誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか?

katamachi2008-10-01

 コンパクトシティは単純に「街を小さくする」だけではありません。集約して効率を上げ、同時に地域内で可能な限り経済を回す仕組みでもあります。コンパクトシティは限界集落を見捨てないのです。
コンパクトシティは限界集落を見捨てない - Dr-Seton’s diary

 よそさんのはてブを閲覧していて見つけたid:Dr-Setonさんの記事。「(木材を)地域内部で手に入れ、地域経済が回るようにする」ことで、コンパクトシティ化→限界集落の救済……へと繋げていくというアイデアである。「「コンパクトシティ」と「限界集落」 - 一本足の蛸」で「『コンパクトシティ』と『限界集落』を同じ問題圏に属するものだと単純に考える人々の誤謬を誹るばかりで」とアイロニカルにコメントされているように両者を関連づける意味がやや不明確なところもあるが、この方の過去の日記もあわせて読むことで「コンパクトシティ」に対する熱い想いは理解できた。
 ただ、農山村で社会的共同生活の維持が困難な集落、すなわち「限界集落」が出現したのは最近になってからではない。すでに60年代に日本の山間部あちこちで「限界」となった集落はいくつも見捨てられていった。その現象がただ繰り返されているだけである。もう「コンパクトシティ」を導入してどうのこうの……という次元ではなくなっている。

「限界集落」問題の解決に結びつく良いアイデアは何も出てきていない

 なんで、そうした「限界集落」というのが出現してしまうのだろう。
 それは、

  • 住民が、当該地での持続可能な職業を探すことが出来なくなった
  • 自治体が、市民レベルで必要な最小限度の生活水準を維持できなくなった
  • 政府が、へき地における不採算の農林水産業・鉱業を守るべき適切な施策を打てなかった

などの原因が考えられよう。都市部との雇用量および所得の格差が拡大しすぎた。
 「過疎」という言葉が知られるようになってからこの40年間、「限界集落」予備軍とも言える集落の住民にとって、一番効果的な政策だったのは、公共工事だった。農閑期になると、山村部で道路改良や砂防・土砂崩れ対策の事業が次々と行われて、農山村の人たちはそうした仕事に従事することで所得の足しにしてきた。
 でも、90年代後半になって補助金と公共事業による輸血でもなんともならないようになり、やがて公共事業の見直しが進められたことで、ついに「限界集落」問題が顕在化してきた。
 たぶんこうなることは、「限界集落」に住む人たちはみんな分かっていた。過疎地で最期まで農林水産業を維持してきてくれていたのは団塊の世代。その彼らが60歳代に突入したことで、リタイアの時期が迫ってきたことで、「終わりの始まり」が近づいてきたのだ。
 さて、どうすればいいのか。
 政府の動きを見ると、農林水産省などが統計データを集め出したのと、国土交通省が「「新たな公」によるコミュニティ創生支援モデル事業を募集します」とやり始めたのが目立つ程度。そのモデル97件は「「新たな公」によるコミュニティ創生支援モデル事業の選定結果について」で発表されたが、ここらはまだ事業の担い手がその集落に住んでいるからこそ選定してもらったわけで、本当に危機的な状態にある集落はこういうリストには上がってこないだろう。
 一方、日本共産党は、機関紙「しんぶん赤旗」の「限界集落 いま必要な対策は?」という記事で、

 限界集落の再生のためには、新たな人が定住できるようにすることが必要です。定住条件づくりは、住民の知恵とエネルギーを結集し、農林業や地場産業の計画的振興、公共交通機関の確保など生活基盤の整備、生活環境の改善など定住対策の推進などにたいし、全国一律の措置でなく、地域の実態にあった対策が不可欠になっています。

と語らせている。「長年の大企業本位の経済政策」が間違いで、「市町村が地域づくりに積極的な役割を果たせる」→共産党的地方分権化を推し進めるべきとしている。
 そりゃあ、言わんとすることは理解できる。でも、ここで別次元の話を持ち込むのはややこしくなるだけだ。そして、「限界集落」を語る論者の多くが、いろんな時事的な現象をごっちゃにして語り、何かに原因と責任を求めようとするから、議論の焦点が曖昧になってくる。
 そもそも、60年代や70年代の当時の政府なり自治体なりにそうした集落を守るべき何か有効な施策があったのだろうか。ちょっと疑問だ。
 あれから40年経った今ですら、「限界集落」というキーワードでいろいろ語られはするものの、解決に結びつく良いアイデアは何も出てきていない。過去の政策を失敗だとあげつらうことは簡単だが、

  • 50年代にエネルギー革命を起こさずに石炭や各鉱山を維持しておけば良かった
  • 60年代に都市中心の資本投下をしなければ良かった
  • 70年代に公共事業中心の「土建国家」にしなければ良かった
  • 80年代に新保守主義やグローバル化政策なんてしなければ良かった
  • 90年代に農林水産業の自由化を推し進めなければ良かった
  • 00年代に公共事業や公務員、自治体の見直しなんかしなければ良かった

と今さら言っても仕方がない。
 日本の農林水産業、そして鉱業の最大の弱点である

  • 事業主体の規模の小ささ
  • 他産業との所得格差

という永年の課題がまったく解決していないからだ。農業の大規模化を推し進めたり、低所得の外国人労働者を雇用することで、欧米のように"規模の経済"と"費用の軽減"→"生産性の向上"に繋げればなんとかなるかもしれない。でも、今の日本の情勢ではそれは難しそう。

