オタクが結婚生活で初めて気づいた趣味の「無駄」と「効率性」の話

katamachi2011-08-28


 以前、「オタクが趣味を断念するとき。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」 で書いたように、2年前、僕は身を固めることになりました。当時36歳。「リアル電車男・撃墜」の報に周囲は一時期騒然とした。「まさか先越されるとは……」と30・40歳代の知人たちからも言われたけど、まあそれはそれ。
 あれから2年、まだ「2M」*1での生活は続いています。
 パートナーが現れると、確かに生活はいろいろ変わっていきますね。独身時代といろんな意味でやり方が異なる。それは当たり前です。
 とりわけ、趣味に対する取り組み方は大きく変わりました。

趣味に費やす時間とスペースに制約ができてしまった

 今から10数年前、僕の世界における趣味のウエートは、鉄道系6割、バックパッカー2割、アニメ系2割ってところでした。
 2年前、共同生活を始めた後、趣味をやっている時間は確実に減りました。
 たとえば国内外に旅に出かける機会。
 長い学生時代やフリー時代は年に100日以上(日帰りも込み)、その後も50〜60日くらいは自宅から離れて旅先に出ていました。過去20年、毎年1〜2回は長旅に出るようにしていました。プーの時は半年間でアジア大陸を横断したり、3ヶ月間でアフリカを縦断したり。旅した国・地域はいつしか80ヶ国を超えていました。連れ合いを置いてエチオピアに一人旅とかもしていましたが、それもなくなりました。今年は海外ゼロ。年内にも予定が立ちません。社会人パッカーと称するのも難しい状況です。
 国内旅行も同様です。この半年、出張が連続したこともあり、旅は5月に連れ合いと北海道へ1度行ったくらい。特に減ったのは鉄道をメインとした趣味の旅です。出張の合間のフリーに東北で滞在した程度。20年ほど前から鉄道の駅に乗降するのを趣味としていて、最近でも年に200〜300駅はJR私鉄の駅を訪ね歩いていました。全国に存在する鉄道駅の6割ほどにあたる5900駅弱を尋ねましたが、年々、ペースは落ちてきました。年間の訪問駅数は以前の10分の1程度のペースに激減しました。
 オタク趣味のウエートはかなり低くなっていました。アニメはまったく見なくなりました。連続モノでまじめに見たのは「けいおん!」第一シリーズが最後ですね。「それでも町は廻っている」「放浪息子」は期待したんですが、テレビの方はそれほど乗れませんでした。「まどマギ」は4話を録画できずそのまま視聴中止。海外に半年ほど滞在していた十年前、毎日テレビで視聴する習慣が途切れたというのと、デジタル作画の質感が肌に合わないというのが僕なりの理由ですが、たぶんそのままフェードアウトするのだろうな。これからもジブリと押井の新作、「エヴァQ」ぐらいはチェックしたいと思いますが(遅まきながら「コクリコ坂から」を昨日見てきました)、「アニメージュ」15年分はそろそろ売却するか。
 そう、あと大きな問題は趣味関係の本やグッズ類の保管スペースです。うちは賃貸でマンションを借りているんでスペースにも限界がある。
 グッズ、特に鉄道模型関係とか鉄コレの購入はほぼ止めました。嵩が張る物はさすがに置き場所を確保することもできない。2年前に引っ越したときのクロネコヤマトの段ボール20箱分あるんですよ……
 資料関係も選別することにしました。本を書くときに集めた資料は残す。旅行した際に駅やあちこちで頂くパンフレット類は3割捨てました。1枚はペラペラでも束になると想定外にかなり重くなってくる。
 最大のネックは書籍です。趣味の人なら誰でもそうなんでしょう。平気で大人買いしていましたが、それでも以前よりは冊数は2割ほど減らしました。
 特にマンガの単行本の購入は、以前と比べると3割以下になりました。それだけでも書棚が埋まるスピードを抑制できる。自分自身の嗜好が変わっているのも正直なところなんで、そこらは割り切ろうとしています。連れ合いが毎月買ってくるマンガ誌5〜6冊のうち、谷川史子先生がたまに載る「コーラス」も見せてもらう程度です。
 鉄道趣味の本、ノンフィクション系・新書なんかは、基本、以前通りのペースで買い求めています。やっぱり財産になりますからね。ただ、一方で、鉄道趣味誌、80・90年代のはほとんど実家にあります。昔の情報を確認しようにも手元にないんで、これは困った話なんです。それを自宅に移そうにもその余裕がない。この春、京阪と近鉄の百年史、あと鉄道系の資料本2冊、1万円越えのA4ハードカバーが続々と増備すると、さすがに喧嘩の材料になってしまいました。
 今、最大の悩みは同人誌です。僕の場合、自分で購入する分じゃなく、サークルとして販売する用の在庫。ある程度のストックがないとパックナンバーは揃わないけど、そうすると自宅に激重の段ボールがいくつも積み重なるんです。以前は書店にも卸していたんですが、これも去年から抑制しています。
 結局、婿入り道具の大型書棚5本プラス小型6本+αに、転居してから大型書棚を4本、無印のシェルフを増強したのですが、それでも書籍は溢れてしまいました。グッズを入れたクロネコヤマトの宅急便は和室と押し入れと書棚の上にに溢れたまま。
 もうどうすればいいのでしょうか。

