焦点:露国境のフィンランド住民、暗黒時代振り返り不安な日々

[イマトラ(フィンランド) 14日 ロイター] - ロシアと国境を接するフィンランド東部イマトラの国境検問所は、かつて旅行客でごった返していたが、今は人けが無い。ロシアのウクライナ侵攻以来、この街の住民は巨大な隣国に不安な目を向けながら暮らしている。
人口2万6000人のイマトラは、全長1300キロメートルに及ぶ陸の国境に9カ所設けられた検問所の1つがある場所だ。
コロナ禍前、この検問所はショッピングやスパ旅行、友人や親戚を訪ねるといった目的でフィンランドを訪れるロシア人を毎週何千人も迎え入れていた。
しかしロシアがウクライナに侵攻してからというもの、イマトラは「穏やかでない客」の到来を恐れるようになっている。フィンランドが、安全保障政策の一大転換点となる北大西洋条約機構(NATO)加盟を検討するようになったのは、そうした懸念が契機だ。
「少し怖い」と語るのは、81歳のマリヤ・リーサ・カントキビさん。第二次世界大戦中に旧ソ連がフィンランド侵攻を試み、同国が領土の約1割を失った時、国境の向こう側から避難してイマトラに住むようになった。
「私の住まいはここから2、3キロのところ。彼ら(ロシア)の方向からやって来ると、最初に通るアパートよ」
フィンランドは長らく、ロシアと友好関係を保つために対立を避けてきた。しかしマリン首相は13日、同国がNATO加盟を検討し始めた今、ロシアからのあらゆる反応に備えなければならない、と述べた。NATO加盟申請については数週間以内に結論を出すとしている。
ロシアの安全保障高官とメドベージェフ前大統領は14日、NATOがフィンランドとスウェーデンの加盟を認めるなら、軍事バランスを修復するためにバルト海に核兵器を配備する可能性があると述べた。
<消えた観光収入>
コロナ禍が襲う前の2019年、イマトラ一帯への外国人観光客の訪問は190万回に及んだ。TAKトラベル・リサーチ・カンパニーのデータでは、観光客はほぼ全員がロシア人で、3億1000万ユーロ余りの収入をこの地域にもたらした。
地域最大の都市、ラッペーンランタのキンモ・ヤルバ市長は「こうした交流が途絶えたことで、今では毎日100万ユーロ前後(の収入)が失われている」と語る。ウクライナ侵攻以来、ロシアとの関係はすべて断ったという。
イマルタにはウィンドーの中が空っぽの店がいくつかある。国境をロシア側に渡ったところの街、スベトゴルスクのバス停から、まだ雪をかぶった検問所を越えてお知らせのアナウンス音声が漂ってくる。
1944年まで、スベトゴルスクはエンソと呼ばれ、フィンランド最大の工業地帯の心臓部だった。その中心を成す製紙工場は第二次大戦後、ロシアに明け渡された。1970年代にフィンランド人らが製紙工場に戻り、旧ソ連のために改修を行った。
ロシアが2014年にウクライナのクリミア半島を併合し、西側との関係が急速に悪化すると、フィンランドに足場を築くロシア人も現れた。
アンナさんとアレクサンドルさんはロシア第2の都市、サンクトペテルブルク出身だが、今はイマトラに住んでいる。ラッペーンランタで画廊も営む。
アンナさんは移住を決断した理由について、フィンランドの「ピュアな」自然が「力を与えて支えてくれる。寺院のよう」と語った。ウクライナでの戦争には深い悲しみを抱いているという。
フィンランド南東部にはロシア語を話す住民が何千人もいるが、取材に応じてくれる人はほとんどいない。アンナさんとアレクサンドルさんからも、ロシアに行った時に問題が起こるかもしれないとして、記事には姓を出さないよう頼まれた。
「フィンランドでの暮らしは天国のようだ」とアレクサンドルさん。「朝目覚めて、たばこを一服するために外に出る。まるで何も変わっていないように感じるが、全世界が変わってしまったのが現実だ」と沈痛な表情を浮かべた。
同じくイマトラに住むカトリさんは、1991年まで旧ソ連の一部だったエストニアで幼少期を過ごした。言論の自由が無かったと振り返るが、その口調は慎重だ。
国境沿いに住んでいることへの不安はぬぐえない。「急にここを離れなければならなくなるかもしれない、という事実を覚悟しておくべきなのかもしれない」と話した。
(Essi Lehto記者)

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