アメリカ
2002年 01月 16日
テロの影響で愕然と旅行客が減ったアメリカ。
他の国への航空券が取れなかったがために、僕は幸か不幸か、
現代社会の悪の権化をなしている「アメリカ」という国に、触れる機会を得た。
アメリカにはわずか半日しかいなかったし、
まして西海岸のロサンゼルスからすぐのサンタモニカにしかいなかったので、
それだけの経験で「アメリカ」という国を語るというリスクを犯していることを、
知って聞いてほしいと思う。
まずこの国について驚いたのは、見る人が多国籍多人種なことである。
中国にいけば中国人がいて、インドに行けばインド人がいる。
ロシアにいけばロシア人がいて、フランスに行けばフランス人がいる。
しかしこのアメリカにはそういう圧倒的多数を占める人種がいない。
見る人見る人、いろんな人種が入り乱れている。
黒人もいれば白人もいるし、一見日本人に見える人もいるし、中東系の人もいる。
「人種のるつぼ」とはこのことだと思った。
それは日本という単一民族国家の常識からすると驚くべきことだ。それを肌を持って実感した。
ここは超実験国家なのだ。
ここは超幻想国家なのだ。
ここに、アメリカに、世界がある。世界が凝縮している。
だからここにはアメリカ語もアメリカ人もアメリカ料理もない。
アメリカ市民権を得た無数の移住者たちによる世界国家なのだと実感した。
飛行機から大地を眺めると、その国の実情がよくわかる。
アメリカは、町はもちろん畑でさえ、きれいに区画割りがなされていた。
町のストリートの名はすべて数字という、無味乾燥というか実に機能的。
広大なアメリカ大陸はどこまでも広がり、歴史と土着性のないこの国の風土は、虚無だ。
誰もが透明人間になれる。外人であることを気にしなくいい。
他の異国で外人がいたら相当目立つけれど、この国にいてもそれがないのだ。
誰が歩いていても不思議ではない。無機質な空間なのだ。
だからこそアメリカドリームが成立するのかもしれない。
こんな虚無空間にいたら、誰だって強烈な自己表現欲に駆り立てられることだろう。
だからこそこぞってアーティストたちはアメリカに在住するのかもしれない。
この国にいると、自分が何かをなさなければ存在感が喪失してしまいそうな危機感に襲われる。
アイディンティティをこれほど希求させられる空間は他にない。
この無機質な空間で誰もが自己の存在証明を必死になってしようとするからこそ、アメリカンドリームがうまれるのだろう。
圧倒的な虚無空間、アメリカの功罪はいかに?
アメリカは壮大なる世界実験国家であることには間違いはなかったが・・・。