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板垣政参

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板垣 政参(いたがき まさみつ、1882年明治15年)11月8日 - 1967年(昭和42年)10月28日[1])は、日本医学者教育者医学博士内分泌黄体ホルモンの生理学的研究で知られる。久留米大学附設中学校・高等学校を設立したことが有名である。

人物

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岩手出身。板垣征四郎の兄。旧制盛岡中学旧制二高京都帝国大学医学部卒業。1914年より3年間ヨーロッパに留学。1918年九州帝国大学教授となる。太平洋戦争中にはジャカルタ医科大学学長を務めた[2]。1953年久留米大学学長代理[1]

系譜

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家伝によれば、「板垣兼信の三男四郎義之[注釈 1]南部光行に従い、1191年建久2年)甲斐国から陸奥国糠部に移った」という。その子孫板垣伴内南部利直に仕え、政清の代より母方の姓佐々木氏を名乗る。以降代々盛岡藩士で、佐々木氏を称したが、1871年明治4年)に本姓の板垣に復した。
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  板垣伴内(初代)
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  板垣伴内(二代目)
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  板垣甚内
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  板垣政次(萬右衛門)
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  佐々木政清(甚内) 佐々木権右衛門(初代)
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            佐々木権右衛門(二代目)
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            佐々木権右衛門(三代目)※養子(実は蛇口孫四郎の弟、亥四郎)
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            佐々木登政(源吉)※養子(実は久保要作の三男、源吉)
             ┃
            板垣政純(直作、号桑蔭)
             ┃
            板垣政徳(太郎、郡長、女学校長)
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  板垣政一 板垣政参(医師) 板垣征四郎 板垣盛(海軍少将)
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  板垣賛造       男  板垣正(国会議員)
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  板垣進吾
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   女

脚注

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注釈
  1. ^ 尊卑分脈』によると、板垣兼信の子は、長男頼時と次男頼重だけで、三男「四郎義之」の名を見ない。長男頼時は「四郎」と称し、父兼信の罪に連座し、常陸配流されている。この子孫がのちに陸奥に移り住んだのであろうか。
出典

関連項目 

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