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岩城隆信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
岩城隆信
時代 江戸時代後期
生誕 天保9年4月10日1838年5月3日
死没 安政2年8月20日1855年9月30日
改名 雅五郎(幼名)→隆信
戒名 温良院殿朴忠謙譲
墓所 東京都板橋区小豆沢の総泉寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定
出羽亀田藩
氏族 岩城氏
父母 父:岩城隆喜、母:母:菊瀬(松雲院)
兄弟 隆興(三男)、隆永(四男)、隆信(五男)、
隆政(六男)、隆邦(七男)、
堀田正養(八男、堀田正誠養子)、
立花種温正室、直子(三女、浅野長祚正室)、倉子(五女、浄真院、佐竹義祚室)、
銀子(八女、佐竹義祚継室)、
緑操院(前田利豁正室)等、計8男18女
養子:隆政
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岩城 隆信(いわき たかのぶ)は、江戸時代後期の大名出羽国亀田藩10代藩主。

天保9年(1838年)4月10日、8代藩主・岩城隆喜の五男として生まれる。安政2年(1855年)5月14日に先代藩主で兄の隆永が早世したため、その末期養子として7月5日に家督を継いだが、同年8月20日に死去した。享年18。跡を弟で養嗣子の隆政が継いだ。

系譜

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父母

養子