土肥洋一
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名前 | ||||||
愛称 | ドイちゃん[1][2][3] | |||||
カタカナ | ドイ ヨウイチ | |||||
ラテン文字 | DOI Yoichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年7月25日(51歳) | |||||
出身地 | 熊本県熊本市[4] | |||||
身長 | 184cm[5] | |||||
体重 | 84kg[5] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK[1] | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
1989-1991 | 大津高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1999 | 日立/柏レイソル | 92 | (0) | |||
2000-2007 | FC東京 | 230 | (0) | |||
2008-2012 | 東京ヴェルディ | 131 | (0) | |||
通算 | 453 | (0) | ||||
代表歴2 | ||||||
1995-1996 | 日本 U-22/23 | |||||
2003-2006 | 日本 | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月24日現在。 2. 2005年10月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。
来歴
[編集]中学校1年生の時にサッカーを始めた[4]。1992年、熊本県立大津高等学校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた[4]。
日立 / 柏レイソル
[編集]プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演[6][7]。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。
加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太[7] や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた[8][9]。
FC東京
[編集]2000年には出場機会を求め[7]、この年よりJ1に昇格したFC東京に完全移籍で加入。大熊清監督の標榜する全員守備の要として、開幕からレギュラーポジションを維持。課題のポジショニングや状況判断を向上させ、安定感を高めた[10]。
2002年に原博実監督が就任してからもその信頼は揺るがず、2004年2nd第11節対広島戦で、146試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を達成[11](以前の記録は元清水GK真田雅則の145試合)[12]。この年のJリーグベストイレブンにも選出された[13][14]。また、同年のナビスコカップ決勝では、退場者を出す不利な状況の中、浦和の猛攻に耐え[9]、優勝に貢献すると共に自らもMVPを獲得[15][14]。
その後は、日本代表との並行によるコンディション調整に苦心しながらも[14][9]、シュートへの鋭い反応と正確なキャッチング、守備陣を動かすコーチングを武器に[1]正GKとして出場を続け、2006年第33節対浦和戦の不出場に至るまで、2000年開幕戦から延べ216試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を打ち立てた[1][6](この記録は2014年に鹿島の曽ヶ端準が更新。)。2007年は塩田仁史にレギュラーを奪われるようになり、同年末に退団。試合での好守だけでなく、主将を任され[4]精神的にもチームを牽引する存在だった[16]。
日本代表
[編集]2003年、J1ファーストステージにおいてFC東京がリーグ最小失点を記録したことで評価を高め[17]、同年6月に日本代表としてコンフェデレーションズカップに帯同[18][19]。
以後も川口能活、楢﨑正剛に次ぐ第3GKの立場ながら[2] メンバー入りを続け、2004年2月のキリンチャレンジカップ・マレーシア戦で国際Aマッチ初出場を果たした[17]。2005年の東アジア選手権第3戦の韓国戦ではスーパーセーブを連発し[20]、日本の勝利に貢献した。
2006年ドイツワールドカップにも選出され、試合出場こそ無かったが最年長選手としてチームを盛り立て[4]、対ブラジル戦のハーフタイムでは出場していた川口を励ます様子が見られた。日本代表の紅白戦では攻撃的なポジションを任されることが多く、得点を挙げることもあった[要出典]。
東京ヴェルディ
[編集]2008年、福西崇史と共に、J1へ復帰した同じ東京のライバル・東京ヴェルディへと完全移籍[21][22]。移籍後は高木義成を抑えて正GKの座を獲得し、リーグ戦全試合出場と奮闘したがチームは17位となりJ2降格。クラブの経営悪化により[23][24]一度は契約非更新が発表されたが[25]、減俸での再オファーに応じ[26][24]、翌2009年の1月に再契約が発表された[27]。J2降格後も正GKの座を守り、高木は名古屋移籍した。
2011年5月4日、古巣FC東京との「東京ダービー」試合中に負傷交代。左アキレス腱断裂により全治6ヶ月と診断され[28] 離脱。
持ち前の闘志は衰えず[6]、2012年7月15日、第24節鳥取戦で1年2ヶ月ぶりに復帰し、柴崎貴広からポジションを奪取。至近距離でのシュートセーブの鋭さを見せ、健在ぶりを発揮していたが[3]、この年限りで戦力外となり[29]、シーズン終了後、契約満了により退団[30]。
現役引退以後
[編集]2013年1月、現役引退と東京Vの育成GKコーチ就任が発表された[5]。同年末、Jリーグ功労選手賞受賞[31]。2014年、JFA公認A級ジェネラルライセンス取得[32]。
また、トレーナー木場克己と共にアスリートのコンディション調整治療やトレーニング指導などを行う株式会社アスリートウェーブの経営者としても活動している。
2014年9月、東京Vトップチーム監督冨樫剛一の要望を受け[33]、同チームのGKコーチに就任[34][35]。冨樫の退任に伴い2016年限りで退任[36]。
2017年、東京ヴェルディの育成GKコーチに就任[37]。シーズン終了後の11月に同コーチを契約満了で退任[38]。その後、2018年シーズンからレノファ山口FCトップチームGKコーチに就任することが発表された[39]。
2023年シーズン終了後、契約満了により退任した[40]。その後、2024シーズンにから横浜FCのGKコーチに就任したことが発表された[41]。
所属クラブ
[編集]- 熊本市立城南小学校[17]
- 熊本市立城南中学校[17]
- 1989年 - 1991年 熊本県立大津高校
- 1992年 - 1999年 日立製作所本社サッカー部 / 日立FC柏レイソル / 柏レイソル
- 2000年 - 2007年 FC東京
- 2008年 - 2012年 東京ヴェルディ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 日立 | 旧JFL1部 | 0 | 0 | - | ||||||
1993 | 柏 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1994 | 旧JFL | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | ||
1995 | - | J | 17 | 0 | - | 2 | 0 | 19 | 0 | ||
