INDコンコース線英語: IND Concourse Line)は、ニューヨーク市地下鉄を構成する地下鉄の路線である。ブロンクス区ノーウッド英語版にあるノーウッド-205丁目駅と、マンハッタンハーレムにある145丁目駅を結んでいる。ブロンクスにある路線としては唯一Bディビジョンに属しており、また全線が地下を走るブロンクスで唯一の路線でもある。

INDコンコース線
IND Concourse Line
B系統の列車は平日ラッシュ時のみベッドフォード・パーク・ブールバード駅より南側でコンコース線を走り、D系統の列車が全線を終日走る
概要
種別 地下鉄
系統 ニューヨーク市地下鉄
所在地 マンハッタンおよびブロンクス
起終点 ノーウッド-205丁目駅
145丁目駅
駅数 12
1日の乗客数 223,492[1]
運営
開業 1933年[2]
所有者 ニューヨーク市
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 地下
路線諸元
路線総延長 6.5マイル (10.5 km)[3]
路線数 2-3
軌間 4 ft 8+12 in (1,435 mm)
電化 直流600ボルト第三軌条方式
路線図
INDコンコース線
ホワイト・プレーンズ・ロードへの延長準備
ノーウッド-205丁目駅
ベッドフォード・パーク・ブールバード駅
キングスブリッジ・ロード駅
フォーダム・ロード駅
182丁目-183丁目駅
トレモント・アベニュー駅
174丁目-175丁目駅
170丁目駅
167丁目駅
161丁目-ヤンキー・スタジアム駅
ハーレム川をくぐるコンコース・トンネル
155丁目駅
145丁目駅
8番街線が上層階
コンコース線が下層階
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運行系統

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  時間帯 区間
ラッシュ時 その他
  各停 運行なし ベッドフォード・パーク・ブールバード駅より南側
  急行(混雑方向) 各停 全線

コンコース線は、ブロンクスおよびハーレムにおいて南北方向に走行しており、大半の区間が高架であるIRTジェローム・アベニュー線とブロンクスにおいてほぼ並行しており、ジェローム・アベニュー線の方が2ブロックから4ブロック西側を走っている[4]。ノーウッド-205丁目駅から複線の路線として始まり、東205丁目の下を東西方向に走ったのち、私有地の下を走って、短区間だけヴァン・コートランド・アベニューの下を走る[5][6][7]。西へ向かう間に中央の線路が現れて、コンコース車両基地へとつながっている。モショル・パークウェイ英語版で南へ向きを変えてグランド・コンコース英語版の下へと206丁目で入る。この道路が、コンコース線の名前の由来である[5][6]。コンコース車両基地からの複線の線路が営業用の本線の間に現れ、4本の線路の間でのシーサスポイントがあった後、車両基地からの線路は合流してベッドフォード・パーク・ブールバード駅の中央の線路となる[5]

 
175丁目を越える区間

ベッドフォード・パーク・ブールバード駅の南側では、外側の2本の線路は低い位置に下がって1本の中央の急行線へと合流し、中央の線路は2本に分岐して緩行線となる。路線はさらに南へ向かい、トレモント・アベニュー駅にシーサスポイントがある。地形のために174丁目-175丁目駅の付近は独特の構造となっており、地下に建設されながら175丁目の上に位置している。170丁目駅167丁目駅の間にはさらに渡り線やシーサスがあり、マンハッタン方面行の緩行線の脇には留置線もある。

161丁目-ヤンキー・スタジアム駅の前で西へ向きを変え、ハーレム川をコンコース・トンネルでくぐってマンハッタンへと入る。さらに1駅、155丁目駅があってから路線は南へ向きを変え、145丁目駅の下層階においてIND8番街線へと合流する。

歴史

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INDコンコース線は、ブロンクス-コンコース線とも呼ばれ、ニューヨーク市が所有していたインディペンデント・サブウェイ・システム (IND) の当初の路線のうちの1本であった[4][8]。ベッドフォード・パーク・ブールバードからマンハッタンのIND8番街線へと走る路線は、市の運輸委員会によって1925年3月10日に承認され、この路線間の連絡は1927年3月24日に承認された[9]。当初はコンコース線は、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅までは3線ではなく複々線とすることを計画していた[8][9]。INDの路線としては唯一の3線区間となった(他のINDの路線群はすべて、複線か複々線である)。145丁目駅の下層階にあるコンコース線の線路はもともと、現在の上層階の線路配置と同じく4線にすることを想定したものであった。

