持つ判決。私もよく考えてその判決を消化しなければならないと思っている。

Q:弁護側の弁論内容についての感想は?

集中審理の後で述べましたが、やはり私は荒唐無稽なものと思っている。理路整然としていない点が多々あると思っている。そうした点では信じがたいと思っている。いまなお私の感想である。もし最終弁論で弁護側が述べた内容が事実であれば、私は驚きであるし、もし事実でないとすれば、なぜそうしたものが出てきたのか非常に関心がある。それは被告自身が述べたことなのか、それとも弁護士の方々と相談して述べたことなのかということは未来永劫わかりませんが、私が死ぬまで疑問が残ることになると思っている。

Q:被告はこの法廷で話したが、この公判では真実が明らかにならなかったという思いはあるか?

いやそうではなくて、広島高裁で22日に判決が下されますが、そのときに裁判所は弁護側と検察側の一つ一つ細かな検証をされて、一つ一つ判示すると思います。それを私は真実だと思って生きていくと思います。もしそこに弁護側が主張していることとかけ離れていたら、そこに憤りを感じるかもしれない。

Q:もし無期判決でも、それが真実であると受け止めるか?

それしか私には術はないと思うので、そうせざるを得ないと思います。

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ちなみに綿井さん自身の意見はこれ

弁護側の最終弁論は私も読んだ。

あまりこういった言い方はしたくないが、だが私もこれまで一年間この事件の裁判の取材をしてきた者として、何らかのリスクは背負わなければならない。

もし被害者遺族の男性の言うように、弁護側の主張が「荒唐無稽」であると裁判所が同じように認定した場合、なおかつ検察側の最終弁論で述べられている「当審における審理の結果によっても、被告人につき死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情は、これを一切見出すことができない」と裁判所が同じように判断した場合は、私はこれまでの取材などで書いたこと、発表してきたことなどの責任を取って、すべてのジャーナリスト活動から身を引くことにした。

僕もそれぐらいのことを背負う覚悟はある。

しかし、どんな判決が出されるかは本当にわからない。(略)

※今回の判決で「綿井健陽、ジャーナリスト引退!」が事実となれば、本筋とはそれるが、それはもう弩級の衝撃である。ちょっと、マジで勘弁してください。

 僕の考えも綿井さんに近かった。激しい逆風の中、弁護団の活動が真摯に行われていたこと、それに対し最近ようやくBPOがまともな意見をくれ、朝日新聞が社説で取り上げて(裁判番組―放送局は知識と冷静さを)…といった流れもあって、実は昨日、冒頭ような会話をローの友人とした時に「あれだけ法医学と矛盾があるのだから、一審のような判決になることはないんじゃない。(自信はないけど)」なんて言ったりしたのだけど、、現実は…


 詳細に検証した結果 → 弁護団の主張は荒唐無稽。情状酌量の余地なし。 死刑。以上。


のように思ってる人は、本当に少数派なんだろうな…。


※追記
なんでこんなアクセスあるんだ。
4/23 光市事件の続きを書きました。