コラム:アップル叩きは米国の自滅

コラム:アップル叩きは米国の自滅
1月25日、米アップルが先に発表した第1・四半期決算に対する反響は、そのほとんどすべてが否定的なものだった。同社の一時的ではあるが転落の物語の背景にあるのは、米国の文化的側面だ。写真はニューヨークのアップルストアで昨年9月撮影(2013年 ロイター/Lucas Jackson)
By Zachary Karabell
米アップルが先に発表した第1・四半期(2012年10─12月)決算に対する反響は、そのほとんどすべてが否定的なものだった。ほぼ全ての数字が堅調だったことを考えれば奇妙なことだが、証券アナリストとはそういうものだと考えれば、必ずしも驚きではない。
しかし、アップルの栄光と一時的ではあるが転落の物語の背景にあるのは、もっと厄介な私たちの文化的側面だ。私たちは、いとも気まぐれにヒーローを抹殺してしまう。
アップルの株価は、昨年9月に700ドルを突破して過去最高値を付けた後は急降下していたが、今回の決算を受けてさらに10%以上も下落した。過去4カ月で同社の株式時価総額は約2350億ドルが吹き飛んだ格好。S&P500種採用企業のうち、株式時価総額がこの数字を上回るのは3社しかない。また、2350億ドルという数字は、世界140カ国以上の国内総生産(GDP)より大きい。
こうした株価の下落は、金融・ITメディアの極めて悲観的な分析に歩調を合わせたものだ。CNBCのジム・クレイマー氏は、故スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)の後を引き継いだティム・クック現CEO率いる現在の経営陣が、人の心をつかんで離さないようなビジョンを打ち出せていないと批判した。
さらに、今のアップルには製品開発パイプラインもビジョンもなく、成長もほとんどないとの声さえ聞こえてくる。著名投資家のジェフリー・ガンドラック氏は「破綻した企業」と一蹴する。
しかし、アップルはさまざまな点で重要な意味を持つ会社だ。米国のイノベーションを代表する企業であるだけでなく、消費者にとって同社の製品は自己表現の一部であり、単なるハードではない。過去数年、同社の株価はそれを雄弁に物語ってきた。
では、一体何が起きたのだろうか。アップル株の急落で最も驚かされることは、決算の内容が実際には素晴らしい内容であることだ。アップルは成長が止まったどころか、まだ急成長している。2012年10─12月の売上高は545億ドルで、前年同期比では18%増加した。「iPhone(アイフォーン)」の販売台数は4700万台と前年の3700万台から1000万台増え、「iPad(アイパッド)」も前年の1500万台から2300万台に販売台数を伸ばした。
確かに、純利益はほぼ横ばいであり、アナリストは懸念材料として利益率の低下を指摘する。ただ、だからと言って、ブラックベリーやノキアにとって致命的となった市場シェアの縮小を意味する訳ではない。アップルは、最大のライバルとなった韓国サムスン電子と競争しながら、これまでスマホの世界市場でシェアを伸ばしてきた。
また、低い利益率などの問題はアップルに限ったことではなく、アマゾンやリンクトインのような企業にしばしば認められる言い分でもある。
アナリストが奇妙なやり方で企業を評価することはこれまでもあったが、今回のアップルは特にそうだと言える。アップルが現代の偉大な企業だと称賛され、ベストセラーとなった伝記本でジョブズ氏が稀代の天才ともてはやされたのは、つい昨日のことではなかったか。
アップルの最近の叩かれぶりは驚くほどだが、それ以前の栄光もまた驚くほどだった。1990年代後半には死んだも同然として忘れ去られていたが、2000年半ばまでには卓越した革新的IT企業としてよみがえったのだ。
アップルは今、過去の企業とみられつつある。サプライチェーンの合理化を得意とするCEOが率いる同社は、中国メーカーが作るような携帯電話や、世界のどの企業が作っても同じようなタブレット端末しか作れず、もはや大きな夢など存在しないと。
アップルが社会の変革者だというのは迷信だと言うのは正しいかもしれない。ヒーローを抹殺するのも今の時代に限ったことではないだろう。それでも、持ち上げて落とすそのスピードは息を飲むほどだ。それは文化的な創造的破壊に等しい。創造的要素がどこにあるかを見極めるのは、経済的な創造的破壊に比べて困難なことではあるのだが。
競争が激しく、移り気で容赦ない業界にアップルが身を置いているというのは事実だ。電話やタブレットは生活必需品となっていると同時に、ファッションにもなっている。ある時はクールでも、次の瞬間には飽きられる。アップルでさえ、それは例外ではない。
もしかしたら、市場とメディアは、避けては通れない過程を単に早めているにすぎないのかもしれない。頂点に立っていられるのは、騒ぎや関心が他に移るほんの一時のこと。その意味において今のアップルは、大企業ではあるものの、人気の入れ替わりが激しい子役のようだと言えるかもしれない。
しかし、アップルたたきに込められた文化的メッセージは、消えていく若手女優に対するそれより苛烈なものだ。
騒ぎの中、アップルは業績を伸ばし続け、顧客のニーズと要望に応え続けている。差し当たり、アップルの死亡記事を書いているのは主にメディアと証券会社のアナリストであって、顧客ではない。
メッセージは正しいと証明されるかもしれないし、そうではないかもしれない。どちらにせよ、おとしめることの容易さに比べ、価値ある何かを創造することがいかに困難であるかという視点が完全に欠如していることで、前向きなメッセージはおろか、私たちの「良き本性」も現れることはない。
アップルには常に頂点からの転落の可能性があった。ただそれは、自らの失敗からではなく、他の企業の成功によってだ。アップルの物語は、近年の米国にみられる物語を象徴している。つまり、結末を見るのを急ぐ傾向だ。
アップルの成功は、米国の輝かしい一面を示している。他方、同社に対する最近の反応は、われわれが自滅を得意としていることも物語っている。
(25日 ロイター)
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