趣味を突き詰める過程で必要な基礎体力に費やす時間

 まあ、そうした時間とスペースの問題が浮上してくるのは、先に逝かれた諸先輩の話で予想はしていました。
 ただ一つ、想定外だったことがあります。インターネットに接している時間も激減したことです。一人暮らしの時は、晩飯を食った後、2〜3時間、特に目的がなくともだらだらとパソコンや読書、思索を繰り返す生活をしていました。ブログの更新もその一つでした。それが今、1時間も確保できない状況になっている。やるとしたら深夜ぐらい。翌日は確実に堪えます。
 みなさんも経験あるのでしょうが、趣味活動というのは、アニメを見たり、ゲームをしたり、列車に乗ったり、グッズを買ったり……という表面的な営みだけには留まらないんですよね。それ以外の「無駄な時間」というのも必要かつ不可欠となっている。
 パソコンからリアルタイムで情報が入手できるようになった現在、ネット経由の情報で趣味活動を充実させていくというのは多くの人がやつている手法です。たらたらとパソコンを弄りながら、検索エンジン片手にあちこち閲覧し、Googleニュースや公式で最新情報をいち早く入手し、次の趣味活動に活かしていく……。 鉄道趣味の世界だと60歳代の人たちも懸命にパソコンに取り組んでいます。
 ネットだけじゃありません。最近の本や雑誌の中身をチェックしたり、昔の文献を探してきたり、たまに専門の図書館で資料調査したり……と、地味な作業の積み重ねもまた活動では大切になります。だからこそ、こんな時代になっても読書というか資料の確認も大事なんですよね。
 ただ閲覧するだけでなく、いくつかの情報を総合させて自分の頭で考えていく。インターネットというのは、趣味のインプットのためにもアウトプットのためにも適切なアイテムであり続けました。
 僕にとってアウトプットする場は、同人誌であり、ここのブログでした。でも、更新の頻度もめっきり減りました。いろいろ調べたり考えたりしていると、エントリーを書くのに1、2時間、あるいはもっとかかったりもします。タイミングと勢いも必要。その時間を捻出できないんです。話題となる時事ネタがあっても即座に対応できない。
 他人には分かり得ない雑事をインプットして頭の中で考え、それを実行へと移していく過程そのものが趣味活動になる。対象物と過去の情報、周辺に関する知見を総合することで、ある世界観が見えてくる。漫然としているだけでは得られない「何か」を得れるかもしれない。「無駄な時間」の積み重ねの先にある「快感」を知っているからこそマニアな趣味をやめられないのですね。スポーツをするときもそうですね。教科書に載っているような知識をいくら身につけてもダメなの同じで、基礎トレーニングを重ねることで初めてそれがモノになっていく。
 そうした「無駄な時間」が捻出できなくなったというのが痛いです。

  • 「無駄な時間」が減ると、趣味をやる上で必要な知識や経験をコンスタントに積み重ねる「基礎体力」が弱くなる
  • 「基礎体力」が弱くなると、次第に「狭く深く」を志向するため関心の幅が狭くなってきている

