木走日記

場末の時事評論

学校長は「自分のために」やったのではないのか?〜どうして校長の責任を日本のメディアはもっと厳しく追及しないのか

●履修漏れ生徒8万3743人、全高校の1割・540校

 全国の高校の1割で必修逃れがあることが明らかになりました。

履修漏れ生徒8万3743人、全高校の1割・540校

 伊吹文科相は1日の衆院教育基本法特別委で、必修逃れの高校が全国で540校で、国公私立すべての高校計5408校のうちの約1割を占めることを明らかにした。

 履修漏れの生徒は8万3743人にのぼっている。必修逃れの公立高は314校で、全公立校の約8%だったのに対し、私立高は226校で約17%を占め、必修逃れの割合は、私立高の方が高くなっている。

(2006年11月1日13時49分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061101ic02.htm

 履修漏れ生徒8万3743人とはあきれる数字でありますが、政府は補習70回とリポートという履修漏れ科目の補習時間を軽減する救済策を急遽決定いたしました。

補習70回とリポート、裁量で50回程度 必修漏れ救済
2006年11月01日22時25分

 高校必修科目の履修漏れ問題で、政府・与党は1日、履修漏れ科目の補習時間を軽減する救済策で基本的に合意した。(1)未履修が2単位分(70コマ)を超える場合は、補習で70コマ履修した上でリポート提出などで補う(2)未履修が2単位の生徒は補習70コマが基本だが、校長の裁量で3分の2(50コマ程度)に軽減できる――などが柱。文部科学省は2日中に都道府県教委などを通じ各校に通知する。
(後略)
http://www.asahi.com/special/061027/TKY200611010423.html

 ・・・

 なんとも場当たり的な救済策であるという印象は否めませんが、履修漏れになっている生徒達自身には罪はないのもその通りであり、受験まで時間もない中でやむをえないのでありましょう。

 しかしこの問題、かわいそうだと情緒に流され、法律をなし崩しにするのも、多くの問題があるわけで、9割のまじめに履修してきた学校・生徒達との平等性の問題や、一方で、生徒の規範意識をどう高めていくかという議論もあるわけです。

 救済策にはさまざまな意見がありましょう、法的な筋を通し、公平で温情あるものでなければいけないでしょう。



●これを契機として指導要領の抜本的な見直しを主張するメディア各紙

 主要各紙社説でも事態が表面化した26日以降この問題を一斉に取り上げています。

【10月27日付朝日社説】必修漏れ 生徒にしわ寄せするな
http://www.asahi.com/paper/editorial20061027.html
【10月27日付読売社説】[高校「必修」逃れ]「受験偏重が招いたルール無視」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061026ig90.htm
【10月26日付毎日社説】架空履修 全国の実態を明らかにせよ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/archive/news/2006/10/20061026ddm005070115000c.html
【10月27日付産経社説】履修逃れ 公教育は受験だけでない
http://www.sankei.co.jp/news/061027/edi000.htm
【10月27日付日経社説】履修漏れで問われる指導要領(10/27)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061026MS3M2600726102006.html

 各紙社説の結語は、ほぼ同様にこれを契機として指導要領の抜本的な見直しを求めています。

【10月27日付朝日社説】必修漏れ 生徒にしわ寄せするな

 大学は入試の科目と問題を指導要領に沿ったものにする。指導要領は共通に学ぶべき内容を厳選する。公立校に週5日制を義務づけている法令もゆるやかにする。そんなことを考えた方がいい。

 今回の騒ぎを高校教育と大学入試との関係を考え直す契機にしたい。

【10月27日付読売社説】[高校「必修」逃れ]「受験偏重が招いたルール無視」

 現在、文科省は学習指導要領の改定作業を進めている。「国際化の進展」を重視して「世界史」が必修とされたのは1989年だ。最近は「自国の歴史・文化の理解がまず重要だ」と、日本史の必修化を求める声が高まっている。

 どちらを必修科目とするかを学校ごとの選択に任せるべきだ、という意見もある。幅広い見直し論議が必要だ。

【10月26日付毎日社説】架空履修 全国の実態を明らかにせよ

 今回の問題で学校側は「生徒が望んだ」というが、そんな言い訳は通らない。生徒や親が誤ったとするなら、それを教え諭すのが教師だ。事を軽視し、イージーな選択でルールを曲げ、揚げ句は多くの生徒たちの卒業資格を危うくした学校側の責任は小さくない。

 その一点をもってもこの問題は深刻に受け止めるべきで、転じて実りある改革の礎としたい。

【10月27日付産経社説】履修逃れ 公教育は受験だけでない

 社会科は地理歴史と公民に分かれ、地理歴史は世界史が必修科目で、日本史と地理はどちらか1科目を取ればよい選択必修科目になっている。高校の世界史を必修とすることは、平成元年に策定された旧指導要領に盛り込まれた。旧指導要領は、個性と国際化を重視した中曽根内閣の臨時教育審議会の答申を色濃く反映していた。

