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進藤純孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しんどう じゅんこう
進藤純孝
進藤純孝
進藤 純孝 (昭和29年)
本名 若倉 雅郎
生年月日 (1922-01-01) 1922年1月1日
没年月日 (1999-05-09) 1999年5月9日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都
民族 日本人
職業 文芸評論家随筆家小説家
著名な家族 長男 若倉雅登 医学者眼科医
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進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年大正11年)1月1日 - 1999年平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家随筆家小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。

川端康成志賀直哉芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登

来歴

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著書

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  • 『戦後文学の旗手』(ユリイカ、1955年)
  • 『反逆的作家論』(現代文芸社、1957年)
  • 『ジャーナリスト作法』(角川書店、1959年)
  • 『マス・コミの中の文学』(雪華社、1960年)
  • 『親と子供と先生と』(大阪教育図書、1961年)
  • 『考える女性の生き方』(白鳳社、1963年)
  • 『芥川龍之介』(河出書房新社、1964年)
  • 『川端康成その人その作品』(冬樹社、1969年)
  • 『日本の青春』(毎日新聞社、1969年)
  • 『志賀直哉論』(新潮社、1970年)
  • 『ロシア三人旅・七色の風船』(集英社、1976年)
  • 『伝記川端康成』(六興出版、1976年)
  • 『作品展望・昭和文学』上下(時事通信社、1977年)
  • 『文壇私記』(集英社、1977年)
  • 『伝記芥川龍之介』(六興出版、1978年)
  • 『どうしたらよかろう』(六興出版、1979年)
  • 『現代文章講義』(明治書院、1984年)
  • 『都に死す』(福武書店、1989年)母の伝記
  • 『山月記の叫び』(六興出版、1992年)中島敦
  • 『ふり向けば独りきり』(光人社、1993年)回想記

共著

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  • 『文壇百人』巖谷大四尾崎秀樹共著 読売新聞文化部編 読売新聞社 1972年
  • 『長良川悲憤 豊田穣の霊に捧ぐ』中日新聞本社 1996年

参考文献・外部リンク

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