という実感があります。

家族を持つことで直面した趣味活動の戦線縮小

 では、なんで時間が減ったのか。端的に言うと、夜、連れ合いと一緒にいる時間が増えたからです。
 共稼ぎなんで、買い物、掃除、洗濯、皿洗い、たまに料理の手伝いもします。ニュースや新聞を見ながら、とりとめもなく話す時間も多くなった。二人しかいないのに自分だけ自分の世界に没頭しているのは申し訳ない気もする。
 そういや、同居1ヶ月後に「パソコン禁止令」が出ました。晩飯の前にパソコンはしない。夜0時過ぎにパソコンをしない。というのが、それです。キーボードをかちゃかちゃしていると際限なくパソコンに向かってしまう、ということ。禁止令の制定意図は分かるんで、こちらも了解しました。
 旅行もしていない訳じゃないんですよ。でも、1人だけの趣味旅行ではない。独り身時代のように無茶はできません。
 そうした環境下では、趣味の時間を削減するしかない……と、オタクライフを三十数年続けてきた私ですら思います。
 逆に言うと、オタク的な「趣味」生活が日本において異常発達したのは、家庭生活や共同体で、ある役割を果たさずに済んだからなのでしょう。家族や町内という最小単位のコミュニティーにおいて、共同体の一員であることによる責務は特にない。親と同居でも1人住まいであっても同様だ。
 だからこそ、学校や仕事、バイトが終わった後、あるいは週末でも、余りある時間が存在し、それゆえに趣味の時間に没頭できた。リアルを充実させるのとは違う選択肢に魅力を感じたから。1人でいる限り、趣味という「聖域」に浸ることが可能だった。
 でも、状況は変わったんです。
 となると、環境に応じて趣味の方法論を再構築するしかない。
 その方向性は、

  • 1.趣味活動の戦線縮小を図る
  • 2.趣味活動の方向転換をする

の2つです。
 多くの人は「1.趣味活動の戦線縮小を図る」を選択します。
 趣味活動をする場合、若いときと言うか初期の段階では、「自分はあれをしたい、これをしたい……」と徐々にジャンルと守備範囲を拡大していくと思います。時間がなくなってくると、それとは逆の過程を踏むことになる。比較的、関心が濃いと思っているジャンルにターゲットを絞り、そのほかのことは切り捨てていく。
 たとえば、

  • 今までは深夜アニメを毎週10本見ていた→それを2、3本に減らそうか
  • 今まで鉄道だと全国追っかけていた→これからは古い電車やうちから日帰り範囲に限定しようか

とかなんとか。家庭や仕事で忙しくなって時間がない。だからこそ、自分の「本当に好きなモノ」に絞って追いかければいいんだ、ということになるのです。

時間がないとき、趣味活動の「無駄」より「効率性」を求めてしまう

 この二十年ほど、いろんな趣味やオタクの世界で「効率性」が求められています。
 ジャンルが拡散してきている中で、オールジャンルを相手にするのってかなり骨が折れることです。というか、あらゆることに通じているということは無茶です。マンガ好きと言っても、少年誌から少女誌、青年誌、成年誌、レディース誌……とあらゆる世界に通じている人はほとんどいない。逆に、少年マンガ好きでも、自分は「ジャンプ」系しか読まない、あるいは特定のマンガ家しか読まない、と言う人が増えてきている。
 「効率性」を求めるなら、ジャンルを狭くすればいい。「浅く広く」より「深く狭く」の方がより充実した趣味生活を送れる、というのは実感として分かります。
 ただ、ジャンルを絞ることによるマイナスも当然あります。

