自分の考えたアイデアを内緒にしたがるひと

企画をするという仕事はどういうものなのかについて書いてみる。


よく企画屋と自称するひとがいるが、ぼくは企画屋という職種は存在しないと思っている。
パワーポイント屋ならよくいる。パワーポイントできれいな資料をつくってくれるひとだ。
とても便利な存在であり必要な存在だ。


まあ、企画をやっていますというひとのほとんどはパワーポイント屋であるといってもいいと思う。ところが、それを自覚していないひとが意外と多い。なにか自分の仕事をすごくクリエイティブなものだと思っている。気の利いた素敵な特別なアイデアをひらめかせることを仕事だと思っているひとが多い。そして、そのひらめきを才能とか能力の賜物と勘違いしていて一生懸命磨こうとしている。実際はそんなの無駄でひらめきというのは訓練で手に入る汎用の能力ではなく、豊富な経験と知識の結果としてあらわれてくるものだ。だから、アイデアだすのに頭ひねるよりも先に勉強しろよ、ということだ。


さて、勉強したとしよう。でてくるアイデアというのは、算数でいえば計算結果にすぎない。


5X7=35  という計算式に例えると、


(a) 経験と知識 → 5とXと7という記号を知っていて、計算式を理解できること
(b) ひらめき → 一桁の数字2つをかけざんする計算能力
(c) でてくるアイデア → 35


にそれぞれ相当する。このなかでもっとも価値が低いのは(b)で、企画に必要とされるロジックなんでだれでも理解できるようなものしかないから、人によってほとんど差はつかない。(c)も(a)から簡単な(b)をつかって導き出されるだけだから、結局のところ、(a)のぶぶんがどれだけのパターンに対応できるかということが、一番重要ということになる。


ところが現実的には、ひらめきをロジックではなく乱数かなんかと勘違いしている企画者が多くて、計算式から連想しただけのほとんどランダムな数字をセンスとかいう言葉でごまかして答えとして提出しようとする。いや、正しい答えを出すのに、足らないのはセンスじゃなくて、知識と経験だから。


ようするになにがいいたいのかというと、知識も経験も足らない人間が、後生大事に自分の思いついた計算結果を内緒にしていても意味がないということだ。アイデアを他人にぱくられるのを恐れているのは非常に滑稽で、アイデア自体に価値なんてない。同じ知識と経験をもつひとは、だれでも同じアイデアは思いつく。だから、本当にアイデアをぱくるためには、背景となる知識と経験までぱくる必要がある。そこまで含めてぱくられる程度のアイデアだったら、しょせんその程度の価値でしかないということだ。


まあ、ぱくるぱくられる以前にそもそも知識も経験もないひとが思いつくアイデアなんて、あっているにせよ、平凡なので無価値。まちがっていたら、ゴミでしかないわけで、いずれにせよ価値がない。


なんで画期的なアイデアを思いついたひとは、よほど自分の知識経験の量に自信があって”だれにも”負けないとか思っているのでなければ、他人に話して意見をきいたほうがいい。たぶん、間違っているか、すくなくとも画期的ではない平凡なものであることにきづくだろう。


例えば自分の価値判断の情報ソースをはてな界隈とかのブログにたよった知識でおこなっているひとのアイデアは、必然的にotsune氏以下になるということだ。


ああ、あともうひとつ追加。もし本当に画期的なアイデアだったら、背景となる知識・経験が他人とちがったものになっているはずなので、しゃべっても絶対に理解してもらえないから大丈夫。おれの過去の経験でも大成功するプロジェクトは、だいたいキックオフ会議の雰囲気が最悪になる。「あー失敗プロジェクトに関わってしまった」というものいわぬ顔で満ちあふれる。そういう企画が成功する。そういうアイデアに価値がある。



結論:おれがせっかく好意でアドバイスしてやろうといっているのに、アイデアを内緒にされるとむかつく。