高井敬義
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高井 敬義(たかい のりよし、1844年9月18日(天保15年8月7日)[1] - 1917年(大正6年)12月10日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]阿波国(現徳島県)で徳島藩士の子として生まれる[3]。西南戦争に従軍する[3]。1887年(明治20年)8月、歩兵第10連隊長に補され、1892年(明治25年)2月、陸軍歩兵大佐に進み、同年12月、近衛歩兵第4連隊長となる[4]。ついで南部兵站監、歩兵第6連隊長を経て、1897年(明治30年)9月、陸軍少将に進級し、歩兵第15旅団長に補された[4]。翌年4月、台湾守備混成第3旅団長に転じ、歩兵第24旅団長を経て、1901年(明治34年)4月、一時休職する[4]。1903年(明治36年)12月、予備役に編入するが、翌年3月、日露戦争が勃発すると召集を受け留守第3師団長となり、1906年(明治39年)3月、陸軍中将に進み、再び予備役に編入した[4]。1917年(大正6年)12月10日卒去。墓所は青山霊園。戒名は誠忠院殿高風敬義大居士。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。