海賊版は累進課税

Tim O'Reilly のエッセイ、"Piracy is Progressive Taxation and Six Other Lessons on the Evolution of Online Distribution"の全訳です。


海賊版は累進課税である、およびオンライン流通の進化に関するあと六つの教訓

2002年12月

オンラインファイルシェアリングについて議論が続いているので、著者で出版者であるという立場から考えたことを少し提供する気になった。映画や音楽は書いたり出版してもおらず、本しかやってないのはその通りだが、それでも私の経験から来る教訓のいくつかは適用可能だと思う。

教訓1 クリエイティブな作者にとって、海賊版より無名性の方がはるかに大きな脅威である。

まずは書籍の出版のことから。毎年10万タイトル以上の新刊が出版され、新本として買える本が数百万タイトルあるが、このうち少しでも目立った売上のあるものは1万以下、最大級の書店ですら新本入手可能な全書籍のうち10万タイトル程度しか在庫しない。ほとんどの本は主要チェーン店の棚に数ヶ月置かれると、そこから出るのはリサイクルに回されるときだけ、という真っ暗な倉庫で待機を続けることになる。著者たちは書籍出版社まで辿りつければ夢が実現するように考えるが、あまりに多くの彼らにとって、それは長い失望の始まりにすぎない。

入手可能な書籍のすべてにバーチャルな店先を作るAmazonのようなサイトは、こうした倉庫の暗がりに光を投げ掛け、他にまったくはけ口のなかった書籍が発見、購入されることが可能になっている。自著の権利を出版社から取り戻せるほどの幸運に恵まれた著者は、読者が見つかることに望みをかけて、書籍を無料でオンラインにアップすることがしばしばだ。ウェブは本の評判を広まりやすくしたし、聞いたことがある本を買いやすくもしたことで、読者に恩恵をもたらしてきた。しかしこのような状態になってみても、出版後の1、2年を生き残る書籍は少ない。倉庫を空にしたとしても、多くの本は貰われもしない。

無名のままなのが当然という本もたくさんあるが、単に巨大な受給格差の犠牲になってるだけの本の方があまりに多いのだ。

CDについては正確な数を知らないが、見える範囲では似たようなもののようだ。何万、何十万ものミュージシャンがCDを自主制作する。ハッピーな少数がレコーディング契約を得る。このうちさらに少数が、それとわかる程の売上をもつ。レーベルが膨大な目録を出していても、店で聴けない曲なら消費者にとっては無いも同じだ。

映画ではたしかにタイトル数はこれらより少ない。しかしそれは製作コストのためであり、無名さが頑とした宿敵であることは変わりない。数千の独立系制作社が配給を得ようと必死になる。いくつかの独立系フィルムメーカー、たとえばデンマークのDogme filmなどが上映の機会を得るわけだ。しかし多くの場合、上映機会とは小規模な映画祭でのそれに留まる。そしてデジタルビデオの勃興は、映画制作がまもなくロックバンドの結成と同程度の「ガレージの幸運」に、偉大なアメリカ小説と同程度の「屋根裏の幸運」になることを約束している。

教訓2 海賊版は累進課税である

クリエイティブな作者のすべて(多くは無名のなかで頑張り続けている)にとって、海賊版が出来るほど有名になることは、ずば抜けた到達点とすら言える。海賊版とは累進課税のようなものであり、有名作者からはその売上の何パーセントかを削ぎ得るが(削ぎ「得る」と書いたのは、これすら証明されていないからだ)、それと引き換えに、露出が増えれば収入が増えるかもしれないはるかに多くの者たちに莫大な恩恵を与える。

現在の書籍、音楽、映画の流通システムには、「持つ者」を「持たざる者」より重視する大きな歪みがある。少数の高収益商品が広告費のほとんどを受けて、流通に大量に流されるのだ。つまり、テネシー・ウィリアムズのキャラクター、ブランチ・デュボア(『欲望という名の電車』)言うところの「見知らぬ方々の好意」に多くを依存しているのである。

流通への壁を低くすること、大人気作だけでなく全ての作品がいつでも入手可能にすることは、作者にとって良いことだ。それは彼ら自身で露出度を高め評判を築くチャンスを、未来の出版者・流通者となる起業家と新しいメディアで協力するチャンスを与えるからだ。

