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近衛家平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
近衛 家平
近衛家平像(天子摂関御影
時代 鎌倉時代後期
生誕 弘安5年(1282年
死没 元亨4年5月14日1324年6月6日
別名 号:岡本関白
官位 従一位関白左大臣
主君 伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇
氏族 近衛家
父母 父:近衛家基、母:鷹司朝子鷹司兼平の娘)
兄弟 家平経平良覚慈勝信助近衛兼教
経忠覚実慈忠、女子
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近衛 家平(このえ いえひら、旧字体近󠄁衞 家平󠄁)は、日本鎌倉時代後期の公卿関白近衛家基の長男。官位従一位・関白、左大臣近衛家7代当主。号に岡本関白

経歴

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正応3年(1290年)8月元服、叙爵。右近衛少将権中納言内大臣右大臣、左大臣を経て、正和2年(1313年)7月に関白藤氏長者になるが、正和5年(1315年)9月に辞任。

元亨4年(1324年)3月29日に出家し、同年5月14日[1]に薨御。享年43。

日記『岡本関白記』が残る。

系譜

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脚注

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  1. ^ 5月12日説・5月15日説もある。