コラム:漂い始めた英「合意なき離脱」、覚悟超えるショックも=唐鎌大輔氏

コラム:漂い始めた英「合意なき離脱」、覚悟超えるショックも=唐鎌大輔氏
 12月4日、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミストの唐鎌大輔氏は、すでに市場にはノー・ディール(合意なき離脱)シナリオをある程度覚悟している雰囲気があると指摘。 写真はメイ英首相。11月25日にベルギーのブリュッセルで撮影(2018年 ロイター/Dylan Martinez)
唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
[東京 4日] - 12月に入り、いよいよメイ英首相は欧州連合(EU)と合意した離脱協定(ブレグジット)案の承認を目指し、議会の審議に臨む。もし議会が首相案を否決した場合、内閣不信任案提出、そして総選挙へという流れを想定する向きもある。
議会の承認期限は来年1月21日と、まだ1カ月半以上残っていることを考えると、メイ政権に対する離脱強硬派の抵抗はしばらく続くことが予想される。同時に、内閣不信任案、解散総選挙といったフレーズが市場心理、とりわけポンド相場の重しとなる事態が続くだろう。
市場では議会での可決が難しいことを見込み、「ノー・ディール(合意なき離脱)」に備えよ、という論調も珍しくなくなっている。英国がEUに、来年3月29日に設定されている離脱日の先送りを要請するのではないか、との見方も一部浮上しているが、まだ大勢とは言えない。市場が先送りを本格的に織り込んでくれば、まず低迷しているポンド相場が復調してくるはずだが、本稿執筆時点ではそうはなっていない。
<ノー・ディールとBOEの限界>
一方、イングランド銀行(英中央銀行、BOE)のカーニー総裁は11月、EUと英政府が合意した離脱案に支持を表明。カーニー総裁は、「移行期間を設けることの重要性を最初から強調してきた」とした上で、協定案の肝である「(2年弱の)移行期間延長の可能性」に注目していると述べている。
中銀総裁としては、たとえ時間がかかろうとも、軟着陸に至る環境をできるかぎり整備することが望ましいのは当然である。とはいえ、「ノー・ディール」シナリオを非現実的なものとして切って捨てられるような状況でもなく、「移行期間を延長する可能性」もろとも、全てが破談になる可能性も意識しておく必要がある。
カーニー総裁は、そうしたシナリオに至った場合でも中銀にできることは限定されると牽制。具体的には、BOEが利下げで対応すると想定してはならないと強調しており、万一の展開になっても景気刺激策で応戦する構えがないとの立場を明示している。
<迫られるのは利下げではく利上げ>
ノー・ディール・シナリオとなった場合に、BOEが実際に迫られるのは利下げではなく、恐らく利上げである。EU離脱を決めた16年6月の国民投票後を思い返せば分かるように、今回も合意なき離脱で悲観ムードが極まった場合、ポンド相場は急落を強いられ、英経済は輸入物価経由で一般物価の大幅な上昇に直面する可能性が高い。
2年前は国民投票を境にポンド相場が急落を始め、ほぼ同時に消費者物価指数(CPI)も押し上げられた。より正確には、ポンド相場が反転、上昇に転じた後も、CPIはしばらく騰勢が続いた。ポンドの実質実効為替相場の下落幅(前年比)は、16年11月を底として浮揚してきたが、CPIがピークをつけたのはそこから1年以上経過した17年10─12月期で、この3カ月間は前年比プラス3%で推移した。
すべてが為替相場からのパススルー効果(浸透効果)ではないだろうが、大きく寄与したであろうことは想像に難くない。通貨の大幅下落による実質所得環境の悪化を緩和すべく、BOEが通貨防衛のための利上げに動いたことは周知の通りである。
ノー・ディール離脱ともなれば、このときに経験したショックと同程度か、それ以上のポンド安は不可避だろう。BOEは、すでに2回の利上げを経験した現行水準から、さらに追加利上げを強いられることになる。
ノー・ディールになってもBOEの利下げで対応可能、と考えるのは大きな思い違いであり、むしろ、利下げで対応したくても真逆の対応を強いられる、という状況が想像される。中銀としては極めて厳しい局面であり、だからこそカーニー総裁は、「安易にそのような事態を想定すべきではない」と注意喚起をしたかったのではないか。
<英国ではすでに買いだめ現象>
離脱方針決定後、ポンド相場はBOEの利上げと共にかなり値を戻しており、ノー・ディールとなってもさほど悲観する必要はないという意見もあるかもしれない。だが16年の国民投票時点では、実際の離脱までには2年以上の時間的余裕があり、そうは言ってもソフト・ブレグジットになる、などの思惑もあった。
ノー・ディールが決まれば、単なる離脱「方針」の決定に過ぎなかった国民投票時より実際的な影響を持つだろう。カーニー総裁の言葉を借りれば、「少なくとも(石油ショックに見舞われた)1970年代までさかのぼらなくてはならない」ほどの震度が予想される。
果たして今度は、BOEによる1─2度の利上げで下げ止まるかは不透明と言わざるを得ない。すでに市場では、ポンドは国民投票後の安値を割り込み1.10ドルまで急落するという見通しも目にする。
そもそも国民投票後、ポンド相場が下がった以外、実体経済に具体的な変化があったわけではない。当の利上げも、「通貨防衛のための一手」というより「好景気に対応する一手」と解釈される雰囲気が強かった。実際、BOEは17年11月に利上げに踏み切った際、実質国内総生産(GDP)の成長率加速や失業率の低下などを理由として挙げていた。
国民投票で離脱方針を決めても、EUから即離脱するわけではなく、関税や非関税障壁が突然復活することによる景気失速や、社会的混乱を懸念する必要はなかった。
しかし、ノー・ディールで離脱すれば、英国とEUの輸出入には共通関税が課されるようになり、英国民が品不足に直面するケースも多々出てくるだろう。すでに英国では買いだめ行為が発生しており、それにより景気が上向いているという声すら出始めている。実体経済において、ノー・ディールを現実に起こり得るものとして受け止める向きが出てきた好例だろう。
<市場に漂う覚悟>
ノー・ディール・シナリオを警戒すべきとの論調が広がってきたことで、逆に、数あるリスクの1つに過ぎないと捉える向きも増えている印象がある。
そんな油断は禁物で、未曾有のショックに見舞われる恐れがあり、BOEに打つ手はないので、必ず現行の離脱案で決着させるべきだ──。カーニー総裁は、このような警鐘を鳴らしたかったのではないだろうか。
オプション市場では、ポンド相場の下落に備え始めた様子がうかがえる。ポンド/ドルのプットオプションとコールオプションの売買の傾きを示すリスクリバーサル、予想変動率(インプライド・ボラティリティ)を見ても、16年6―7月並みの緊張感が漂っている。すでに市場には、ノー・ディール・シナリオをある程度覚悟している雰囲気がある。
しかし、カーニー総裁が警告するように、事実は覚悟を優に超えるほどのショックをもたらす可能性がある。
(本コラムは、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
(編集:久保信博)
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行国際為替部のチーフマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。
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