ラジャラタ
ラジャラタ(シンハラ語: රජරට, タミル語: ரஜரட)は、スリランカにおいて紀元前6世紀から紀元13世紀までのおよそ1,700年間続いた3つの歴史的な地域の1つ[1]。現地語で「王の土地」を意味する[2]。アヌラーダプラやポロンナルワなど複数の都市が当時の都として発展した[3]。ラジャラタは国王の直轄地であり、他の2地域(マラヤラタとルフヌラタ)は国王の兄弟が統治した。長い歴史を誇ったラジャラタは、13世紀にインドからやってきたカリンガ・マーガ王がジャフナ王国を建国したことで滅亡した[4][5]。
日本語表記では、ラージャラタ[2]やラージャラタ王国[6]と呼ばれることもある。
歴史
[編集]ラジャラタの歴史は紀元前543年にウィジャヤ王が建国したところから始まる。彼はチラウとマンナールとの間にあるマルヴァトゥ川のデルタ地帯に拠点を構えた。伝承によると、ウィジャヤ王は地元の姫クヴェニと結婚し、この地を支配したという。彼女の支援により、王は各地の豪族たちを打ち倒すことができた。彼の死後、行政の中心はマルヴァトゥ川沿いに移動し、最初の都タンバパンニからウパティッサ・ヌワラ、そしてアヌラーダプラへと移っていった。
ラジャラタの都の変遷は以下の通り。
- タンバパンニ:ウィジャヤ王が紀元前543年に建国
- ウパティッサ・ヌワラ:ウパティッサ王が紀元前505年に遷都
- アヌラーダプラ:パンドゥカーバヤ王が紀元前377年に遷都
- シーギリヤ:紀元後477年にカシャパ王が遷都したが、彼の死後再びアヌラーダプラへ戻った。
- ポロンナルワ:ウィジャヤバーフ1世により遷都
ラジャラタの滅亡
[編集]1215年、2万4千人の兵を連れたカリンガ・マーガがラジャラタへと侵攻した。そしてラジャラタとの戦いに勝利したマーガは都をポロンナルワに置き、ジャフナ王国を建国した。しかしその後ヴィジャヤバーフ3世(1220年ー1224年)がダンバデニヤ王国を成長させ、マーガは一度マラヤラタの支配を失っている。またポロンナルワでは地元のシンハラ人たちがマーガの支配に抵抗した。彼らは山や森に潜伏し、マーガへの抵抗を続けた。これによりパーンディヤ朝はヴァンニの森から離れ、より安全な場所にあるジャフナ半島を拠点とするようになった。
シンハラ人たちはその後もラジャラタの奪還を目指したが、南インドからやってきた人々との戦いに敗れ、2度と果たすことはなかった。
脚注
[編集]- ^ “A series by Gaveshaka in association with Studio Times”. The Sunday Times. 27 May 2014閲覧。
- ^ a b 鈴木正崇「創生神話と王権神話」(PDF)『古事記學』第1巻、2015年3月10日、113-214頁。
- ^ “Funday Times”. The Sunday Times. 2022年7月26日閲覧。
- ^ The Island[リンク切れ]
- ^ W. I. Siriweera (16 July 2012). “Padaviya: the Eastern Capital of the Rajarata Kingdom”. Daily News. 2012年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月26日閲覧。
- ^ “フランス地理学で知るスリランカ『ベラン世界地理大系12 インド・南アジア』”. スリランカ観光情報サイト Spice Up (2022年5月18日). 2022年7月28日閲覧。