未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

【追記あり】イ・ラン「神様ごっこ」とミランダ・ジュライ - Playing God by Lee Lang

初出:2016年11月

更新:2018年4月(ライブの感想を追記)

目次

神様ごっこ

イ・ラン - 神様ごっこ(Lee Lang - Playing God)

 

死と哲学についてのエッセイと音楽

韓国のインディー系シンガーソングライターであるイ・ランのアルバム「神様ごっこ」がとてもすばらしい。

 

2016年の9月に日本特別仕様CDが発売された彼女の本作には、約70ページのブックレットがついている。CDとどちらがメインか分からなくなりそうだけど、そもそもオリジナルの韓国版にはCDが無く、書籍に音源のダウンロードコードが付いているという形態らしい。日本用にわざわざ(仕方なく?)円盤を焼いたようだ。

 

「死と哲学について考えるレコードを作りたかった」

 

イ・ランは本作をそう説明している。ブックレットでは「ヘル朝鮮」*1のソウルでの生い立ちや自身の考え方が長文エッセイに綴られていて、その合間に全10曲の歌詞が挿入されている。曲順とは関係なくエッセイの流れに沿って歌詞が登場するので、移動のシーンのたびに音楽が流れるロードムービーを観ているような感覚になる。収録曲のひとつである「世界中の人々が私を憎みはじめた」は以下の公式動画で日本語字幕付きで聴ける。

 

世界中の人々が私を憎みはじめた

私が彼らを愛していると言いはじめた時から

人々はおかしなものを褒めはじめた

例えば私がよく知っていることについて

実際に私がどんなことを話すかは重要とせず

人々は言葉と言葉の間のユーモア探しにだけ熱中した

 

この動画をはじめて観たとき「ミランダ・ジュライみたいな人が韓国にもいるんだな」と思った。

 

神の目線

ミランダ・ジュライはアメリカの女性小説家。ただし小説だけでなく映画や美術作品も手がける。このブログでも以前紹介した。

 

 

上の記事にも書いたけど、ミランダ・ジュライの小説には奇妙な人物ばかり登場する。読んでいると、人間を俯瞰してその行動を様々な状況にさらして試す、科学の実験のように思える。

 

で、同じような人間との距離の取り方がイ・ランの作品にもあると思う。「神様ごっこ」をするイ・ランは、下界の人間たちを観察して、その挙動を嘆き、讃える。勝手な解釈だけど、上に貼った「世界中の人々が私を憎みはじめた」における「私」とは、生身の人間だけでなく神を指すとも解釈できる。「なぜこんなヒドい世界を放置しているんだ」と世界中の人々から憎まれる神だ。ミランダ・ジュライの小説が科学者の実験ノートならば、イ・ランの作品は神様が毎晩寝る前に下界を眺めて胸を傷めながら書きつづる日記である。

 

・・といったことを考えながらイ・ランのエッセイを読んでいたら、ミランダ・ジュライの展示をイ・ランが友達と観に行くという場面が出てきた。なんだ、とっくに意識しているのか。

 

その展示は、ミランダ・ジュライが出す「課題」に一般の人々が回答する参加型プロジェクト'Learning To Love You More'である。「大事なコーディネートの写真を撮影して」「木に登ってそこからの眺めを撮影して」といった課題に対して、人間たちが思い思いの作品を投稿する。

 

埋もれる「私」の慰労

さて、ミランダ・ジュライやイ・ランの作品は、共通する現代的な問題に向き合っていると思う。それは、個人が巨大な統計データのいちサンプルでしかなくなるときに、どうやって「私」の価値を守るのかといった問題だと思う。

 

フェースブックには1日に3億枚の写真がアップされて、45億回の「いいね」がマークされるらしい*2。学校の教育はひとりひとりがかけがえのない存在だと教えてくれるけれど、この巨大なデータに埋もれる「私」や「あなた」にホントにそんなかけがえのない価値があるのだろうか。入替可能なただのノードに過ぎないのではないか。*3

 

そんな風に定量化されて相対化されてしまう個人を守ろうとするのが芸術家の仕事なのかもしれない。たとえば上に挙げたミランダ・ジュライの'Learning To Love You More'は、1枚の写真を通じて見ず知らずの他人の人生に親しみがわいてくるという効果を生む。まさに「あなたをもっと愛する方法を学ぶ」のだ。たまたまフリーペーパーに売買広告を出した人を訪ねる「あなたを選んでくれるもの」というインタビュー集も似たようなプロジェクトである。