 「日本の歴史を知らずに、国際社会で通用するのか」という指摘もある。必修科目のあり方も含め、指導要領の抜本的な見直しが必要である。

【10月27日付日経社説】履修漏れで問われる指導要領(10/27)

 履修漏れ問題はさらに広がる様相をみせているが、やみくもに学校たたきに走るばかりでは事態の本質を見えにくくする恐れがある。加えて、文科省がこうした状況を踏まえて学習指導要領などによる拘束を強めようとするなら、学校現場を萎縮させることにもなりかねない。ここは冷静な対応が必要である。

 特に読売と毎日は本日(2日)付けの社説でもこの問題を取り上げている熱の入れようです。

【11月02日付読売社説】[必修逃れ救済]「“騒動”で見えた高校教育の課題」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061101ig90.htm
【11月02日付毎日社説】履修不足救済 大学入試を大胆に見直せ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061102k0000m070148000c.html

 両紙の社説とも大学入試制度そのものを見直せと主張しています。

 それぞれの結語から。

【11月02日付読売社説】[必修逃れ救済]「“騒動”で見えた高校教育の課題」

 学習指導要領をどう見直すか。受験偏重の今の高校教育をどう改善するか。行政と現場に突きつけられた課題だ。

 「大学入試が高校以下の教育内容を決めている」。そう言われるほど、「受験」をゴールとした教育の道筋が敷かれてしまっている。

 そこに生じた「ひずみ」の一つが、今回の必修逃れだったと言えよう。

 大学入試制度を見直すための、腰を据えた論議も必要だ。

【11月02日付毎日社説】履修不足救済 大学入試を大胆に見直せ

 かねて大学の多くは、じっくり手間をかけて入学者を選抜する伝統もノウハウもとぼしい。入試担当になると「研究時間がなくなる」と不満を言う教官もいる。自前の問題作りさえできず、予備校に発注した大学もある。だが、それぞれの大学に教育理念があるならば、それにふさわしい力や適性、意欲を持った若者たちを深く幅広い方法で見抜くことこそが、大学の土台であるはずだ。

 現実にそんなことをしていては受験生が敬遠するという意見もあるだろう。しかし、効率よく、たくさんの受験生が受けやすく、という仕掛けの結果が今露呈した大量履修不足ではないか。政府は学校への監視強化をいうが、それは解決にならない。問題の根にある大学入試改革に本腰を入れてこそ責任を果たすといえる。

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 「生徒にしわ寄せするな」(【10月27日付朝日社説】)というのも正論でありましょうし、「やみくもに学校たたきに走るばかりでは事態の本質を見えにくくする恐れがある」(【10月27日付日経社説】)のも一理あるでしょう。

 「必修科目のあり方も含め、指導要領の抜本的な見直しが必要である」(【10月27日付産経社説】)のは異論ありません。

 「受験偏重の今の高校教育をどう改善するか。行政と現場に突きつけられた課題」(【11月02日付読売社説】)との認識も共有するものであります。

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●学校長は「自分のために」やったのではないのか?〜どうして校長の責任を日本のメディアはもっと厳しく追及しないのか。

 しかしです。

 この深刻な問題、責任の所在を明らかにするためには、日本のマスメディアの取り上げ方は少し甘すぎませんでしょうか。

 どうして現場責任者である校長の責任を日本のメディアはもっと厳しく追及しないのでしょうか。

 教育現場でルール無視がなかば公然と行われてきた、この看過できない卑劣な社会問題を「生徒の受験対策のためだった」という校長たちの釈明を鵜呑みにして済ますわけにはいかないでしょう。

 「生徒の受験対策のためだった」だけでなく、自分の出世や保身のために難関大学への合格実績を高めたいという汚い思惑があったのではないのでしょうか。

 高校側は必修漏れを隠すために、教育委員会に虚偽の報告をしたり、指導要録に手を加えたりしていたわけですが、このようなひどいルール破りは、現場責任者である校長の裁量・権限がなければとてもできるものではありません。

 学習指導要領が学校長の現場判断で無視された格好ですが、一部の学校は、取得単位を記録する「生徒指導要録」には正規に履修したように記載していたことも認めているわけです。

 これが事実ならば公文書偽造でありりっぱな犯罪行為なのです。

 組織論としても現場最高裁量権限者である学校長の責任はもっと厳しく追及されるべきです。

 もちろん、学校長だけでなく、教育委員会、文部科学省の監督責任もはっきりさせなければならないでしょう。

 また必修科目のあり方も含め、指導要領の抜本的な見直しが必要なのも事実でしょう。
 しかし、公文書偽造というりっぱな犯罪行為を犯している学校長の責任をメディアはもっと厳しく追及すべきであります。

 自己保身と自己評価を高めるためだけの犯罪行為を、校長達の「生徒の受験対策のためだった」などという戯れ言釈明でごまかされてはいけません。

 公文書偽造という犯罪行為にまで及んだ校長の責任を追求せずして、生徒の規範意識うんぬんを心配しても始まりません。


(木走まさみず)