コラム:日系米国人が「人間以下の扱い」を受けた時代

コラム:日系米国人が「人間以下の扱い」を受けた時代
 12月21日、パリ同時攻撃などを受けて、ムスリムおよび米国人ムスリムをめぐる危険で破壊的な言説が極限にまで達しており、今まさに歴史が繰り返すのではないかという危惧を抱かざるをえないと、マイク・ホンダ米下院議員は考えている。写真は父親の膝に乗るホンダ議員。日系人強制収容所で生活していたときに撮影された。ホンダ議員提供(2015年 ロイター)
マイク・ホンダ米下院議員
[21日 ロイター] - パリ、カリフォルニア州サンバーナディーノで起きたテロ攻撃を受けて、ムスリムおよび米国人ムスリムをめぐる危険で破壊的な言説が極限にまで達している。
共和党の大統領候補の一部はムスリムの入国禁止を唱えているし、民主党出身のバージニア州知事はシリア難民の収容所送りを要求している。
今まさに歴史が繰り返すのではないか、という危惧を抱かざるをえない。
私は日本人を祖先に持つ日系3世の米国人である。生まれはカリフォルニア州ウォルナット・グローブだ。しかし私の家族と私自身は、見た目が敵国人に似ているというだけの理由で、敵性外国人に分類された。コミュニティーから引き離される前に、私たちが知っていた生活は奪われた。
1941年12月7日の真珠湾攻撃の後、米国は日本による攻撃を理由に私たちを非難した。1988年の「市民の自由法」に言う「戦争ヒステリー、レイシズム、政治的リーダーシップの欠如」ゆえに、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は大統領命令第9066号に署名した。日系米国人のコミュニティーを収容所送りにする命令であり、私たちの生活とコミュニティーを決定的に変えてしまった。
1942年2月19日、米国政府は「日本人の祖先を持つ外国人および非外国人」すべてを移住させると発表した。わが国の政府には、私たちを「市民」または「市民以外」と呼ぶ良識さえもなかったのである。そして、軍が大統領命令第9066号を執行し、私たちを「米国式強制収容所」に収容した。
日系米国人は皆、手に持てる範囲の荷物しか持参することを許されなかった。私たち日系米国人たちが収容所に向かう準備をしていると、置いていかざるをえない家財を買いたたこうとして、抜け目のない隣人たちが家にやってきた。大切な家宝をできるだけ値切り、細々したものまで捨て値で買い取っていった。
他の近隣住民は、私たちが夕食をとっているあいだに遠慮なく家に入り込んできた。彼らは少しもためらうことなく、私たちの所有物を持ち去った。こうした人々から見れば、そして米国から見れば、私たちなどいないも同然だった。眼中になかったのである。
私の家族をはじめ、あらゆる日系米国人の土地や大切な家財は、売り払われるか、盗まれてしまった。親切な隣人が保管してくれたのは、ごくまれなケースだった。各家庭では、誤解を招くことを恐れて、祖先にまつわる書類を焼くか土に埋めた。私たちが大切にしていたものはたたき売られてしまった。
たとえば私の祖父は、サクラメント川の土手に近いへき村地域で、開業まもないガソリンスタンドを営んでいた。最初に米国の官憲が訪れたとき、彼らは祖父のラジオを持ち去った。彼らは翌週またやって来て、懐中電灯と、残っていた電気製品を持って行った。これ以上彼らが何かを奪いに来るのを恐れて、祖父は真新しいピックアップトラックからタイヤを外し、サクラメント川に放り込んだ。祖父は怒りを込めて、「私が持っていられないとしても、彼らには渡すものか」と言った。
祖父は書類上こそ米国市民ではなかったが(反アジア人的な排他性を帯びた移民法が原因だ)、心情的には米国に同化し忠誠を尽くしていた。だからこそ、彼は不信と疑いの対象になったことに、ひどく傷つき、怒り、恨んだのである。「反抗的な態度」のせいで、彼は私たち家族から引き離され、「ハイリスク」と認定された者のための別の収容所、カリフォルニア州チュールレイクに送られた。収容所から解放されて、ようやく祖父は市民権を得ることができた。
米国政府は私たちに、移住は私たちの安全と保護のためだと告げていた。だがM1ライフルなどで武装した兵士が私たちを連れ去るために家に来たのを見れば、少しでも怪しい素振りを見せたら撃たれることは明白だった。私たち家族は、サクラメント川沿いの地域からカリフォルニア州マーセドにある屋外市の会場へと運ばれた。到着するなり、私たちは全員、馬小屋を掃除して、そこを新しい家として使うことを強要された。やがて、こうした非衛生的な条件を原因とする赤痢で、たくさんの高齢者や乳幼児が命を落とすことになった。