なんで「限界集落」を維持しなければならないのか

 id:Dr-Setonさんが指摘された「(木材を)地域内部で手に入れ、地域経済が回るようにする」というのは、ある意味、理想的ではある。実は、80年代から鶴見和子ら社会学者、左派系の財政学者の一部が「内発的発展論」を主張してきた。地域を中心とした持続可能な発展のやり方を模索しようとしてきたのだ。この言葉自体はあまり知られていないにしても、その概念は政府や過疎地でもそれなりに受け入れられた。自治官僚が知事となった大分県で一村一品運動が展開されると、地場産業を振興するための方策が各地で検討され、実践された*1。
 ただ、発想として、運動論としては理想的だったかもしれないけど、実際の地域経済に本当に効果があるのか、あったのか、それは数字として立証されていない。産業連関表を使って分析してみても、なかなかきちんとした数字が出てこない。拡大するグローバル化の中で、地域でモノを循環させる……という発想がもはや太刀打ちできないのかもしれない。
 実際、誰が何のために「限界集落」を維持するのか。
 本来なら、そうした「限界集落」を"捨てた"現在の20〜40歳代の世代が、自分たちの故郷に帰って集落を維持す"べき"なのだろう。
 でも、現実的ではない。
 帰ってみても仕事はない。汗水流して薄給に耐えられるのだろうか。都市的生活に慣れたらなかなか「限界集落」での暮らしになじめない。そして、共同体を維持するために投じなければならない膨大な手間。水路や入会地、共同池の管理、冠婚葬祭や行事でのお付き合い、消防団など様々な名称の寄り合い……。そして、都会の生活に"疲れて"、ヘタに田舎に帰ろうモノなら、そうした負担が数少ない若年層である自分に寄りかかっていることは分かっている。だから、さらにみんな足を遠ざけてしまうことになる。そうした隣近所との関係構築がいかに面倒なのか、郊外に居住する都市住民は意外に知らない。
 そうした山村を維持する目的として、森林を維持管理することの重要性を説く論者も少なくない。「限界集落」の言い出しっぺである大野晃長野大学教授も、

保水力の低下した「山」は、渇水や鉄砲水による水害を発生させ、下流域の都市住民や漁業者の生産と生活に大きな障害を生んでいます。限界集落の問題は、いまや山村住民の問題にとどまらず、都市住民や漁業者が無視できない状況に立ち至っており、国民総意で考えていかなければならない問題になっています。
視点・論点 「限界集落 消えゆく前に」

と主張する。
 正直、「保水力の低下→下流域にも影響」という関係は、都市住民にとって今一つピンと来ない。「CO2の増大→地球温暖化」という理屈は分かっていても、みんな他人事のように思っているのと近いモノがある。理念だけが先行して、実感が伴わないのだ*2。上流域と下流域が協力し合ってなんとかしようというのは従前から語られてきた。それは和歌山県本宮町長が1991年に提案した森林交付税構想となったのだが、実現はしなかった。なんでなんだろう。いいアイデアだったのに。

結論は……

 さて、困った。解決策がない。あれば、すでに誰かが対策を施しているって。
 とりあえず、政府と自治体は、「何かをしなければ」と無理矢理プロジェクトを展開するのだけは止めた方がいい。「限界集落」に温泉施設を造っても、道路を二車線に拡幅しても、それだけでは解決できない時代になった。そうしても誰も田舎に帰ってはこない。
 あと、現在居住している50〜70歳代の人たちが望んでいる、買い物や病院、高齢者福祉施設、公共施設への定期的なアクセス手段を確保することが最重要だろう。1ヶ月前、「日本で唯一の『限界自治体』」となっている高知県大豊町を訪ねたとき、町が運行しているバスを二度、見かけた。生活路線バスと通学バスをあわせれば、意外にも路線の数は多かった。日曜日と言うこともあり利用者はゼロだったし、採算面でいうと全くあわないのだろうけど、福祉目的のコミュニティーバスとしてそこらの負担は我慢せねばならない。
 そこから先は……ごめん。理屈をこねても処方箋となるアイデアはなにも浮かばなかった。長々と書いてきたけど、非生産的で後ろ向きな話ばかりになった。
 リアルの知人で「限界集落」に近い集落で生まれ育ち、現在もそこに住んでいる人間がいる。彼は、学生だった十数年前、農林水産業の輸入自由化に反対とした上で「都市住民が山間部の森林を保全するための費用を負担しないと、将来、君らはどうなるのか分からないぞ」と意気揚々に語っていた。だが、この夏、久しぶりに会ったら「もうダメかも……」と弱気になっていた。本人を励ますつもりで、あんたが子供を10人ほど作ったら廃校となった小学校も復活するかもしれんよ、と言うと、失笑された。そう、「限界集落」の復活を目指すより互いに先にすべきことがあるということは分かっているのだけど、それはまた別の話。

*1:農村・山間部と地方都市との連携を目指そうという動きは、1977年の第三次総合開発の「定住圏構想」→現在の「定住自立圏構想」がその軸となってきた

*2:一方、上流部の鉱山から流れ出てくる排水による下流部の水質汚濁という問題も古くからある。足尾鉱山の排水は栃木県から群馬県へ、イタイイタイ病は岐阜県から富山県へ、県境を越えた下流域の水田を汚染し、深刻な被害を与えた。ちなみに、現在、休廃鉱山となった山では、鉱業権を引き継いだ事業者が排水処理を行う義務を背負っている。三井や住友などは長期的な視野から権益を放棄していないので、彼らの子会社がその任に当たっている。ただ、彼らがそれを手放したとき、今度は地元自治体がその任を引き受けなければならない。そこらもまた問題となる。