卜部敏男
表示
卜部 敏男(うらべ としお、1912年 - 2003年2月8日[1])は、日本の外交官。駐フィリピン特命全権大使を経て、交流協会台北事務所代表を務めた。
人物・経歴
[編集]北海道出身[1]。東京帝国大学法学部を経て外務省入省[2]。連絡調整中央事務局第二部調整課長[3]、同法制課長[4]、外務省アジア局第三課長等を経て[5]、1955年在マニラ在外事務所所長代理(参事官)。1956年駐フィリピン臨時代理大使[6]。1957年国際連合日本政府代表部参事官[7]。1961年外務省アジア局外務参事官[8]。1963年外務省アジア局賠償部長[9]。1964年外務大臣官房審議官[10]。同年駐ケニア兼ウガンダ特命全権大使。1965年駐ケニア兼タンザニア兼ウガンダ兼ザンビア特命全権大使[11]。1966年駐ケニア兼タンザニア兼ウガンダ兼マラウイ兼ザンビア特命全権大使[12]。1968年駐ハンガリー特命全権大使[6]。1969年駐フィリピン特命全権大使[13]。1974年交流協会台北事務所代表[14]。1983年初代日本マラウイ協会会長[15]。日本シルバーボランティアズ理事長なども務めた[16]。
2003年2月8日、心不全のため死去。90歳没[1]。
親族
[編集]同じく駐フィリピン特命全権大使を務めた卜部敏直は子[17]。
著書
[編集]- 『英國の勞働黨』協同出版社 1946年
- 『英國の民主政治』時事通信社 1947年
- 『ファジー日本と新ルネッサンス』日本教育新聞社出版局 1990年
脚注
[編集]- ^ a b c 卜部敏男氏死去/元駐フィリピン大使四国新聞2003/02/10 13:13
- ^ 文官高等試験合格者一覧
- ^ 官報昭和24年本紙第6717号 59頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6719号 73頁
- ^ 官報昭和28年本紙第8041号 480頁
- ^ a b 鹿島守之助『日本外交史 - 第 37 巻』
- ^ 官報昭和32年本紙第9112号 287頁
- ^ 官報昭和36年本紙第10448号 320頁
- ^ 官報昭和38年本紙第11105号 22頁
- ^ 官報昭和39年本紙第11235号 23頁
- ^ 官報昭和41年本紙第11830号 19頁
- ^ 官報昭和42年本紙第12071号 11頁
- ^ 「さらなる発展の先頭に立つ」 比日本商工会議所50周年日刊マニラ新聞
- ^ 台北事務所代表日本台湾交流協会
- ^ NO.29 NO.29 日本マラウイ協会設立 20 周年記念寄稿
- ^ 日本マラウイ協会機関紙)Japan of Society Malawi(日
- ^ 卜部新駐比日本大使が着任。父も駐比日本大使を歴任し、親子2代の駐比大使まにら新聞2011.5.5
|
|
|