私は19歳の娘とその友達がNapsterやKazaaで無数のバンドを試聴し、曲に夢中になり、CDを買うようになるところを見た。今では娘が持ってるCDの方が、あまり探究的には聴いて来なかった私が人生全部で集めてきたCDより多い。さらに言えば、娘が気に入った曲を私に聴かせてくれるおかげで、私の方までCDを買っている。いやちがう。娘がダウンロードしているのはブリットニー・スピアーズではない。60、70、80、90年代の忘れられていたバンドや、彼らの音楽的な祖先にあたる別のジャンルの曲だ。こうした楽曲は発見が難しい---オンライン以外では。しかしひとたび見つけてしまえば、CD、レコードその他の形あるものを集中的に検索できる。eBayはこうしたマテリアルの取引で非常によくやっている。RIAAですらその機会を見逃していたというのに。

教訓3 顧客は正当なことをしたがるものである。可能であれば。

「海賊版」は色つきの言葉であり、元来は大規模コピーや非合法製品の転売を指すのに使われていた。ピアトゥーピアのファイルシェアリングにこれを適用するという音楽産業や映画産業のやり方は、真摯な議論に害をなしている。

オンライン・ファイルシェアリングは、他の合法な手段が存在しないがために曲を交換したいマニアのやることだ。海賊版は不法な商行為であり、典型的には既存の著作権法に大きな強制力がない国でのみ本当に問題になるものだ。

O'Reillyでは、多くの書籍をオンライン形式で出版している。このことを、本を買わずに転売する手段として活用する人間もたしかに存在する。(実際のところ、最大の問題はファイルシェアリングネットワークではなく、我々のCD Bookshelf製品をパブリックなウェブサーバにアップしたり、大量にコピーしてeBayで売ったりされることだ。)こうした海賊版はうっとうしいが、我々のビジネスを破壊するようなものではまるでない。オンラインでも販売している書籍の紙バージョンの売り上げ減少はわずか、またはゼロである。

さらにいえば、マテリアルを取り下げるように慇懃からちょっと出るくらいの書状を送れば、侵害者の多くは迅速に反応してくれる。要請を無視するようなサーバはたいてい、その本が売っていなかったり、地元の買い手にとって恐ろしく高価だったりする国にある。

ここでさらに面白いのは、我々のこうした執行活動が顧客ドリブンであることだ。著作権侵害のコピーやサイトを知らせてくれるメールが何千通も届くのだ。なぜ? 彼らが我々の会社や著者を評価し、活動の継続を望むからだ。オンラインアクセスにお金を払う正当な方法が存在する---Safari Books Onlineサブスクリプションサービス(safari.oreilly.com)が月額わずか9.99ドルで使える---ことを知っており、このことから無料のものを非合法だとわかるからだ。

似たような観測データはSoftlockの元CTO、Jon Schullからも来ている。同社はスティーヴン・キングが『ライディング・ザ・ブレット』でeBookの実験をしたとき協力した。Softlockは強力なDRM機構を用いた「スーパーディストリビューション」なる方法でホスティングのコストを下げようとした。これは電子本の購入者がコピーを友達にあげると、ロックを外すキーのダウンロードが必要になる、というものだ。ところがフタを開けてみると、回し読みはほとんど無く、流通分のほとんどがダウンロードされてしまったのだ。Softlockは回し読みが非常に少なかった理由を求めて顧客調査を行った。その答えは驚くべきことに、再配布が望ましいということを購入者が理解しないことにあった。彼らは「悪いことだと思ったので」、そのようにしなかったのだ。

教訓4 万引きは海賊版より大きな脅威である。

どこからでもアクセスできるウェブサーバに本をアップし、その活動から利益を得ようとする人はあまり居ないが、PDFやHTML版の書籍を何ダースも入れたCDをeBayで売る人たちは居る。彼らはたしかに海賊行為を---転売のための組織的なコピー作りを---行なっている。

しかしそのような場合でさえ、より強力な著作権法や強力なデジタル著作権管理ソフトが必要になるわけではない。こうした少数の意図的侵害者は現行法で訴追できるからだ。

我々にとって、合衆国やヨーロッパにおける海賊版は本当には問題ではない。ソフトウェア製品が長年Warezサイトから(そして最近は交換ネットワークでも)落とせるままになっていることは、Microsoftが世界有数の巨大な成功企業となることの妨げにはならなかった。「損失」見積もりは、こうした不法流通物が購入された場合を想定したものだ。その反面、不法コピーにより慣れ親しんだソフトを「アップグレード」するために購入された正規版の売上が元帳の反対側に記されたりはしていない。

