コンテンツにスキップ

徳川女系図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳川女系図
The Shogun and Three Thousand Women
監督 石井輝男
脚本 内田弘三
石井輝男
出演者 吉田輝雄
三浦布美子
有沢正子
南原宏治
小池朝雄
音楽 八木正生
撮影 吉田貞次
編集 神田忠男
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗 1968年5月1日
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

徳川女系図』(とくがわおんなけいず)は、1968年公開の日本映画吉田輝雄主演、石井輝男監督。東映京都撮影所製作、東映配給。併映は『前科者』(若山富三郎主演、山下耕作監督)。

概要

[編集]

日本の大手映画会社が初めて製作したピンク映画[1]。実質的な"東映ポルノ"のスタートで[2][3]石井輝男監督の"異常性愛路線"と呼ばれるエログロ映画第1作[4][5][6]

あらすじ

[編集]

徳川五代将軍綱吉大奥というハーレムで、やりたい放題の生活をしている。女たちは常盤井たちの御台所派と、お伝の方の二派に分れて対立していた。二派の対立は日ごとに深まり、綱吉の乱行もさらにエスカレートしていく[1]

製作経緯

[編集]

企画

[編集]

企画は"東映ポルノ"の仕掛け人・岡田茂プロデューサー(のち、東映社長)[1][7]岩崎栄の原作は題名だけがよいという理由で拝借しただけである[8]。1968年当時、"任侠映画"に続く鉱脈を探していた岡田が独立プロ製作による低予算エロ映画(ピンク映画[9]費用対効果の高さに目をつけ[10]、懐刀の天尾完次プロデューサー[11][12]に製作を指示[2][13]、自身は石井輝男に監督要請を行った[8][14]。石井は当時『網走番外地』という高倉健主演の超人気シリーズを手掛けていたが、もう飽き飽きしていて「何か別の事をやりたい」と岡田からの要請に応えた[8]

メジャー映画会社初のピンク映画

[編集]

本作以前にも大手映画会社は古くからエロティックな映画や成人映画を作ってはいたが[15]これらの映画は基本的に会社の専属女優によるエロティックな場面が一部含まれるだけで、女優のヌードセックスシーンがたくさん登場するということではなかった。ところが1960年代に入り大蔵映画国映などの独立プロがこうした性描写をメインとするエロ映画を量産し、これをピンク映画と呼ぶようになったが[16]、大手五社がこのピンク映画に手を染めることは大きな抵抗感があった[17]。しかし東映の岡田茂プロデューサーは恥も外聞もなく一線を越える[18][19]。本作が大手映画会社初のピンク映画と呼ばれる理由は、東映専属の女優以外にピンク映画の女優を大量投入したことである[1](少数出演した映画はこれ以前にも数本ある[18])。大手映画会社専属の女優は簡単には脱いでくれなかった[17]。岡田はこれらを当初「刺激性路線」とネーミングしていた[20][21]

製作

[編集]

石井は「人間はと深く関わっているが、当時はそんなに追及されているテーマではなく、一度やってみたいと思っていた」[8]、ピンク映画は全く観たことがなく「予備知識なしで自分流の成人映画を作ろうという気持ちで出発した」と述べ[1]菊池寛の『忠直卿行状記』を話の核としたと述べている[1]

興行成績とその後の展開

[編集]

これだけ女性の裸が満載の映画はこれ以前には無く、センセーショナルを呼んだ[8]。このため「女性を侮辱している」と婦人団体や評論家からバッシングを受けた[8]。しかし結果的に話題にもなり奇跡の大ヒットを記録[19]、3000万円の製作費でたちまち一億円以上稼いだといわれる[22]。岡田の所見は「予想よりおとなしい作品になった」という見方であったが[1]これはのどかな序の口に過ぎなかった[1]。石井は岡田の意図を大胆に表現[23]、本作以降、ヌードセックスだけでなく、サドマゾ拷問処刑等、グロテスクな描写を取り入れ、"異常性愛路線"をエスカレートさせていく[5][18][19]。『徳川女系図』と『徳川女刑罰史』の大ヒットを見てこの年、常務取締役企画製作本部長に就任した岡田茂は、1970年代半ばの実録映画の隆盛まで、任侠映画、実録映画とエロ映画の二本立て、三本立て興行の路線を敷く[3][24][25]

影響

[編集]

"東映ポルノ"の大成功で、当時テレビの大攻勢によって観客減に悩んでいた邦画大手映画会社は東映に追随し、次々とエロ路線に傾斜していった[10][26][27]

スタッフ

[編集]

キャスト

[編集]


出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h #映画魂、184-189、333頁
  2. ^ a b #ピンキー、36-37頁「東映ピンキー・バイオレンスのゴッドファーザー 岡田茂&天尾完次を称えよ!!」
  3. ^ a b #任侠、227-228頁
  4. ^ #桃色、158-167頁「石井輝男・荒井美三雄インタビュー」
  5. ^ a b #アナーキー、66-67、92-93頁
  6. ^ 【映画】石井輝男映画魂 公式ブログ: 石井輝男監督東映任俠映画を生み出した名監督・名プロデューサーたち - 隔週刊 東映任侠映画傑作DVDコレクション - DeAGOSTINI flowerwild.net - 内藤誠、『番格ロック』を語る vol.3
  7. ^ #キネ旬19696、126-128頁
  8. ^ a b c d e f #ピンキー、232-237頁「石井輝男インタビュー」
  9. ^ #アナーキー、76-77頁
  10. ^ a b #秘宝20118、44-45、54頁
  11. ^ #シネマの極道、53頁
  12. ^ #秘宝20118、54頁
  13. ^ 東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17 | 電子ブックポータルサイト Archived 2015年7月3日, at the Wayback Machine.、4-9頁、シネマヴェーラ渋谷「追悼!天尾完次」
  14. ^ 新文芸坐:映画チラシサイト
  15. ^ #全史、31頁
  16. ^ #水滸伝、35頁
  17. ^ a b #風雲、143-145頁
  18. ^ a b c #二階堂、155-158頁
  19. ^ a b c #仁義沈没、112-115頁
  20. ^ #活動屋人生、328-329頁
  21. ^ #ピンキー、22-25、48-51頁
  22. ^ #はだかの夢、189頁
  23. ^ #私の30年、150頁
  24. ^ #仁義沈没、112-115頁
  25. ^ #死なず、226-227頁
  26. ^ #アナーキー、90-91、94-95頁
  27. ^ #悪趣味邦画、276-280頁

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]