コラム:購買力平価で読み解くドル100円台「次の節目」=唐鎌大輔氏

コラム:購買力平価で読み解くドル100円台「次の節目」=唐鎌大輔氏
5月23日、みずほコーポレート銀行マーケット・エコノミストの唐鎌大輔氏は、「ビッグマック平価」のような簡易的なPPP(購買力平価)も、使いようによってはドル円相場の行方について侮れない情報を与えてくれると指摘。提供写真(2013年 ロイター)
唐鎌大輔 みずほコーポレート銀行 マーケット・エコノミスト(2013年5月23日)
待望の100円台に定着する中にあって、次の「節目」を果たしてどこに設定すべきなのか。このことは、投資家だけでなく事業法人にも非常に悩ましい問題だろう。
ドル円の実勢相場のレンジについて、筆者は長らく「企業物価ベース購買力平価(PPP、1973年基準)」を上限、「消費者物価ベースPPPと輸出物価ベースPPPの中点(共に73年基準)」を下限の参照指標の一つと考えてきた。73年以降のドル円相場と各種物価(企業物価、消費者物価、輸出物価)ベースPPPの推移をグラフにしてみると、90年代後半以降は概ねそのイメージに合致するからだ。2013年3月時点でその上限は97円程度、下限は75円程度だ。そのため、「円安がどんなに進んでも97―98円近辺で跳ね返されるはず」との思いを抱いてきた。
実際、この上限は90年代後半以降ほとんど破られたことがなく、信用に足る「最終防衛ライン」だった。しかし、今回の円安局面でついにブレイクされた。黒田日銀の「量的・質的緩和」の影響も当然あるだろうが、それだけではあるまい。貿易収支の恒常的な赤字化という、日本が経験したことのない構造変化も踏まえれば、過去の経験則の有効性が劣化してきているとしても不思議ではない。
<110円を超えたら120円は的外れか>
では、暗中模索の現在、何が次の「節目」を探る道標になるのか。ドル円相場には複数の目途が存在し、ここで全てを紹介することはできない(テクニカルな節目なども踏まえれば、その数は非常に多い)。そこで今回は、金利が為替相場に対する説明力を失っていることも踏まえて、もう一つのファンダメンタルズな測度である物価に絞って節目を検討したい。物価を測度とする為替相場の節目とは、要するにPPPであり、これを主軸に手掛かりを探すことになる。
先ほど企業物価ベースPPP(73年基準)の上限が破られたと述べたが、PPPと一言で言っても、使用する物価や基準年を変えることで複数存在する。後述する「ビッグマック平価」のような平易な考え方も、使いようによっては侮れない情報を与えてくれる。
たとえば、「90―105円」は各種PPPが密集しているレンジである。順を追って紹介すると、91円は企業物価PPP(80年基準)、97円は企業物価PPP(73年基準)、103円は消費者物価PPP(80年基準)、106円は経済協力開発機構(OECD)が公表する国内総生産(GDP)ベースのPPPである。これに基づくとすれば、目先の節目という意味ではOECD公表のPPPを参考に106円、余裕を持って5円刻みで考えるならば110円が有力な候補としてあげられる。
ただ、問題はその先である。110円以上は、実は消費者物価PPP(73年基準)が示す127円まで特に節目が存在しない(あくまでPPPの観点に照らせば、である。その他の節目は存在し得る)。こうした事実を踏まえると、「110円を超えたら120円」との見方はあながち的外れではないようにも思えてくる。「次の手掛かり」としてOECD公表のPPP(106円)に着目する時期が当面続き、その後中長期的なレンジ上限を110円に見直すにしても、それより上値となると理屈付けは極めて難しいという事実は覚えておいて良いかもしれない。
なお、参考までに、それより上値の節目をPPPに沿って紹介しておくと、「2012年度産業向け財・サービスの内外価格調査」における「分野別・業種別の購買力平価」がある。それによれば、工業製品等(素材や加工・組立、エネルギー)の物価を元に算出されるPPPは125.18円で、金融・保険や不動産を含む産業向けサービスの物価を対象とするPPPは174.81円となっている。
<ビッグマック平価からも110円が浮上>
先ほど述べた通り、簡易的なPPPの一種である「ビッグマック平価」からも、今後の手掛かりを得ることは可能だ。英エコノミスト誌の公表値によれば、13年1月時点の最新のビックマック平価は73.3円である(日本の価格320円を米国の価格4.37ドルで除した数値。なお、マクドナルドでは地域間の人件費や家賃等の差異に鑑みて、地域別価格を採用しているので全国統一的な定価ではない)。1月時点の実勢相場は91.07であるから、乖離(かいり)率はマイナス19.5%に達する。つまり、円は1月時点ですでに19.5%も過小評価されていたことになる(マイナスは円の過小評価、プラスは円の過大評価を表す)。