1996 | 30 | 0 | 15 | 0 | 2 | 0 | 47 | 0 | |||
1997 | 1 | 19 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 30 | 0 | ||
1998 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | |||
1999 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
2000 | FC東京 | 20 | 30 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 | |
2001 | 1 | 30 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 | ||
2002 | 30 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
2003 | 30 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
2004 | 30 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
2005 | 34 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | |||
2006 | 32 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 | |||
2007 | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |||
2008 | 東京V | 34 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 38 | 0 | ||
2009 | J2 | 43 | 0 | - | 1 | 0 | 44 | 0 | |||
2010 | 34 | 0 | - | 1 | 0 | 35 | 0 | ||||
2011 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
2012 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 341 | 0 | 52 | 0 | 17 | 0 | 410 | 0 | |
日本 | J2 | 97 | 0 | - | 2 | 0 | 99 | 0 | |||
日本 | 旧JFL1部 | 15 | 0 | 1 | 0 | ||||||
総通算 | 453 | 0 | 53 | 0 |
- 1995年7月1日:Jリーグ初出場 - J1サントリー第21節 vs浦和レッドダイヤモンズ (柏)
- 2000年8月5日:J1 100試合出場 - J1 2nd第8節 vs柏レイソル (西部緑地陸)
- 2004年4月3日:J1 200試合出場 - J1 1st第3節 vs東京ヴェルディ1969 (味スタ)
- 2007年5月26日:J1 300試合出場 - J1第13節 vs名古屋グランパスエイト (味スタ)[42]
- Jリーグ連続出場記録 - 216試合 (2000年 - 2006年)
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003、東アジアサッカー選手権2003
- 2004年 FIFAワールドカップアジア1次予選、AFCアジアカップ・中国大会
- 2005年 FIFAワールドカップアジア最終予選、東アジアサッカー選手権2005、FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 FIFAワールドカップ・ドイツ大会
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 4試合[1] 0得点 (2003-2006)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 0 | 0 |
2004 | 2 | 0 |
2005 | 2 | 0 |
2006 | 0 | 0 |
通算 | 4 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2004年02月07日 | 茨城県 | 茨城県立カシマサッカースタジアム | マレーシア | ○4-0 | ジーコ | キリンチャレンジカップ |
2. | 2004年11月17日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | シンガポール | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
3. | 2005年08月07日 | 大邱 | 韓国 | ○1-0 | 東アジア選手権 | ||
4. | 2005年10月08日 | リガ | ラトビア | △2-2 | 国際親善試合 |
指導歴
[編集]- 2013年 - 2017年 東京ヴェルディ1969
- 2017年 U-18日本代表 GKコーチ[43]
- 2018年 - 2023年 レノファ山口FC GKコーチ[39]
- 2024年 - 横浜FC GKコーチ[41]
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FC東京
代表
[編集]個人
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “PLAYER'S DATABASE”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月9日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- ^ a b c d e 「心一つに」大きな声 チームの兄貴、土肥選手 47NEWS (2006年6月15日)
- ^ a b c 土肥洋一選手引退ならびに育成GKコーチ就任のお知らせ 東京ヴェルディ (2013年1月20日)
- ^ a b c 元日本代表GK土肥が引退…今後は東京V下部組織のコーチに スポーツニッポン (2013年1月9日)
- ^ a b c 『DECADE 柏レイソル10年史』文化工房,星雲社、2004年、154頁。
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (1999年11月27日)
- ^ a b c “F東京が初タイトル! ナビスコ・カップ決勝戦”. 2004年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 スポーツ報知 (2004年11月3日)
- ^ 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、26-27頁。
- ^ “土肥洋一選手『J1リーグ戦連続試合出場記録』日本記録樹立のお知らせ”. 2004年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月8日閲覧。 FC東京 (2004.10.31)
- ^ J1 2nd 第11節 土肥 洋一選手(F東京)J1リーグ戦連続出場記録更新! Jリーグ (2004年10月31日)
- ^ “土肥洋一選手「ベストイレブン」選出について”. 2004年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 FC東京 (2004年12月13日)
- ^ a b c 『FC東京ファンブック2005』毎日新聞社、2005年、14頁。