数カ月後、私たちはコロラド州アマチの強制収容所に移動させられた。ライフルを構えた兵士が私たちを列車に乗せた。どこに向かうか分からないよう、車窓のブラインドは下ろされていた。
アマチに落ち着いてからは、自治が認められた。私たちは店や郵便局、学校を建て、ボーイスカウトのミーティングも開催した。うわべだけでも正常な生活を取り戻そうとしたのである。父はよく私にこう言った。「私たちを保護するために収容所に送られたなら、なぜ有刺鉄線が張り巡らされ、機関銃を外向きにではなく内向きに設置した監視所があるのか」
暇つぶしのために、私たちは古き良き米国のスポーツである野球を楽しみもした。だが、ボールが有刺鉄線の外に出てしまうと、それを取りに行こうとする者を警備員が恐ろしい剣幕で「そっちに行くな、撃つぞ」と怒鳴りつける。すぐに警備員の指示に従わなかったために実際に撃たれた人もいた。
憲法上の権利は踏みにじられた。忠誠心や市民権は無視された。だが、それでもなお軍に志願したいと思う者は多かった。当初、志願は却下された。その後、政府は方針を変え、日系米国人の徴兵を始めた。その多くは第100歩兵大隊および第442歩兵連隊戦闘団に配備され、軍のなかでも最も多くの勲章を受けた連隊となった。
軍は日本語を知っている人材も求めていた。父は軍情報部での勤務を志願し、海軍の情報将校に日本語を教えた。自分の家族とコミュニティーを有刺鉄線の向こうに閉じ込めた、その同じ政府のために父が喜んで働くというのは残酷な皮肉だった。
戦争が終わると、多くの日系米国人は自宅に戻ったが、土地も家も奪われ、家財は盗まれていた。だが、少数ながら幸運な者もいた。隣人のなかに、私たちを収容所に送り込むことの間違いを理解し、私たちの家財道具を忠実に保管してくれる人がいたのである。彼らは注意深く家財を守っていてくれた。本当の友人である。大切なのは、このような友情なのだ。
戦後の世界は私たちを疑いの目で迎えた。当時の米国で育った多くの日系米国人の少年と同様に、私はいじめられ、からかわれた。日本人の血を引くことを恥ずかしく感じながら育った者も多かった。
米国史におけるこの暗黒の一章が与えたトラウマは、長く日系米国人社会、特に私たちよりも年長の世代を悩ませた。彼らの苦しみと経験は言葉に表しようもなく、深く心中に刻まれていた。
1988年、連邦議会は「市民の自由法」を可決し、レーガン大統領が署名した。不当に収容所に送られた日本の血を引く米国民に対する公式の謝罪である。わが国の政府は過ちを犯したが、謝罪し、結果として多くの傷を癒やした。
そして2011年、私たちの生活を決定的に変えてしまった事件である真珠湾攻撃から70年を経て、オバマ大統領は、第2次世界大戦時に従軍した日系米国人に対して議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名した。亡父の代理として勲章を受け取った私は、ことのほか感動した。
米国はもっとうまくやることができる。私たちのコミュニティーに対する不公正を謝罪することで、ようやくそれが証明された。
今年のクリスマスシーズンは、世界中で多くの人々が恐怖から逃れて故郷を離れている。
何百万人というシリア人が、身の回りのものだけを持って、難民キャンプで暮らしている。ここ米国では、米国人ムスリム、米国人シーク教徒などが、嫌がらせと暴力におびえながら暮らしている。パリやサンバーナディーノでの残虐行為の犯人たちと、似たような風貌で同じ信仰を持っているというだけの理由で。
同じ過ちを繰り返せば、私たちは前に進むことはできない。レイシズムと偏狭さが、米国人の良心と善意を凌駕(りょうが)することを許すわけにはいかない。日系米国人強制収容の悲劇を繰り返すことはできない。いや、繰り返してはならない。
突き詰めて言えば、私は、あの強制収容を日系米国人にとっての教訓にしたいとは思わない。これは米国民にとっての、合衆国憲法の保護のもとにあるすべての人々にとっての教訓であるべきなのだ。
*筆者はカリフォルニア州選出の下院議員(民主党)。シリコンバレーを含む選挙区を地盤とし、下院予算・歳出両委員会で委員を務める。
*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)
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