我々が抱えている問題とは、どうにか似たようなものを探せば、いわば万引きのようなものだ。つまりビジネス上の煩わしいコストである。

そして総体として見た場合、多くの書籍を電子版でも出している出版社である我々は、海賊版が収益にかける負担は万引きよりも小さいと見積もっている。海賊版より無名性が大きな脅威だという観察とも重なるが、1冊の万引きはずっと多くの売上を失わせるものになりうる。ある書店があなたの本を1冊しか在庫していないとき、あるいはレコード屋があなたのCDを1枚しか置いていないとき、万引きとは次の潜在顧客の可能性空間からそれを消滅させることだといえる。店舗の在庫管理システムでは未販売のままなので、再注文は何週間も何ヶ月も、おそらくは永遠にされない。

本屋に行き、私の本を置いてないのはなぜかと聞いて、在庫管理システムをちらっと見た店員から「いや、ありますよ。1冊在庫があります。何ヶ月も売れてないから再注文は出してませんけどね。」などと言われた経験が私にはたくさんある。うるさく言わない限り、棚に無いから売れなかったとは理解してもらえない。

オンライン版は品切れにならず、流通システムのとんでもない非効率や恣意的なボトルネックに悩まされることがない。少なくとも販売の可能性だけはあるのだ。

教訓5 ファイル共有ネットワークは本、音楽、映画制作への脅威ではない。既存のパブリッシャーへの脅威である。

音楽産業や映画産業は、ファイル共有ネットワークが自分たちの産業を破壊するとほのめかしがちだ。

このような主張を行う者たちは、パブリッシングというものの性質を完全に理解し損ねている。パブリッシングという役割は、どんな新技術でも無効にされるようなものではない。その存在は算術的に要求されるものだからだ。数百万の買い手と数百万の売り手が、市場を扱いやすい規模に分割する仲介者(ある種の電源トランスのようなもの)なしに、互いを見つけることは不可能なのである。実際には仲介者の豊かな生態系が存在するのが通例だ。出版社は小売店のために著者をまとめる。小売店は出版社のために買い手をまとめる。卸は小売店のために小規模出版社を、出版社のために小規模小売店をまとめる。専門流通は非標準的な販路を見つけてくれる。

勃興するウェブをパブリッシングの新メディアと見ていた人々は、この生態系が10年もかからず進化したのを目撃した。ウェブの初期に喧伝されていたのは、我々は中抜きの時代に直面している、誰もが自分の出版社を持てるからだ、という話だった。しかしほどなく、ウェブサイトオーナーたちはYahoo!、Googleその他の検索エンジン(ウェブにおけるBarnes & NobleやBordersの同等物)で露出を高めるためにお金を払うようになり、書き手の方もAOLやMSNで、技術的なものならCNET、Slashdot、O'Reilly Networkその他のウェブ出版社で喜んで書くようになった。Matt DrudgeやDave Winer、Cory Doctorowのように、新メディアに書くことで名を成した著者もいる。

Jared Diamondが"Guns, Germs, and Steel"で指摘するように、複雑な社会組織の勃興には数学的な裏付けがある。

潜在的に代替性のある数百万の商品が数百万の潜在顧客に到達する力学の根本を変えるようなものは、テクノロジーには含まれていない。商品を集めたり選択したりの手段は技術で変わるかもしれないが、集めることや選択することの必要性は変わらない。Googleがページランキングで使っている暗黙のピア・レコメンド(同等者による推奨)の役割は、大規模小売店が商品選択に使っている詳細販売データの役割とほとんど同じだ。

我々が問われている質問は、ピアトゥーピアファイル共有のような技術はクリエイティブな作者やパブリッシャーの危険になるか、ではない。クリエイティブな作者が作品の露出を高めるために新技術を活用するにはどうすればいいか、である。パブリッシャーが問われているのは、この新メディアで自分の役目を果たす方法を他者より先に理解できるか、である。パブリッシングは生態学的ニッチのひとつにすぎない。古いパブリッシャーが入り損なえば、新しいパブリッシャーが飛び込むだけだ。

最初の原則に議論を戻すと、パブリッシングとは商品を物理的に集めることだけではなく、「評判」という無形のものを集めて管理することが要求される、ということがわかるだろう。みんながGoogleやYahoo!を、Barnes & NobleやBordersを、HMVやMediaPlayを訪れるのは、欲しい物がそこで見つかると信じているからだ。そしてKnopfやO'Reillyといった特定の出版社が求めてもらえるのは、おもしろいトピックや練達の書き手を見つける能力について我々が信頼の履歴を築いてきたからだ。

ここでこの議論を、音楽ファイルシェアリングに拡げてみよう。Kazaaその他のポストNapsterなファイル共有サービスで、みんなどうやって曲を探しているだろう。最初は知ってる曲から探すはずだ。しかし既知のアーティストや曲名での検索には、ファイル共有サービスにとって非本質的な「名前空間」(アーティスト/曲名ペア)のマーケティングに依存している、という根本的な自己限定性がある。既存の音楽流通システムを本気で置き換えようとするならば、新曲のマーケティングと推奨を行う独自のメカニズムを作り出す必要がある。