路線の建設は1928年7月に開始された[9]。当初の計画では、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅を少し過ぎたところで路線は終点となる予定で、将来的に東への延長構想もあった[8][10]。現在の205丁目駅までの経路として、私有地を横断してペリー・アベニューを通るという別の案が1929年2月に提案された[11]。現在の経路は1929年6月に選択された[5]。この路線の建設や、ブロンクス中央部・東部への延長構想は、この地域に不動産ブームを巻き起こした[9]。コンコース線の全線は1933年7月1日に開業した[12][3]。これはINDとして最初の路線であるIND8番街線開通からまだ10か月たっていなかった。当初はC系統の急行列車が運行され、205丁目駅から8番街線、クランベリー・ストリート・トンネルそしてINDサウス・ブルックリン線(現在のINDカルバー線)を経由してバーゲン・ストリート駅まで走った[12]。CC系統の列車が各駅停車としてベッドフォード・パーク・ブールバード駅とハドソン・ターミナル駅(現在のワールド・トレード・センター駅)の間を走った[12]

1940年12月15日にIND6番街線が開通し、従来のC系統、CC系統に加えてD系統の列車がコンコース線を走るようになった。D系統はラッシュ時と土曜日には急行運転をし、それ以外の時間帯には各駅停車であった。C系統の急行運転は1949年に廃止されたが、各駅停車に2文字の系統記号を使うことを止めた1985年にC系統が復活した。この間、D系統はコンコース線においてラッシュ時以外に各駅停車で走り、ラッシュ時にはC系統がベッドフォード・パーク・ブールバード駅まで各駅停車で走っていた。1998年3月1日にB系統の列車がC系統の代わりにコンコース線内のラッシュ時の各駅停車として走るようになり、C系統はIND8番街線のワシントン・ハイツ側へ運行されるようになった[13]

コンコース線の各駅は、多少の保守工事が行われたことはあり、また161丁目-ヤンキー・スタジアム駅については駅改良工事が行われたことがあるが、おおむね1933年の開業以来大きく手を加えられておらず、一部の入口の閉鎖やサービス範囲の縮小などが行われた程度である。

延長構想

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コンコース線は、161丁目-ヤンキー・スタジアム駅より北ではおおむね直線的に走っているが、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅から終点のノーウッド-205丁目駅へはいくらか右に曲がっており、さらに東へ伸ばす構想がある[9][4]。1929年の当初のIND第2路線網では、この路線をバーク・アベニュー、ボストン・ロード経由でベイチェスター・アベニューまで伸ばす構想があった。この延伸は「ルート106」と称され、205丁目とバーク・アベニューを結ぶ高架橋の下層階を通り、ブロンクス・パーク英語版を高架で通り抜ける提案であった[9][4][14][15]。IND第2路線網は、ニューヨークの5つの区を縦横に結ぶ複数のIND路線を計画していた[4]。しかし世界恐慌の真っただ中であり、市にはこの路線を205丁目より東に延長したり、複々線にしたりする資金も必要性もなかった[9]。1930年代の2番目の計画では、バーク・アベニューからニューヨーク・ウェストチェスター・アンド・ボストン鉄道英語版まで伸ばし、これに沿って北へ走ってダイアー・アベニューまでさらに伸ばす構想があった。バーク・アベニューに沿って延伸する工事の予備的な作業は1937年から1938年にかけて実施された[9]。しかしニューヨーク市は、この鉄道を買収してIRTダイアー・アベニュー線とし、IRTホワイト・プレーンズ・ロード線とつないだ方が安くて簡単であるとし、コンコース線をバーク・アベニュー、ボストン・ロード沿いにベイチェスター・アベニューまで伸ばす構想は実現しなかった[9]。1960年代から1970年代にかけて、市のプログラム・フォー・アクションでは、ホワイト・プレーンズ・ロードおよびIRTホワイト・プレーンズ・ロード線バーク・アベニュー駅まで短距離延長することが提案されていた[16]。財務問題によりこの計画も中断された。

