土井利実
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄3年(1690年) |
死没 | 元文元年11月26日(1736年12月27日) |
別名 | 宮内(通称) |
戒名 | 宝真院殿前大倉令真誉寂照堪然大居士 |
墓所 | 東京都府中市紅葉丘の誓願寺 |
官位 | 従五位下、出雲守、大炊頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継、吉宗 |
藩 | 肥前唐津藩主 |
氏族 | 土井氏 |
父母 | 土井利益 |
兄弟 |
酒井忠囿正室、利実、利純、 戸田氏長正室、稲葉正博、土井利清正室 |
妻 | 阿部正邦娘 |
子 | 利武、利延 |
土井 利実(どい としざね)は、肥前国唐津藩2代藩主。官位は従五位下・出雲守、大炊頭。土井家宗家6代。
生涯
[編集]元禄3年(1690年)、初代藩主土井利益(当時は志摩鳥羽藩主)の長男として生まれる。正徳3年(1713年)、父の死去により家督を継いで唐津藩主になる。藩政においては儒者である稲葉迂斎を登用して儒学を奨励し、学問の発展に尽力し、享保8年(1723年)には藩校・盈科堂を創設している。しかし迂斎を重用し、政治顧問的な立場にまで用いたため、譜代の重臣から反発を受け、重臣による主導権争いも起こった。
享保17年(1732年)には享保の大飢饉で大被害を受け、幕府の援助を受けている。元文元年(1736年)11月26日に江戸で死去した。享年47。長男の利武は早世していたため、養子の利延が跡を継いだ。
著書に「盈科堂記」がある。また、藤原広嗣の祟りを恐れ、その霊をなぐさめようとしたとも言われる。
系譜
[編集]父母
- 土井利益(父)
正室
- 阿部正邦の娘
子女
- 土井利武(長男) 生母は正室
養子