- ^ 【2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝】PK戦の末、FC東京が初優勝! MVPは土肥洋一選手に決定!! Jリーグ (2004年11月3日)
- ^ 【スペシャルインタビュー Vol.21】FC東京:石川直宏選手 J's GOAL (2005年9月22日)
- ^ a b c d 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、12頁。
- ^ “キリンカップサッカー2003/FIFAコンフェデレーションズカップ2003 日本代表チーム選手の入れ替えについて”. 2003年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 日本サッカー協会 (2003年6月9日)
- ^ “キリンカップサッカー2003/FIFAコンフェデレーションズカップ2003日本代表チームに土肥洋一選手追加召集のお知らせ”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 FC東京 (2003年6月9日)
- ^ イニシエーションとしての日韓戦 (8月7日@大邱) (2/2) スポーツナビ (2005年8月8日)
- ^ “土肥洋一選手 東京ヴェルディ1969へ完全移籍決定のお知らせ”. 2007年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 FC東京 (2007年12月30日)
- ^ “土肥洋一選手 加入のお知らせ”. 2007年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 東京ヴェルディ (2007年12月30日)
- ^ 東京Vが大リストラ! 服部、福西ら解雇 日刊スポーツ (2008年12月1日)
- ^ a b “土肥が東京Vと再契約! 大幅減俸も男気でOK”. 2009年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。 スポーツ報知 (2009年11月19日)
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. 2008年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月8日閲覧。 東京ヴェルディ (2008年12月1日)
- ^ 高木ヴェルディ 19日に新チームスタート スポーツニッポン (2009年1月19日)
- ^ “土肥洋一選手 契約のお知らせ”. 2009年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月8日閲覧。 東京ヴェルディ (2009年1月19日)
- ^ 土肥洋一選手の負傷について 東京ヴェルディオフィシャルウェブサイト、2011.05.07
- ^ 東京V 土肥を戦力外に…7月に1年2カ月ぶりに復帰も スポーツニッポン (2012年11月29日)
- ^ 土肥洋一選手の契約について 東京ヴェルディ (2012年11月29日)
- ^ 功労選手賞について Jリーグ (2013年10月15日)
- ^ 2013(平成25)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 合格者【113名】 (PDF) 日本サッカー協会 (2014年4月10日)
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト No.1304』日本スポーツ企画出版社、2014年、76頁。
- ^ a b c 『土肥洋一GKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2014年9月15日 。
- ^ 登録役員追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2014年9月19日)
- ^ “J2東京V 冨樫監督に続きコーチ陣も総退陣 元W杯戦士・土肥GKコーチも”. スポニチアネックス. (2016年11月30日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b 『2017シーズン アカデミー・女子チームスタッフ決定のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2017年1月14日 。
- ^ 『土肥 洋一アカデミーGKコーチ契約満了のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2017年11月24日 。
- ^ a b 『土肥 洋一氏 トップチームGKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)レノファ山口FC、2017年12月8日 。2017年12月8日閲覧。
- ^ 『土肥洋一GKコーチ 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)レノファ山口FC、2023年11月15日 。2023年12月14日閲覧。
- ^ a b 『土肥洋一氏 トップチームGKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)横浜FC、2023年12月22日 。2023年12月22日閲覧。
- ^ J1 第13節 土肥 洋一 選手(F東京)・林 健太郎 選手(甲府)J1リーグ戦通算300試合出場達成 Jリーグ (2007年5月26日)
- ^ 2017 ナショナルコーチングスタッフ体制【サッカー男子担当 (PDF) 日本サッカー協会 (2017年2月16日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 特集
- 土肥洋一 (FC東京) 「俺の空間」 - ウェイバックマシン(2007年5月28日アーカイブ分) - WEBサッカーマガジン (2003年8月6日)
- 365日FC東京 <第17回> 土肥の日本タイ記録おめでとう - ウェイバックマシン(2004年10月29日アーカイブ分) - 東京中日スポーツ (2004年10月27日)
- 【J2日記】東京V:ジョギング開始。 - Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年7月22日)
- “控えGK”のメンタル術 元日本代表が語る心構えとチームにもたらす影響 (1/4) , (2/4) , (3/4) , (4/4) - THE ANSWER (2016年6月4日)
- プロフィール・成績
- 土肥洋一 - Olympedia
- 土肥洋一 - National-Football-Teams.com
- 土肥洋一 - Soccerway.com
- 土肥洋一 - FootballDatabase.eu
- 土肥洋一 - WorldFootball.net
- 土肥洋一 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 土肥洋一 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 土肥洋一 - FIFA主催大会成績
- 土肥洋一 - J.League Data Siteによる選手データ
- 土肥洋一 - TheFinalBall.com
- プロフィール (2006年) - 日本サッカー協会
- プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン(2007年12月26日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2012年) - ウェイバックマシン(2012年10月14日アーカイブ分) - 東京ヴェルディ