ぷーこの家電日記

第549回

週末は気合いを入れてコロッケ作り

コロッケは買うもの? 作るもの?

定期的に話題になるし、その度に「あー、久々にコロッケ食べたい!」という気分になるくらいで、私自身はその議論に巻き込まれることもなければ、人様が食べるコロッケが何かなんて興味を抱くこともない。コロッケが食べたくて仕方がなくなって、面倒臭さよりも食べたい欲が勝った時にだけ、私はコロッケを作る。

買わずに作るのは「コロッケくらい作るべき」だからではない。残念ながら私が作ったコロッケが世界で1番美味しいからである(笑)。本音を言うと買って済ませたいけれど、コロッケに関しては自分の味じゃないとなぜか満たされない。

それにしてもポテトサラダとコロッケを作る面倒くささと言ったら……。あれを面倒臭いと言わず「普通のこと」としてやる人を信じられないくらいに思っていたけれど、「それくらい普通だ」と考えている人は意外と多く存在する。ちなみに私の身近な人でいうと、私の母である。

私は基本全てが手作りの家で育ってきた。外食は時々行くうどん屋さんくらいで、それ以外はクリスマスに食べるケンタッキーと、誕生日の時に八仙閣(福岡にある中華チェーン店)、そしてスイミングスクールの進級試験の日に買ってもらえるマクドナルドだった。父が年に数回、仕事帰りにミスタードーナツを買って帰ってきてくれたこともあったが、それ以外は全て母が作ってくれていた。

毎日のご飯だけじゃない。おやつだってほぼ全部手作り。パンも給食で出るもの以外は母が焼いてくれたものしか食べたことがなかった。今ではこの時期にあちこちで売っているシュトーレンだが、私は母が作ったシュトーレン(パンタイプ・ケーキタイプどちらも)を40年程食べ続けている。この時期は毎年100本程焼いている母だが、それが「普通ではない」と気づくのは私が大人になってからである。

人間無いものねだりをするもので、そんな母の元で育った私は、子供の頃は市販のお菓子やインスタントラーメンなどに強い憧れを抱いていた。中学生までは小遣いも、通学路により道する店もなかった私は、殆ど買い食いをしたこともなく、高校生になってから部活帰りにいろいろなものを買って食べては感動した。

コンビニで憧れだった肉まんを買って食べた時は、「肉まんは母の作ったやつの方が断然美味しいな」となり、それ以降買うことはなかったけれど、マンハッタンやむっちゃん万十(どちらもローカルグルメ)は、家で食べたことのない類のもので、「ナンジャコリャー!」と感動したし、ふきやのお好み焼きは食べても食べてもお腹が空く私の胃袋をガツンと満たしてくれるだけではなく、親抜きで外食するということが何だか大人っぽく、すごくカッコよく感じた。

そして大学生になってから一人暮らしを始めることになり、引越し当日にやったのは「ピザの宅配」だった。手作りのピザはいつも乗っている具が同じで、ピザ屋さんのチラシに載っているいろんな具材のピザを見ては「食べてみたい!」と思っていたのだ。もう何のピザを注文したのか覚えてはいないけれど、すごく美味しかったことは覚えている。でも1回の注文で私の憧れは成仏したし、ピザって高いなぁと思い、それ以来注文していない。

大人になってからは、カップラーメンもファストフードも食べまくった。そうやって自分で答え合わせをするかのように、今まで食べられなかった好きなものを食べて飲んで、巡り巡って「やっぱり手作りの方がいいな」と戻って……は来なかった(笑)。今も変わらずカップラーメンもファストフードも大好きだし、外食だって大好きだ。

もちろん母が作った料理はやっぱり今も抜群に美味しいと思うし、凄いと思う。母親信仰の手作り信仰ではなく、私はハイブリッド型のただの食いしん坊として完成してしまったのである。料理が好きというよりも、食い意地が張っているが故に、自分でもそれなりに料理もする。

今になって母が凄いなと思うのは、私が食べるもの全てを手作りしてきたことではないと思う。いや、それだけでも十分凄いのだけれど、それ以上に凄いなと思うのは、それを愛情の大きさ指標として使わなかったことだと思う。

「手作りが愛情だ」とか「手間をかけることが愛情だ」という考えは、愛情以上に足かせや呪いの言葉として染み付いてしまうこともある。これくらいやるべきだ。やらないのは愛情が足りないからだ。となれば、子供が大人になった時に、そのかけられた呪いによって、無駄な罪悪感に苦しめられることにもなるということだ。

ありがたいことに、私はそんな呪いをかけられることもなく、完全にズボラで自由に、ただ美味しいものを美味しいと思って食べる楽しさを謳歌できている。

多くの人は自分の母親が基準で、その基準を持って「普通は」って人にも言ってしまうのだろうけど、それで言うと、母親が凄すぎて私は絶対一生普通にはなれない(笑)。

自分の母親が美味しいコロッケを作ってくれていたからといって、「コロッケくらい作れば?」と人に言えちゃうような人間に育ってしまったのならば、その母親の食育が失敗だったってことになってしまうので、親の名誉のためにも絶対にやめた方がいい。

そんなことを考えているうちに、無性にコロッケが食べたくなってきてしまったので、今週末の夫の誕生日パーティーには、重すぎる愛情と面倒臭すぎる手間をかけてコロッケを作ろうと思うし、今年も届いた母からのクリスマスシュトーレンを食べながら大好きなクリスマスのカウントダウンをしよう。

母も後期高齢者となり、「このシュトーレンの味をあと何回食べられるんだろう」とか考え出すと、胸が詰まって涙が出てくる。何にでもしんみりしてしまうお年頃なのかも。ただ、親含め友人も、元気でまた一緒に美味しいものを楽しみたいので、忙しい年の瀬とは思うけれど、みんなみんな健やかにお過ごしくださいと切に願っているのであります。コロッケは私が作るよー!

徳王 美智子

1978年生まれ。アナログ過ぎる環境で育った幼少期の反動で、家電含めデジタル機器にロマンスと憧れを感じて止まないアラフォー世代。知見は無いが好きで仕方が無い。家電量販店はテーマパーク。ハードに携わる全ての方に尊敬を抱きつつ、本人はソフト寄りの業務をこなす日々。