TATTOO<刺青>あり
『TATTOO<刺青>あり』(タトゥーあり)は、1982年(昭和57年)に公開された日本映画。
TATTOO<刺青>あり | |
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Tattoo Ari | |
監督 | 高橋伴明 |
脚本 | 西岡琢也 |
製作 | 井筒和幸 |
製作総指揮 | 佐々木史朗 |
出演者 |
宇崎竜童 関根恵子 |
音楽 | 宇崎竜童 |
主題歌 |
内田裕也&トルーマンカポーティロックンロールバンド 宇崎竜童 |
撮影 | 長田勇市 |
編集 | 菊池純一 |
製作会社 |
国際放映 高橋プロダクション ATG |
配給 | ATG・東宝共同[1] |
公開 | 1982年6月5日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
概要
編集1979年に起きた事件三菱銀行人質事件の犯人の梅川昭美に材を取った作品[2][3]。犯人の生い立ちから事件を起こすまでの軌跡を描く。事件自体の描写は省略されている。主役の竹田明夫を音楽家の宇崎竜童が演じて話題となった。
それまでピンク映画を50数本監督してきた高橋伴明の初の一般映画監督作品。井筒和幸がプロデューサーを務め、俳優もスタッフもピンク映画並のギャラに値切って参加してもらったと回想している[4]。女優の関根恵子はこの映画のヒロイン役で高橋伴明と知り合って結婚し、高橋惠子となった[5]。山口組の田岡一雄組長を狙撃して惨殺された鳴海清の愛人と梅川の愛人が同一女性だったという新聞記事に着目して映画化、劇中には鳴海をモデルにした暴力団員も登場させている[6][7]。
あらすじ
編集昭和38年の広島。15才の竹田明夫は押し込み強盗を働き、主婦を刺殺して少年院に送られた。明夫の母・貞子は明夫を溺愛し、明夫も母親孝行を忘れなかったが、共に底辺に生きる自我ばかり強い母子だった。二十歳になった明夫は保護観察も解けて自由の身となるが、また事件を起こしては逮捕される暮らしで、胸と肩に虚仮威(こけおど)しの小さなタトゥー(入れ墨)を彫った。母の貞子は、明夫が三十歳で大成すると広言し、明夫自身もその気でいた。
大阪に出て、キャバレーのボーイとなった明夫は、ホステスの三千代に一目惚れし、男と同棲している三千代にプレゼント攻勢をかけて横取りした。明夫は、酔うと三千代に暴力を振るったが、シラフでは非常に優しく、料理も作る男だった。キャバレーで猟銃免許を持っていることを自慢する客を見て、自分も免許を取り、銃を買って腕を上げる明夫。
キャバレーで店長まで出世したが、30才を前に店を辞め、会社を立ち上げる明夫。実体は取り立て屋に過ぎなかったが、30は男の節目だから「ドデカイこと」をするが明夫の口グセだった。
銃が登場するハードボイルド小説から、フロイト、ニーチェまで本を読み漁る明夫。自宅で身体も鍛えるが、ホステスとして明夫を支える三千代には、相変わらず激しい暴力を振るっていた。ついに明夫の前から姿を消す三千代。
殺し屋の実録小説を読み、殺人に傾倒していく明夫。大金をせしめて母親に楽をさせ、人生を立て直す為に銀行強盗を計画するが、実行前に30才になってしまった。そんな時、三千代の居所が判明したが、三千代は全身入れ墨のヤクザ・鳴海の女になっていた。自分は「ドデカイこと」をして新聞に載ると嘯(うそぶ)く鳴海。実際に鳴海は敵対する神戸の組長を殺し、報復攻撃で殺されて新聞に大きく名が載った。
銀行襲撃を決意する明夫。たが、相棒にと当てにしていた幼なじみは車を用意しただけで逃げてしまった。一人きりで大阪の銀行に押し入り、警察によって射殺される明夫。一人残された母の貞子は郷里に明夫の遺骨を連れ帰った。
キャスト
編集- 竹田明夫:宇崎竜童
- 三千代:関根恵子
- 竹田貞子:渡辺美佐子
- 美代子:太田あや子
- サト子:忍海よし子
- 島田照也:矢吹二朗
- 佐藤:下元史朗
- 少年時代の明夫:島貫晃
- 三千代の新しい情人:山路和弘
- 竹田竜雄:武藤英司
- 早苗:風間舞子
- 高木:内山森彦
- 水野:ポール牧
- 大崎:戸井十月
- 三千代の父:垂水悟郎
- 三千代の母:青木和子
- 刺青師:泉谷しげる
- 検死官:荻島真一
- 書店の親父:原田芳雄
- 電気屋の社長:植木等
- クレー射撃場の客:西川のりお
- クレー射撃場の客:上方よしお
- キャバレーのウェイター:趙方豪
- フェリー発着場の酔っ払い:大杉漣
- 電気屋の店員:北野誠
- バーのホステス:秋元めぐみ
- 巡査:今泉洋
- 刑事:坂田祥一郎
- 巡査:加藤益弘
- 刑事:椙山拳一郎
- 刑事:田村貫
- 高木:内山森彦
- 男:野上正義
- 中年の婦人:西岡慶子
スタッフ
編集主題歌
編集製作
