SNS(ソーシャルネットワーキングサイト/サービス)のユーザー加入数が頭打ちになってきており、また、その利用時間も減少気味であるという。mixiなど2004年初めから日本でも開始されたSNSだが、2006年をピークにその利用は峠を越してしまったのだろうか。
海外の研究者と共著でSNSに対する考察を書いている。日本、韓国、米国でSNSというサービスが社会的にどのようにとらえられ、またユーザーはどのような利用行動をとっているのか、各国で異なるSNSサービスに求められる特徴とは何か、といった議論をしている。
それぞれ手元にあるデータや、対象とするSNSの仕様そのものが異なっているため、3カ国(論文では日韓2カ国の比較が中心となる予定)の完全な比較は難しい。だが、ほかの著者らとのやり取りを通じて感じているのは(きわめて粗っぽい仮説だが)、日本におけるSNSは人と人の「つながり」を重視し、つながった相手の動向を知ること、そして自分の動向を知らせることを志向する傾向が強いということだ。
このことは、日本でのSNSの利用が基本的に「中毒化」しやすく、利用状況が濃くなれば濃くなるほどにそのSNSへのコミットが求められ、間断なきアクセスとテキストや写真といったインプットをせざるをえなくなる、もしくはなりがちだという可能性を示している。言い換えれば、始めてしまうと止まらなくなり、それが面倒だという人にはあっさりと飽きられてしまうことになる。
この傾向は、最近、インターワイヤードが行ったアンケート調査の結果でもあらわれている(参照:SNS認知は約5割も実際の登録は3割弱--やめたのは「面倒になったから」)。また、SNS最大手のmixiが発表した、ケータイからのアクセスが全体のアクセスの3割を占めるようになっていることや、EZ GREEあるいはモバゲータウンのユーザー数の急増にあるように、常にアクセスを可能とするケータイとSNSの相性がいいことにも示されるだろう。
一方、CyWorldに代表される韓国の、あるいはMySpaceなど米国のSNSの特徴とは何だろうか。両者は日本ほどに「つながり」重視ではなく、どちらかというと、情報発信に重きを置いている。韓国のSNSで象徴的なのはアバターの重視と、マイページ(Minihomepy)のカスタマイズなどへの注力がある。あえて言うならば、自己愛/自己主張型といってもいいだろう。このことが、日本と並んでケータイ大国と称される韓国で、それほどにはケータイからSNSへのアクセスが活発でないことに反映されているのかもしれない。
また、MySpaceなど米国のSNSはCyWorldほどにカスタマイズはできないものの、自己情報発信の、あるいは何らかの目的達成(近所の人や同郷、あるいは同じ趣味を持つ人探しや、彼らとの情報交換)のためのツール、あるいはプラットフォームとしてとらえたほうがわかりやすい。もちろん、それで言うならばブログを検索すれば十分だろう、という意見も聞こえてくるが、やはりある程度は同じフォーマットで記述されていたほうが、検索時のヒット率も高く、そしてエントリされた記事よりも書いているその人を知るには便利であるに違いない。
いずれにしても、韓国や米国発のSNSが、ユーザー登録してもそれほど大きなコミットを暗黙のうちに求めるわけでないために、利用時の心理的な負荷は少なく、新規登録、あるいは継続利用へのバリアは低いに違いない。結果として、より多くの人に受け入れられているのかもしれない。
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