永井建子
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永井 建子(ながい けんし、慶応元年9月8日(1865年10月27日) - 昭和15年(1940年)3月13日)は、日本の陸軍軍人、音楽家、作曲家。最終階級は陸軍一等軍楽長(大尉相当官)。陸軍戸山学校軍楽隊第6代楽長(隊長)。広島県佐伯郡石内村(現・広島市佐伯区五日市町)生まれ。
草分けと言われる軍歌のほかに歌劇や唱歌、校歌(崇徳高等学校、早稲田実業、拓殖大学、大谷大学ほか)も多く手掛けている。軍歌『元寇』、『雪の進軍』、『歩兵の本領』(原曲『小楠公』)は特に有名。長男・永井巴も作曲家。声楽家・川崎豊は甥(妹の子)。
略歴
[編集]- 慶応元年(1865年)、寺子屋を営む永井紐太郎の子として生まれる。
- 明治11年(1878年) 陸軍軍楽隊幼年軍楽生となる。
- 明治13年(1880年)、首席で卒業し、陸軍教導団軍楽隊に配属される。
- 明治24年(1891年)、軍楽次長となる。
- 明治27年(1894年)、第2軍司令部附軍楽隊員として、日清戦争に従軍する。
- 明治28年(1895年)、威海衛作戦に参加。従軍体験を元に『雪の進軍』を作る。
- 明治36年(1903年)、楽長補佐としてフランスへ留学。
- 明治37年(1904年)、フランスから帰国後、陸軍戸山学校軍楽隊楽長となる。
- 明治38年(1905年)、日比谷公園音楽堂の初回奏楽で指揮をする。
- 明治42年(1909年)、任陸軍一等楽長(大尉相当官)。のちの昭和17年(1942年)に陸軍軍楽少佐が新設されるまで、陸軍一等楽長(陸軍軍楽大尉)は軍楽部の最高位[1]。
- 明治43年(1910年)、日英博覧会のため部下35人を引き連れロンドンへ出向く。航海途中半年間上陸した各所でオーケストラを率い3,700曲を演奏。
- 大正4年(1915年)、予備役編入。その後は、帝国劇場洋楽部部長等を歴任する。
- 大正12年(1923年)、関東大震災により広島に帰郷。広島市古田町古江(現・西区古江)に居を定める。
- 昭和15年(1940年)、死去。享年74。
主な作品
[編集]著書
[編集]脚注
[編集]参考書籍
[編集]- 堀雅昭『戦争歌が映す近代』葦書房、2001年。