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50歳を迎えた異色のピン芸人「漫画家を目指すも挫折」「娘のためにオムライス」知られざる素顔を明かす

「地元で冠番組を持ちたい」、かねて秘めていたそんな野望を50歳にして達成したのが、ピン芸人のハリウッドザコシショウさん。SBS(静岡放送)で月1回放送中のバラエティ番組『冠ザコシの冠冠大冠』もスタートし、好評を博しています。そんなザコシショウさんに、ご自身の芸歴30年を支えてきた奥様や娘さんについて、お話を聞きました。

芸人、漫画家、会社員。一番可能性があるのが芸人だった

ハリウッドザコシショウ――1993年にデビューして、かれこれ芸人として30年以上活動されています。売れない時期が続くと自信を失う人も少なくないなか、芸人を続けてこられたのはなんでだと思いますか? ザコシショウ:実は、一度「もう、お笑いをやめたいな」と思ったときもあったんです。コンビ活動を休止して、ピンになったばかりの頃なんですけど、どういうスタイルで取り組めばいいのかがわからなくなってしまって。そのときに、何を思ったか「芸人をやめて漫画家になろう」と思って、出版社に漫画の持ち込みに行ったんです。 ――すごい切り替えぶりですね。 ザコシショウ:ですよね、でも、全然ひっかからなかった(笑)。そこで、「明日から何をめざそう」と迷ったとき、自分で「いま得意なものは何か」「その能力のなかでできることは何か」を箇条書きにしてみたんです。「10年間続けて辞めたお笑い」「バイト」「漫画家」「就職する」といった選択肢を書き出して、自分の能力のバロメーターと照らし合わせたときに、自分がブレイクする可能性が一番高いのは、「10年間続けたお笑い」だなって。そこで、お笑いをもう一度イチから真面目に勉強するようになってから、人生が変わりました。 ――自分の強みを考えたときに、一番可能性があるのがお笑いだった、と。戦略的ですね。 ザコシショウ:でしょ? 僕、結構戦略的なんです(笑)。実際、昔、ビジネス系の雑誌でこの戦略について取材されたこともあります。でも、その記事をケンコバに読まれて、めちゃくちゃいじられましたけど。でも、思いません? 僕がケンコバと同じようなボケをしても、絶対にウケないし、いつまでも彼には勝てない。自分の強みを活かして勝てる戦略を考えた結果、いまがあるのかなって思います。

食べられない時代、「弁当」で支えてくれた妻

ハリウッドザコシショウ――奥様は、売れない時代からお付き合いされているとか……。 ザコシショウ:はい。全然売れてなくて、お金もまったく持っていないときから、妻にはよく助けてもらいました。いまだに思いだすのが、結婚前、彼女が僕の部屋によくのり弁当を置いておいてくれたことです。それが、明太子とか入ったちょっと豪華なのり弁で……。腹を減らしてバイトから帰ってきたとき、目の前に食べるものがあるって、ありがたいじゃないですか? 本当に感謝しました。 その後、彼女から「そろそろ結婚を考えたいんだよね」と言われたときは、「じゃあ、しよう」と返事して。ただ、結婚しても絶対にお笑いを捨てる気はなかったから、「芸人は続けるからね」と意志確認はしましたけど。 ――お笑いに対して、理解のある奥様なんですね。 ザコシショウ:いや、お笑いへの理解は全くないです(笑)。いまだに「そのネタ、やめな」とか「そのネタ、気持ち悪い」とか言われますし。にもかかわらず、僕が出ているテレビはもちろん、YouTubeやラジオも結構チェックしているんです。だから、意外と見なくていい部分を見ていたりします。「この前、番組で好きなグラビアアイドルの名前言ってたけど、あの人が好きなんだね」とか言われて。ドキドキします(笑)。
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得意料理はオムライス。美味しく仕上げるコツは…
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