実際にも我々はこうしたメカニズムの出現を目の当たりにしている。ファイル共有サービスはマーケティングテクニックでもっとも効果的なもの、クチコミに、強く依存している。ところが従来メディアの進化を学んだ者にとっては、長い目で見ると既存知識やクチコミに基づく検索で提示できるものは簡単ものだけだ、というの明らかである。市場が成熟し、有料のマーケティング手法をプラスすることで、我々は既存のメディア市場を特徴づけているものと同様の豊かな仲介者生態系を、一歩一歩築き上げていくのだ。

新メディアは既存のメディア市場に取って代わるというより、それを拡大、膨張させてきた(少なくとも短期において)。新旧の流通メディア間での裁定機会(さや取り)は、たとえばファイル共有ネットワークの勃興がeBayでのレコードやCD(通常のレコード産業の販路に無いもの)の取引を加速した例のように、ちゃんと存在する。

長い目で見れば、オンライン音楽パブリッシングサービスがCDその他の物理流通メディアを置き換えることは、レコードが楽譜出版社をニッチに追いやり、家置きのピアノを(多くの者にとって)家庭のエンターテイメント・センターからノスタルジックな飾り物に変えたことにかなり近い。しかしアーティストと音楽パブリッシャーの役割は残る。つまり問題は書籍出版、音楽パブリッシング、映画制作の死ではなく、誰がそれを出版するのか、なのである。

教訓6 「フリー」は最終的に、もっと高品質の有料サービスに取って代わられる

読者に質問しよう。今でもメールをピアトゥーピアのUUCPダイヤルアップや昔風の「フリー」インターネットサービスで受けてる人は何人くらいで、ISPに月19.95ドルなりを払ってる人は何人いるだろう。放送電波の「フリー」テレビを見てるのは何人くらいで、ケーブルや衛星に20〜60ドル払っている人は何人いるだろうか。(ビデオやDVDのレンタルや特に好きなタイトルの購入についてまでは聞くまでもない。)

Kazaaのようなサービスは競合他社の居ないところに花開いた。確信を持って予言するが、音楽産業の方で、同じ全ての曲にアクセスでき、面倒なコピー制限がなく、より正確なメタデータその他の付加価値があるサービスを提供すれば、何億もの有料登録者が出るだろう。これはつまり上記の場合、Kazaaは待ちすぎたりしない限り、自分でこうした良さを提供するようになる(そしてそれに課金する)ということだ。(法的な異議申し立てが無い場合に限るかもしれない。)AOL、MSN、Yahoo!、CNETその他諸々が総体として「フリー」のウェブに何十億ドルものメディアビジネスを築いたのと同じように、ファイル共有ネットワーク上の「パブリッシャー」が現れるだろう。

タダで手に入る曲にお金を払うのはどうしてだろうか。公共の図書館で借りられる本を購入したり、テレビで見たり週末にレンタルできるDVDを購入したりするのと同じ理由だ。利便性、扱いの楽さ、選択、欲しいものを見つける能力、そしてマニアにとっては、大事なものを所有できることへの純然たる喜びがある。

現状のオンラインファイル共有サービスのユーザー体験は、一番良い場合でも並程度だ。学生その他時間のある人なら一応十分だと思うかもしれない。しかし彼らはやりたいことの多くを捨てている。同じものがまちまちのクオリティで存在していたり、一部の作品が欠けていたり、アーティストや曲の名前が間違っていたり、他にもたくさん品質上の問題があるのだ。

敵対的な人たちは、ウェブは自分たちが心配した通りの様子になっている、と主張するかも知れない。ウェブのコンテンツは「フリー」であり、広告はコンテンツプロバイダにとって十分な収益モデルではなく、サブスクリプションモデルはうまくいかないというのである。しかし私は、ストーリーの決着はまだ付いてない、ということを主張する。

サブスクリプションサイトは発達中だ。この市場では、コンピュータ業界のプロたちを「アーリーアダプター」と見ることができる。たとえばO'ReillyのSafari Books Onlineは月に30パーセント成長しており、今では我々や他の参加出版社に数百万ドルの収益ストリームをもたらしている。