編集宇崎竜童はこの年、10年以上、いかなるときでも外したことのなかったサングラスを外した[3]。理由として「時が流れ、サングラスは弱いヤツでも強く見えることが一般的にも分かってしまい、つまらなくなったこと」[3]、また「無理にはったりをかましてやることはない。素顔で勝負できないならこの先やっていく必要はないと悟ったから」などと述べた[3]。しかし映画の出来上がりを見てビックリ[3]。「狂気のキョの字もないのよ、ぼくの顔に。こいつが銀行で『ソドムの市』を知ってるか!、て言葉を吐き、なおかつそれを行動に表してしまう男かいな、まずいなあって思った。スクリーンのぼくは幸せな家庭に育った正常な顔をしてる。しかし監督はOKっていうんだよ。それで監督に確かめたら『うん、フツウのやつが撮りたかった』っていうんだ」などと述べている[3]。
キャスティング
編集関根恵子は、1981年の日活ロマンポルノ『ラブレター』で中村嘉葎雄と濃厚なファック演技が評判を呼び[8]、にっかつの興収新記録を作った[8]。この実績により各社引っ張りだこになり、本作も最初はにっかつで製作を予定し、関根は本作と『火の蛾』(池田敏春監督を予定していた)の両方出演を予定していた(死んでもいい (1992年の映画)#製作参照)。本作は配給がATGに変更されたことで、監督の高橋伴明はまだ無名だったこともあり[9]、当初は東京一館のみの上映予定だったが[8]、関根の『ラブレター』での実績もあって前評判も高かったことから、全国20館以上での拡大ロードショーが決まり大ヒットした[8]。更なる関根恵子の魅力を引き出そうと『火の蛾』が1982年7月中旬クランクイン、9月に東映系で公開と報道されたが[8][9][10][11]、関根が降板し、企画も流れた[12][13]。『火の蛾』は『死んでもいい』とタイトルを変え、1992年に大竹しのぶ主演・石井隆監督で製作されている[14]。
宣伝
編集キャッチコピー
編集自動ドアーの向こうに
明日があるはずだった。
奴にはケジメが必要だった……。[1]
興行
編集ATG創立20周年記念作品として、ATG初の新作二本立て興行として『九月の冗談クラブバンド』とともに東京・有楽シネマ、新宿オデヲン座、池袋日勝文化、横浜東宝シネマ、川崎スカラ座、大宮ハタシネマ2の六館で封切[1]。
作品の評価
編集トレードマークのサングラスを外した宇崎竜童は「これ以上の適役はない」とその"役者ぶり"が称賛された[2]。
受賞等
編集- 第4回ヨコハマ映画祭
- ベストテン3位
- 監督賞(高橋伴明)
- 主演男優賞(宇崎竜童)
- 第56回キネマ旬報ベスト・テン
- ベスト・テン6位
- 読者選出ベスト・テン5位
- 第25回ブルーリボン賞
- ベストテン[要追加記述]
- 映画芸術ベストテン7位[要出典]
- 映画ファンのための映画まつり
- ベストテン4位[要出典]
出典
編集- ^ a b c “新聞広告”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 15. (1982年6月1日)
- ^ a b 阿部嘉典 (1982年6月5日). “【勝手にプレーガイド 邦画スッポン情報】役者ぶり見事、竜童ファン必見『TATTOOあり』”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 14
- ^ a b c d e f 青木辰樹 (1982年6月7日). “【ひとらんだむスコープ】 インタビュー 宇崎竜童(ロックアーチスト) ATG映画『TATTOO(刺青)あり』上映中に主演 武器(サングラス)よさらば ロックは僕のすべて”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 18
- ^ 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.101
- ^ 「私の地図 第四十二回 高橋恵子」『週刊現代』2011年2月26日号、p.86
- ^ 「三菱銀行立てこもり 梅川愛人の嘆き… 『あたしと付き合った男は…』」『週刊文春』2009年4月22日号、p.173
- ^ 「高橋伴明『刺青あり』余話 梅川と鳴海の共通の女登場 未成年美容学生は何処に」『噂の真相』1982年6月号、p.12
- ^ a b c d e 「ニュース・スクランブル CINEMA 『濃厚ファックで救世主に、関根恵子の次回作決定!』」『週刊明星』1982年6月24日号、集英社、144頁。
- ^ a b 「LOOK 今週の話題・人と事件 〔芸能〕 新婦は映画に 新郎は会社を 関根恵子夫婦のマスコミ利用術」『週刊現代』1982年7月17日、講談社、53頁。
- ^ 「撮影報告 『死んでもいい』の後先 / 佐々木原保志」『映画撮影』第117号、日本映画撮影監督協会、1992年8月31日、28 - 31頁、NDLJP:7954682/16。
- ^ 「邦画新作情報 高橋伴明監督の次回作が進行中」『キネマ旬報』1982年8月下旬号、キネマ旬報社、185頁。
- ^ 「雑談えいが情報 / 視根馬雷太」『映画情報』第47巻第9号、国際情報社、1982年9月1日、26 - 27頁、NDLJP:2343782/26
- ^ 「NEWS ofNEWS 『裸を売りものにする時代は終わった』 関根恵子の"心変わり"」『週刊読売』1982年7月25日号、読売新聞社、33頁。。
- ^ 加藤千代「話題の人・訪問インタビュー 大竹しのぶ 女優賞 『復活の朝』・他」『映画撮影』1993年5月発行 No.197、日本映画撮影監督協会、17-19頁。