 

イ・ランの場合は、セルフィーと「いいね」の時代に、死と哲学についてのレコードをぶっこむ。「私が考える芸術の目的は'慰労'だ」エッセイの中で彼女はそう語る。ハロウィーンの行列に神様の仮装で紛れ込んだみたいに、一見楽しそうな群衆の中に、慰労すべき個人を探す。 

 

「若者よ この地球へようこそ

夏は暑くて 冬は寒いところさ

そこの君 長く生きて100年くらいかな

セックスは安全に いのちを勝手に生み出すな

地球は神様じゃなくて サタンがつくったとさ

信じられないやつは 新聞を買って読め

いつの新聞でも どこの新聞でもいい」

 

*アルバム収録曲「良い知らせ、悪い知らせ」の歌詞として引用されている、カート・ヴォネガット「国のない男」の一節

 

イ・ランのセカンドアルバム「神様ごっこ」は2016年9月に日本版が発売された一作。なお、Sweet Dreams Pressというショップで本作を買うと特典CD-Rが付いてくるのだけど(枚数限定のようなのでいつまで付くかは不明)、その収録曲も良い。「死ぬまで食べても2500円 ワインください デキャンタで」と日本語で歌う'I Saizeriya U'なんて曲も入っている。

 

 

あと、日本版ブックレットにはIRREGULAR RHYTHM ASYLUMというショップの成田圭祐という方のライナーノーツが付いている。イ・ランが予告なく来日して家に来るほど親しい友人らしいけれど、客観的な分析と個人的な交流がバランスよく並んでいて好きだ。

 

*収録曲「笑え、ユーモアに」のライブバージョン。チェロがとても良い

 

*イ・ランが気に入った方にはミランダ・ジュライの本もオススメ。逆もまた然り

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 

 

【追記】東京でのライブの感想

2018年4月追記。

先日イ・ランのジャパンツアーがあり、東京公演に行ってきた。

 

 

バンドセットでアンコール3曲含めて2時間たっぷり。心に刺さる、本当に良いライブだった。(ライブ音源とか出してほしい。)

 

人間性が見える場面がいっぱいあって、普段より多めの観客の「圧」に困って照明を明るくしたり暗くしたり、好きな食べ物を連呼する歌詞を客から聞いた好きな食べ物の名前に変えて歌ったり、終演後も会場の外でサイン会を開いたりしていた。

 

そして、演奏しながらスライドで日本語訳詞を投影していて、歌詞のクオリティに改めて感動した。歌詞だけでも独立して読んでいられるアーティストって、個人的には小沢健二以来だったり。最初の方で演奏した「平凡な人」からもう泣きそうになった。

 

平凡な人は鏡を見て

突然ふと悲しくなるときがあるんです

平凡な人の日記の中には

自分についての質問がいっぱいなんです

なぜ誰かはいつも注目を浴び

なぜ自分の話は君にすら聞こえないのか

 (平凡な人)

 

同じ時期に新宿の谷川俊太郎展にも行って最近詩集を読み返しているのだけど、ある詩集の編者あとがきに「精神の高さ」という言葉が出てきて、イ・ランの作品もそれな!と思った。

*谷川俊太郎の詩集「ぼくは ぼく」より

 

「意識高い」(self-awareness)人には簡単になれるかもしれないけど、「精神の高さ」(dignity)を持つ人になるのは難しい。名作「神様ごっこ」はライブ会場でも売っていた増補新装版が発売されるらしい。 

 

あと、インタビューが相変わらずどれも抜群に面白い。「神様ごっこ」プロジェクトは今年(2018年)の夏には終了させて次に向かうそうだ。イ・ランの活動や作品は今後も楽しみ。

 

 

*1:VICEのインタビューで本人が自虐的に使っていた呼び方

*2:Top 20 Facebook Statistics - Updated November 2016

*3:別にフェイスブックや他のSNSにデータを提供するために生きているわけじゃない、と言いたくなるところだけど、2016年現在でもう既に「SNS映えするから」どこかへ行ったり何かをしたりする行動が広く見られると思う。。