コラム:イラクでの「勝利」が米国にもたらす悲劇

Peter Van Buren
[29日 ロイター] - イラクのアバディ首相は昨年12月9日、イスラム系過激派組織「イスラム国(IS)」に対する勝利を宣言。今後も若干の戦闘はあるだろうが、実質的には戦争は終わった。
だがそこには、戦勝祝賀のパレードも、引き倒される銅像もなく、「これにて任務完了」という瞬間もなかった。数年前であれば米紙の1面を賑わせたはずだが、トランプ米大統領がこの出来事についてツイッターに投稿することさえなかった。
それは、米国政府として祝賀すべき理由がほとんど無いからだ。
イラクにおいて次に大きな節目となるのは、5月実施予定の選挙だ。「ポストIS」のイラク情勢は徐々に明らかになりつつある。だが、IS打倒戦略は成功したのか、イラクにおけるアメリカの戦争は終結したのか、という問いに答えることは簡単ではない。
現在、目を引くのは、米国の影響力が顕著に低下していることだ。
5月の選挙で首相候補として有力なのはアバディ現首相とマリキ前首相だが、両候補ともシーア派のダアワ党所属であり、イランと関係が深い。どちらもよく知られている。マリキ前首相は、2006年、2010年選挙において、米駐留軍の大半が撤退するなか、スンナ派、シーア派、クルド人勢力をまとめ上げてイラクを統合する「米国の大きな希望」と呼ばれた。2014年選挙で、IS打倒に向けて再び米軍が増派される中、やはり米国の期待を担ったのがアバディ首相である。
イランに近いグループに支持されているシーア派のアバディ首相は、宗派横断的な勢力のトップとして国政に当たっていると自身を語る。前任者のいマリキ氏もイランと親密な立場にあるが、ISに国土の3分の1を占拠される事態をイラク軍が防げなかったのは、同氏の責任だったとして、イラク政界では広く批判されている。
首相在任時のマリキ氏は、米国による占領の末期、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が命じた米軍部隊の「急増」を継承せず、スンニ派はマリキ氏を支持するシーア派勢力による圧迫を受けた。
米軍の占領終結後、まさに米軍の最後の戦闘部隊が撤退した翌日、当時のマリキ首相がまず試みたのは、自政権のスンニ派副首相を逮捕することだった。2014年、マリキ氏はスンニ派中心のアンバール県の軍部隊を解散させ、この動きがISをイラクへと引き寄せた。その後、米国の働きかけにより、マリキ氏はアバディ氏に政権を譲った。
だが米国からの高い期待にもかかわらず、アバディ首相は、統一イラクに向けた最低限の基礎固めである、シーア派主導の国内司法、軍、警察部隊にスンニ派を取り込む努力をほとんどしなかった。スンニ派のための経済的な機会も創出せず、公共サービスも提供しなかった。
むしろ同首相は、イラン政府への支持を深めることによってスンニ派とのあいだに新たな亀裂を生み出し、これまでの亀裂を固定化してしまった。さらに、イラン主導のシーア派民兵約12万人を、スンニ派住民が暮らす主要地域に送り込んだ。米国のオバマ、トランプ両政権はアバディ首相と密接に協力して、ついにイラク領内のISを打倒したが、その過程でイラクのスンニ派が犠牲になっている。
オバマ、トランプ両政権の戦略は古くさいものだった。イラク国内にISが1人もいなくなるまで殺し続け、あとはその余韻のなかで、イランとシーア派イラク人がスンニ派をどうしようが自由にさせる、というものだ。2003─2011年のイラク戦争から学んだ教訓だ。
今回は、戦闘終結から撤退までのあいだに、政治的フォローアップもなく、国家構築もない。たとえイラン政府の影響下でバグダッドにシーア派が独占する政権が生まれることを意味しようとも、米国はイラクの内政には何の配慮もしないというのだ。
暴力的な要素は少ないとはいえ、同じような放任政策がクルド問題の当面の解決に向けても採用された。
2017年9月、クルド人は住民投票によりイラクからの独立を決議したが、彼らの運命がすでに決していたことを知るだけに終わった。米国政府は傍観し、シーア派民兵が石油資源に富むキルクークを含む係争地域からクルド人勢力を排除したのだ。
米国が数十年にわたってクルド人の独立を約束してきたにもかかわらず、クルド人に残されたのは、イラク政府から獲得した2003年以前の自治地域のほんの一部だけあり、かつては完全な独立国の体をなしていたものが、いまやごく狭い地域に押し込められている。
