土井利延
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保8年11月17日(1723年12月14日) |
死没 | 延享元年7月17日(1744年8月24日) |
改名 | 弁之助(幼名)、利延 |
戒名 | 諦了院殿前大倉令真誉寂照堪然大居士 |
墓所 |
佐賀県唐津市の神田岡口 佐賀県唐津市西十人町の来迎寺 |
官位 | 従五位下、大炊頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 肥前唐津藩主 |
氏族 | 土井氏 |
父母 |
土井利清、土井利益娘 土井利実 |
兄弟 | 利延、利里 |
子 | 利里 |
土井 利延(どい としのぶ)は、肥前国唐津藩3代藩主。土井家宗家7代。
略歴
[編集]享保8年(1723年)、分家で5000石を領した大身旗本土井利清の長男として生まれる。唐津藩の先代藩主である土井利実の長男の利武が享保18年(1733年)に早世したため、利実の養子として迎えられる。元文元年(1736年)、利実の死去により家督を継ぐ。
元文2年(1737年)12月、従五位下・大炊頭に叙位・任官する。しかし年少のため、家老の土井内蔵が政務を代行した。延享元年(1744年)に死去した。享年22。跡を弟で養子の利里が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 土井利里 - 土井利清の次男