ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
投稿日:2024.01.14 カテゴリ:奈良公園とその周辺
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいですね。...
投稿日:2024.01.13 カテゴリ:奈良公園とその周辺
写真関係の記事などを見ていると結局は写真というのはカメラと被写体なんだろうなあとしんみりと思えてくるのです。写真を撮る人、それを写真家と呼ぼうと、カメラマンと呼ぼうとはたまたフォトグラファーと呼ぼうと気のせいか影が薄くなってくるように感じます。特に被写体の存在感が半端でない時、それを撮った人は誰でもいいのかなあ~と力がぬけてゆくように思います。「あなた誰?」「そ、その写真を撮った者です!」「あ、そ...
投稿日:2023.12.13 カテゴリ:奈良公園とその周辺
写真はおそらく被写体を超えることはできないと思っています。被写体の姿を借りて別の何かに変えること、それが被写体へのお礼のような気がします。何かを生み出せればいいのですが、それは簡単ではない気がしています。...
投稿日:2023.12.02 カテゴリ:奈良公園とその周辺
「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でも最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分かっている必要があるのではと思うようになりました。でも「人間とは何か」完全に分かっている人っているのでしょうか?「写真だもの」も同じように思います。「私に写真で分かっていないことなんてない!」そんな人・・・いるかどうかですね。たぶん、ですがどちらも永遠の謎ではないでしょうか...
投稿日:2023.11.12 カテゴリ:奈良公園とその周辺
写真は撮るモノから作るモノになりました。写真は「撮る楽しみ」から「作る楽しみ」のメディアに変質したのです。写真表現の主人公は「光」から「人」になりました。かつて写真家は「光」に操られる人だったと思うのですが今、写真家は「光」を操る人になったのではないでしょうか。写真家は「光の魔術師」と言われていましたが写真家自ら名乗らなくとも人々がそう呼んだのです。「光」に選ばれた写真家だけが光を操ることが可能だ...
投稿日:2023.10.26 カテゴリ:奈良公園とその周辺
半年以上ぶりの奈良公園です。ココへ出かける前にはいつも思っていることがあります。「今度こそ、鹿、あまり撮らんとこ」でも、公園に着けばまったく撮らない訳ではなくて出かける前のことはすっかり忘れて、今回も撮ることに。パチパチ撮っていると、1頭の鹿と目が合いました。思わず愛想笑いを返したのですが、アッサリと視線をそらされたのでした・・・その後は、せっかくやって来たのだからと気を取り直して撮影を続けたもの...