2014年、クルド人勢力は米国の支援を得つつ、最も苦しい時期にISの勢力拡大を押しとどめた。2018年、一部のアナリストが「クルドの黄昏」と呼ぶ状況の中、もはや米国の外交政策のなかにクルド人勢力の居場所は失われてしまったようだ。
米国の対IS戦略は成功した。それも当然だ。米軍が戦い方を熟知している戦争であり、ややこしい内乱鎮圧の要素はなかった。ラマディ、ファルージャ、モスルの奪還は、きちんと準備された本格的な作戦だった。
スンニ派地域の都市はそれぞれ、第2次世界大戦時に連合軍の激しい空襲を受けた独ドレスデンのように瓦礫と化し、その後、シーア派民兵の手に委ねられ、IS協力者とみなされたスンニ派への民族浄化が行われた。2014年以降、米国は対IS空爆作戦に140億ドル(約1兆5300億円)以上を投じている。
600億ドルの復興資金を投じた2003─2011年のイラク戦争とは異なり、米国は今回、イラク復興の費用を負担しようという意志を見せていない。スンニ派居住地域が大半を占める破壊された地域の復興と、国内難民と化したスンニ派278万人への対応には、1000億ドルが必要だと試算されている。
シーア派主体のイラク政府は、支援資金の不足を訴えている。
オバマ、トランプ両政権が2014年以来拠出した復興資金はわずか2億6500万ドルだ(これに対し、兵器購入代金として米国がイラクに融資した金額は2017年だけでも1億5000万ドルに上る。イラクは米国製兵器の購入国として世界のトップ10に名を連ねている)。クウェートが2月に支援国会議を主宰する計画がある以外は、復興はもっぱらスンニ派住民の自助努力に委ねられている。
トランプ大統領がイラクから完全に米軍を撤退させるとは考えにくい。規模を縮小した米軍部隊が駐留を続け、IS残党に対する「モグラ叩き」を行い、2011年にイラクから米軍を撤退させたときにオバマ前大統領を苦しめた政治的な後遺症に備える一方で、IS打倒のために米国が躊躇(ちゅうちょ)しつつも武器供与した、イラク西部やシリアで群雄割拠状態にある武装グループの仲裁をするためだ。
これらの武装グループは、ISと戦うために聖書の時代に遡る相互の差異をほぼ棚上げにしたが、ISとの戦いが終結した今、彼らのあいだに共通しているのは、相互不信と大量の兵器だけだ。
イランの盟邦イラクに米軍部隊が恒久的に駐留するというのは地政学的には奇妙だが、少なくとも消極的にではあるが、イランがすでにこの状況に合意している可能性が高い。イラン政府としては、米軍が砂漠地域に置いた基地施設を奪い合っても得るところはほとんどない。彼らにとっては、イラクのそれ以外の地域が目当てだからだ。
米国は歴代5政権の26年にわたって、結局は手放さざるを得ないもののために、約4500人の戦死者と数兆ドルの国費という高い代償を払ってきた。
イラク政府における米国の影響力は限定的であり、あいかわらずオバマ前政権時代に築いたイランとの核合意からの離脱ばかり考えているトランプ政権の下で、イランとの関係も揺らいでいる。
イランは、分裂した状況を利して、かつては「イラク」と呼ばれていた殻のなかに新たなレバノンを生み出そうとしている。
トランプ政権がイラン政府との外交関係を閉ざしておくことに執着している限り、米国政府が影響力を行使する方法はほとんどないだろう。これを心得た他の中東諸国は、たとえば中国やロシアとの関係強化など、国際関係を多角化している。
これらの状況が、「強力になりすぎた」イランと米国の将来的な紛争の予兆であるならば、私たちはまことに皮肉な悲劇を目撃したことになる。
*筆者は米国務省に24年間勤務。著書に「We Meant Well: How I Helped Lose the Battle for the Hearts and Minds of the Iraqi People」など。
*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)
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筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。