田村美佐子
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国籍 | 日本 | ||||||||||||||
泳法 | 自由形 | ||||||||||||||
生年月日 | 1934年4月8日(90歳) | ||||||||||||||
生誕地 | 日本 和歌山県伊都郡妙寺町 | ||||||||||||||
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田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日[1] - )は、日本の元競泳選手。現姓は斉藤[2]。
経歴
[編集]和歌山県立伊都高等学校在学中[5][6]、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子400m自由形に出場したが予選落ちに終わった[1]。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した[1]。1954年アジア競技大会では女子400m自由形に出場し優勝した[7]。
のちに、天理短期大学保健体育科に進学。
現役引退後は、トータル・オリンピック・レディース会の会計監査を務めた[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c “Misako Tamura”. Olympedia. 2021年3月28日閲覧。
- ^ “【近況報告】ヘルシンキ会(水泳)懇親会”. 日本オリンピアンズ協会 (2008年6月30日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “和歌山県のオリンピック選手のあゆみ”. 和歌山県体育協会. 2021年3月28日閲覧。
- ^ “1952年 ヘルシンキオリンピック 〈日本女子選手11名の記憶〉”. TOL/Total Olympic Ladies (2016年11月17日). 2021年3月30日閲覧。
- ^ 中澤 2010, 43頁.
- ^ 束原 2013, 264頁.
- ^ 日本水泳連盟 1955, 155頁.
- ^ “【近況報告】競泳オリンピアン 田村 美佐子 さん”. 日本オリンピアンズ協会 (2008年12月24日). 2021年3月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『水泳 第103・104号』日本水泳連盟、1955年 。
- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:―1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に―」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁。
- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、2013年、242-316頁。