  • 流行りのモノばかりについつい関心が集中してしまう
  • 趣味をやっていく過程で必要な「基礎体力」が弱まる

の2点。
 先にも述べたように、趣味をやっていく上で、本やネットなどを通じて何かの知識を蓄積していくことって大事なんですよね。「無駄な時間」の積み重ねの先に見えてくる世界は確かに存在する。だからこそ、いろんなことを吸収していかなければならない。「基礎体力」を付けるためにも、ある程度は広く浅く知っておかねばならないことがある。
 その中にはどーでもいい些細なものや、実際やってみてもツマらなかったものもたくさんあるんだと思います。そうしたクズのような作品にため息しながらも、いろんな世界に触れるという多大な「無駄」を経験していくことで、巧みな視点を備えることができる。そして、自分が面白いと思うモノは何かを見極めることができる。どんなジャンルでもそうですが、本当に素晴らしいモノ、自分の琴線のどこかに触れるモノって、10あるうちの1つか2つじゃないですか。
 でも、余裕がなくなると、そうした無駄なことに時間やカネを費やすことすら惜しくなる。
 となると、「効率性」を求めるようになる→面白いことが確実っぽい世情での流行りモノに関心が集まってしまう。あるいは、若かったときに体験した古いあれこれ。好きか否かよりも条件反射みたいなものです。
 だから、あらゆる趣味の世界で、特定の一部にばかり人気が集中し、その他は話題にすら上がらないくなってしまった。あるいはリバイバル企画の乱立、そして数量限定とされたグッズの乱発……。ネットでも出版物でも、そうしたコアなマニア向けに効率的に情報を入手できるようなところが増えてきましたよね。
 効率的に自分の「本当に好きなモノ」を探すには、流行っているモノ、あるいは昔に自分が体験したモノを選べば、基本、ハズレはない。時間がない人には効率的なんです。
 若い人たちがブームを通して何か新しい価値観を発見するってのはアリだと思うし、それでいろんなジャンルに触れていくのは大切なことだと思います。でも、僕ぐらいの中堅どころ、あるいはもっと上の世代が、流行りモノばかりを食い摘んでいくのは(あるいは、そのアンチテーゼ→自分のオリジナリティを強調するためとして周縁部にばかりこだわり続けるのは)なんだかなあ……と思います。オタク趣味でも鉄道趣味でも他の世界でもそうなんだけど、最小の時間で最大の効果を上げたい……という効率重視の考えがあるのは分かります。盛り上がりそうなイベントとか作品とか列車とかなんとかって、誰でもそれなりに分かるし、それなりに楽しめるんですよ。そうした表面だけをなぞっていても十分に趣味活動となりうる。
 でも、そればっかりというのもなあ。それぞれの趣味の世界が何十年という歴史を刻み始めたからこそ、そうした効率化の動きが出てきたのだろうか。

 なんで、できるだけ守備範囲を広くしておきたい、もっと知見を広くしたい……と個人的には思ってはいるのですが、先に述べたように「無駄な時間」が削られたことで、僕自身の趣味的「基礎体力」が落ちている。老化と運動量の低下で急速に筋肉が落ちたアスリートみたいになっています。
 このままでは僕も戦線を縮小しないといけなくなります。というか、実際、上で書いたように活動を縮小しています。アニメなどオタク系趣味からは完全に足を洗ってしまいました。このブログの更新頻度が落ちてきたこともその一側面です。実情、過去の蓄積で急速の衰えをフォローしつつ、微修正しながらできるだけ好奇心を持続させようとしている感じです。
 僕の趣味で残るのは、鉄道関係ぐらい。できれば、「2.趣味活動の方向転換をする」という選択肢を考えていきたい。
 ただ、この2年、いろいろ考えましたが、これと言った新しい方向性はありませんでした。「方向転換」って難しいですね。う〜ん、これからどうするっぺ。やはり戦線を縮小していくしかないのか。まあ、そんなに真剣に困っているわけでもないんですが、先人の皆さんはどう乗り切ったのか。いろいろ聞いてみたいです。
 コミックマーケットが終わった翌日、また段ボールが1箱増えました。コミケあわせの新刊の自宅配送分です。苦笑いする連れ合いにスミマセンとしか言えなかったのですが、それはまた別の話。<参考>「オタクが趣味を断念するとき。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」

 オタクが趣味を断念するきっかけとなる障壁はいくつか存在する。
 僕らの鉄道趣味業界で言われてきたのは、

  • step1 受験
  • step2 進学
  • step3 就職
  • step4 結婚

の4つの壁。第一次鉄道ブームがあった1970年前後の頃からの言葉だ。そして、これらの障壁を乗り越えられなかった戦友(とも)をたくさん見送ってきた。

*1:鉄道趣味の世界で動力車付き2両編成=共稼ぎの意味。専業主婦+子供2人とかだと「1M3T」になる