ちなみに、程度の差こそあれ、円の実勢相場はビッグマック平価対比ではドルに対して常に過小評価されてきたという歴史があるが、最も円高が進んでいた10―12年初頭は実は例外的にビッグマック平価とほぼ均衡していた。
たとえば、10年7月のビッグマック平価が85.71円なのに対して実勢相場は87.18円で乖離率はマイナス1.68%、11年7月はビッグマック平価78.72円に対して実勢相場78.37円で乖離率はプラス0.45%、12年1月はビッグマック平価76.24円に対して実勢相場76.92円で乖離率はマイナス0.88%であり、この期間中の実勢相場の水準は概ね正当化されていた。今後一段の円安が進むのであれば、再び実勢相場がビッグマック平価対比で過小評価されている(円が安過ぎる)時代に戻ることになり、どの程度までマイナスの乖離率が拡大し続けるかが注目される。
もちろん、不均衡は無限に拡大しないと考えるのが普通だ。だとすれば、不均衡の調整は、1)日本のビッグマック価格が上昇する、2)米国のビッグマック価格が下落する、3)ドル円が下落する、のいずれかで行なわれることになる。
周知の通り、現状では一番目の兆候がみられている。すでに話題になっているように、日本マクドナルドは5月から全国で100円の「ハンバーガー」など低価格メニューについて恒常的な値上げに踏み切っており、一部店舗では試験的にビッグマック価格が330―360円へ引き上げられることになっている。
仮に360円へ引き上げられたとして、米国の価格(4.37ドル)が横這いと仮定すれば、ビッグマック平価は82.4円まで上昇し、実勢相場(日本時間23日午前10時半現在で103円台)との乖離率はマイナス20%程度となる。直近で円安が最も進んでいた07年6月、乖離率はマイナス32.9%だった。これを現状に当てはめると、約110円(82.4円×1.329)となり、ここまでは経験則で許容し得ることになる。冒頭に続き、再び目安として110円が浮び上がるのは興味深いところである。
なお、足もとでは米国において消費者物価指数(CPI)や個人消費支出(PCE)デフレーターが弱含んでいるが、このような状況がさらに進展していけば、米国での値下げという二番目の経路を辿ってビッグマック平価が円安方向に調整される(つまり実勢相場の円安が肯定される)可能性も出てきそうだ。
最後に言い添えれば、本稿で「節目」という控えめな表現を使ってきたのは、為替相場の動きを理論的に割り切ろうとするのは無謀との思いからである。
たとえば、これまでメインドライバーとして多用されてきた内外金利差は現状で完全に使い物にならず、目にすることも少なくなったが、これは致し方ない。理論的な体系を踏まえても、為替水準を考える際に金利、物価、需給(端的には経常収支)のうち、どれを最重視すべきなのかという明確なコンセンサスが存在するわけではないからだ。
あえて言えば、「時間軸ないし局面に応じ、適宜、適切な測度を使う」程度の整理にとどまっているのが実情だろう。それゆえ、「○○理論や××チャートだけをもって相場説明を押し切ることはできない」との謙虚さは持つべきであり、時宜に適った考え方やそこから導き出される節目は常に模索していくしかない(恐らく米金利が上がってくるような局面になれば、再び金利差の説明力が持ち出され、自己実現的に相場もそのように動くと思われる)。今まで述べてきた目途に関しても、現状のように政治的要素が色濃く作用してくる相場でどの程度の持続力が望めるかは定かではない。ただ、暗中模索の現状において何らかの道標にはなると筆者は考えている。
*唐鎌大輔氏は、みずほコーポレート銀行国際為替部のマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より現職。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査ファンダメンタルズ分析部門では1位。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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