多くの観察者は、インターネットが既にサブスクリプションサービスとして販売されていることも見落としているようだ。我々みんながやっていることは、付加価値プレミアムサービスの開発なのだ。さらに言えば、「基本の」コネクティビティを提供しつつ膨大なプレミアム・コンテンツを持つ垂直統合型のISP(有名なものではAOL Time Warnerなど)が既に存在する。

オンライン・コンテンツ・サブスクリプションサービスを見るにあたっては、テレビとのアナロジーから得られるものが多い。フリーで広告に支えられたテレビは、かなりの部分がケーブルテレビへの有料サブスクリプションに置き換えられた---補完されたというべきかもしれない(広告が残っているので)。さらには「ベーシック・ケーブル」プランだって、寄せ集め型のさまざまなプレミアムチャンネルによって補完されている。こうしたチャンネルのひとつ、HBOは、テレビ業界でも有数の高収益ネットワークである。一方インターネットでは、みんなISPの「ベーシック・ケーブル」相当物に月19.95ドル払っており、理想のプレミアムチャンネル、音楽ダウンロードサービスの機会については、既存の音楽パブリッシャー側の目こぼしを乞うているだけだ。

テレビからの教訓としてもうひとつ、人々はよほど特別なイベントでもない限り、ペイ・パー・ビューよりサブスクリプションを好むというのがある。さらに言えば、単一チャンネルよりは大規模コンテンツ・コレクションへのサブスクリプションを好む。すなわち「映画パッケージ」、「スポーツパッケージ」などに加入する。レコード業界の「曲ごと」の観測気球はうまくいくかもしれないが、長期的には「なんでもどうぞ」の月決めサブスクリプションサービス(音楽ジャンルごとにセグメント化するかも)が市場を制すことを予言しておく。

教訓7 常に2つ以上の方法が存在する(TMTOWTDI)

とはいうものの、他のメディア市場の研究によれば、一発で片が付く銀の弾丸のようなソリューションは存在しない。賢い企業はすべてのチャンネルを通じて収益を最大化するものである。真の機会は最終的にお金を払う顧客にサービスを提供するところに存在するということを肝に銘じながら。

O'Reillyでは、自社書籍のオンライン流通実験を何年も続けている。他の誰かがやる前に、抵抗しがたいオンライン・オルタナティブを提供しなければならない、ということを了解している。ハワイの格言の通り、「誰も明日を約束してはくれない」のだ。無料代替物との競争が、我々に新しい流通メディア、新しいパブリッシング形式の探求を強いている。

上で触れたSafariサブスクリプションサービスに加え、我々はO'Reilly Networkという広告サポートありのフリー情報サイト群による広範囲のネットワークをパブリッシュしている。若干の書籍については再配布を明示的に許可する「オープン・パブリケーション・ライセンス」のもとで出版している(www.oreilly.com/openbook)。このようにしている理由はいくつかある。無視されかねない製品の認知を高めること、オンラインコミュニティの間でブランドローヤルティを築くこと、また、製品とは通常のチャンネルで経済的に販売できなくなることがあるものなので、そうしたものを市場から完全に消してしまうよりフリーで提供する、ということがある。

我々は多くの書籍のCD-ROMも出版している。これは普通、半ダースかそこらの関連書籍を集めたCD Bookshelfという形式をとっている。

そしてもちろん、紙の本の出版も続けている。フリーのオンライン版の存在が、トピックや著者のプロモーションになることもある(The Cathedral & The Bazaarã‚„The Cluetrain Manifestoはオンラインで広範囲の露出があったことでベストセラーになった)。我々は出版している全書籍のかなりの部分をオンラインで見られるようにしているが、これは潜在的な読者が試し読みできるようにするためだ。Dreamweaver®ã‚„MicrosoftのVisual Studio®ã¨ã„ったソフトウェア製品のオンラインヘルプに書籍を統合する方法すら見つけている。

おもしろいことに、非常に成功した印刷/オンラインハイブリッドには、同じマテリアルを印刷版とオンライン版の事情に合わせた別々の方法で提供したところで出たものがある。たとえば我々のベストセラーであるProgramming Perl(印刷版で60万部以上)の内容のかなりの部分は、Perlの標準ドキュメンテーションの一部としてオンラインで読める。しかし完全なパッケージ---紙版の利便性はもちろん、強力にブランド化されたパッケージによる美的な喜びも含むもの---は紙の形でしか手に入らない。同じ情報や製品を複数の方法で提供することは、市場の規模や豊饒さを総体として増やすのである。

そして究極の教訓は「そのウーキーに勝たせてやれ」。最初のStar WarsでC3POが言ったあれだ。見つかる限り多くの方法で、公正な価格で彼に勝たせ、彼にとってベストなものを選ぶようにさせることである。