駅一覧

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凡例
  終日停車
  深夜を除き終日停車
  平日のみ停車
  ラッシュ時混雑方向以外の終日停車
  ラッシュ時のみ停車
時間帯詳細
所在地
(おおよその位置)
  プラットホーム 停車列車 開業日 乗換・備考
ノーウッド英語版 ノーウッド-205丁目駅 緩行/急行 D   1933年7月1日
コンコースヤードへの連絡線となる中央の線路が始まる
ベッドフォード・パーク英語版 ベッドフォード・パーク・ブールバード駅 緩行/急行 B   D   1933年7月1日 B   の北側の折り返し駅
中央の線路と両側の線路が入れ替わる
  キングスブリッジ・ロード駅 緩行/急行 B   D   1933年7月1日 ラッシュ時に数本のB系統が終着となる。
フォーダム英語版 フォーダム・ロード駅 緩行/急行 B   D   1933年7月1日 セレクトバスサービスBx12
メトロノース鉄道ハーレム線ニューヘイブン線フォードハム駅連絡
182丁目-183丁目駅 緩行 B   D   1933年7月1日 キングスブリッジ・ロード駅行きB系統は停車しない。
トレモント英語版 トレモント・アベニュー駅 緩行/急行 B   D   1933年7月1日
174丁目-175丁目駅 緩行 B   D   1933年7月1日
ハイブリッジ英語版 170丁目駅 緩行 B   D   1933年7月1日
167丁目駅 緩行 B   D   1933年7月1日
  161丁目-ヤンキー・スタジアム駅 緩行 B   D   1933年7月1日 IRTジェローム・アベニュー線 (4  )
メトロノース鉄道ハドソン線ヤンキース E. 153ストリート駅連絡
コンコーストンネルでハーレム川をくぐりマンハッタンへ入る
ハーレム 155丁目駅 緩行 B   D   1933年7月1日
145丁目駅 緩行/急行 B   D   1932年9月10日 IND8番街線 (A   C  )
IND8番街線に合流(B   D  )

脚注

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  1. ^ MTA. “Average weekday subway ridership”. 2012年8月21日閲覧。
  2. ^ nycsubway.org—The Independent's Expansion in the 1930s
  3. ^ a b Bronx-Concourse New Subway Link Opened at 12:57 A.M.: Adds 21 1/2 Miles to City's System−Connects With Manhattan Line at 145th”. Newspapers.com. Brooklyn Daily Eagle. p. 20 (1933年7月1日). 2015年10月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e OUR GREAT SUBWAY NETWORK SPREADS WIDER; New Plans of Board of Transportation Involve the Building of More Than One Hundred Miles of Additional Rapid Transit Routes for New York”. The New York Times (1929年9月22日). 2015年8月19日閲覧。
  5. ^ a b c d Opens Subway Bids: Estimate Board Gets Twelve Offers for Bronx Work”. The New York Times (1929年6月8日). 2015年11月4日閲覧。
  6. ^ a b MTA Neighborhood Maps: Van Cortlandt Park / NY Botanical Garden” (PDF). MTA (2015年). 2015年9月24日閲覧。
  7. ^ CITY SOON TO LAUNCH $600,000,000 SUBWAY FOR THE EAST SIDE; Delaney to Submit Plans for New System Including the Bronx in Two Months.”. The New York Times (1929年4月5日). 2015年11月4日閲覧。
  8. ^ a b c New York Times, New Subway Routes in Hylan Program to Cost $186,046,000, March 21, 1925, page 1
  9. ^ a b c d e f g h i Joseph B. Raskin (2013-11-01). The Routes Not Taken: A Trip Through New York City's Unbuilt Subway System. Fordham University Press. ISBN 978-0-8232-5369-2. https://books.google.com/books?id=5b6cAQAAQBAJ&pg=PT112&lpg=PT112&dq=jerome+concourse+subway+bronx&source=bl&ots=QOvJhhHWMk&sig=wxsUbv3zpnZhBZvhIP2Fhy8MWqg&hl=en&sa=X&ved=0CE8Q6AEwCDgeahUKEwikhNHypuPIAhWGej4KHSPfA0I#v=onepage&q=jerome%20concourse%20subway%20bronx&f=false 2015年8月12日閲覧。 
  10. ^ BOARD SPEEDS SUBWAY ON GRAND CONCOURSE; Bids on Last Section Expected Before New Year--Eastern Spur Contemplated.”. The New York Times (1928年9月2日). 2015年11月4日閲覧。
  11. ^ Subway Extension Urged”. The New York Times (1929年2月24日). 2015年11月4日閲覧。
  12. ^ a b c “New Bronx Subway Starts Operation”. The New York Times. (1933年7月1日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00D14FE385C16738DDDA80894DF405B838FF1D3 2010年2月13日閲覧。 
  13. ^ Broadway Junction Transportation Study: NYC Department of City Planning Final Report-November 2008” (PDF). nyc.gov. New York City Department of City Planning (2008年11月). 2015年10月27日閲覧。
  14. ^ City Board Votes New Subway Links”. The New York Times. The New York Times (1937年3月19日). 2015年7月3日閲覧。
  15. ^ $101,200,000 Asked for 1930 Work on Tubes: Projects Include Jay, Fulton, Crosstown and Queens City Subways”. Newspapers.com. Brooklyn Daily Eagle (1930年1月14日). 2015年9月16日閲覧。
  16. ^ Full text of "Metropolitan transportation, a program for action. Report to Nelson A. Rockefeller, Governor of New York."”. Internet Archive (1967年11月7日). 2015年10月1日閲覧。

外部リンク

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