CEサバデル
CEサバデル(Centre d'Esports Sabadell Futbol Club, S.A.D. カタルーニャ語発音: [ˈsentɾə ðəsˈpɔr(ts) səβəˈðeʎ fubˈbɔɫ ˈkɫup])は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県サバデイにホームを置くサッカークラブである。2024-25シーズンはセグンダ・ディビシオンR.F.E.F.に所属。
CEサバデル | |||
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原語表記 | Centre de Esports Sabadell Futbol Club, S. A. D. | ||
愛称 |
Arlequinats, Saballuts Laneros | ||
クラブカラー |
青 白 | ||
創設年 | 1903年 | ||
所属リーグ | セグンダ・フェデラシオン | ||
所属ディビジョン | 4部 | ||
ホームタウン | サバデイ | ||
ホームスタジアム |
ノバ・クレウ・アルタ | ||
収容人数 | 11,981人 | ||
代表者 | エステベ・カルサダ | ||
監督 | デビッド・カタラ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史
編集1901年、ジョアン・サウスとサバデル・カタルーニャ派の若手グループがCEサバデル(Centre d'Esports Sabadell)を設立し、1906年6月5日に完全に公認されたサッカークラブとなった。クラブ初の試合はPrat de Sant Oleguer(芝生)で行われたが、1906年6月3日には「チームX」(後のRCDエスパニョール)との試合で新スタジアムのCreu Alta Districtがお披露目された。1912年には、スペインで初めて照明を用いたナイトゲームが同所で行われた。
1933-34シーズンにはコパ・カタルーニャで初優勝し、クラブ初の主要タイトルを獲得するとともに、コパ・デル・プレシデンテ・デ・ラ・レプブリカ(現在のコパ・デル・レイ)への出場権を得た。翌シーズンのリーグ戦では15勝1分の好成績を収め、コパ・デル・プレシデンテでは決勝に進出したが、エスタディオ・チャマルティンで行われた決勝でセビージャFCに0-3で敗れた。1943-44シーズンには初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に参戦して9位となった。1945-46シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)で過ごしたが、プリメーラに昇格したばかりの1946-47シーズンには優勝したバレンシアCFからわずか勝ち点4差で、レアル・マドリードより上に位置する5位と大健闘した。
1968-69シーズンにはプリメーラが16クラブ制になってからクラブ史上最高位の4位となった。1969-70シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップ(UEFAカップの前身)に参加し、1回戦でクラブ・ブルッヘ(ベルギー)に2試合合計3-5で敗れた。トップリーグでの挑戦は7年間で終わり、1972年にセグンダに降格した。
1991年には株式会社化を行った。1992-93シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンB(3部相当)に降格し、その直後に深刻な財政難によりテルセーラ・ディビシオン(4部相当)降格となった。その後の17年間は2006-07シーズン(テルセーラ)を除くすべてのシーズンをセグンダBで過ごしたが、2010-11シーズンにはグループ優勝し、昇格プレーオフでSDエイバルにアウェーゴール差で勝利してセグンダ・ディビシオン(2部)昇格を決めた。なお、このシーズンには日本人FW指宿洋史が所属していた。2011-12シーズンは低迷して19位に終わり、本来ならセグンダB降格となるはずであったが、リーグ規定により12位のビジャレアルCF Bが降格処分を受け、サバデルはセグンダ残留となった。
2012年7月、日本の実業家・坂本圭介が新たなオーナーとなった[1]。同年11月、チームイメージキャラクターにCesc Hiroshiを起用(高橋陽一・画、オリジナルキャラクター)。
2020年7月26日、セグンダ・ディビシオン昇格プレーオフ決勝のFCバルセロナB戦に2-1で勝利したことで、5シーズンぶりのセグンダ昇格を決めた[2]。
タイトル
編集国内タイトル
編集- セグンダ・ディビシオン : 2回
- 1942-43, 1945-46
- セグンダ・ディビシオンB : 2回
- 1983-84, 2010-11
- テルセーラ・ディビシオン : 4回
- 1931-32, 1963-64, 1976-77, 1993-94
- カタルーニャ選手権 : 1回
- 1933-34
- コパ・カタルーニャ : 1回
- 2015-16
- コパ・フェデラシオン : 1回
- 1999-00
国際タイトル
編集なし
過去の成績
編集
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- 14シーズン - プリメーラ・ディビシオン
- 44シーズン - セグンダ・ディビシオン
- 3シーズン - プリメーラ・フェデラシオン
- 23シーズン - セグンダ・ディビシオンB
- 8シーズン - テルセーラ・ディビシオン
欧州の成績
編集シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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1969-70 | インターシティーズ・フェアーズカップ | 1回戦 | クラブ・ブルッヘ | 2-0 | 1-5 | 3-5 |
歴代監督
編集- アントニオ・デラ・クルス 1987–1988
- アントニオ・オルモ 1991-1992
- ルイス・カレーラス 2010-2013
- ガブリ 2022
歴代所属選手
編集- ホセ・ゴンサルボ 1943-1944
- ペドロ・ザバラ 1967-1970
- フアン・セミナリオ 1967-1969
- チュス・ペレダ 1969-1970
- マルセリーノ 1972-1974
- エウヘニオ・レアル 1983
- フアン・ホセ・エステージャ 1984-1985
- テンテ・サンチェス 1988-1990
- マヌエル・アルムニア 2000-2001
- トーマス・ヌコノ 1991-1993
- マノロ・サンチェス 1995-1997
- 指宿洋史 2010-2011
- 田邉草民 2013-2015
- ウィリアムス・ベラスケス 2018
サポーター
編集CEサバデル公認のサポータークラブは合計10クラブあり、そのうちの1つである"ペーニャ・ブルー・ガールズ (Penya Blue Girls)"は、サポータークラブでは唯一の女性のみで構成されている団体である。
また、スタジアム南部には極右的な思想を持つサポーター、いわゆるフーリガンがおり、試合中の迷惑行為など、問題行動を起こしていた。しかし、クラブのオーナーが日本人実業家の坂本氏に変わってからは、彼らを厳しいく取り締まるようになり、現在彼らはクラブから追放されている[3]。
対外関係
編集2015年、イングランドのEFLリーグ1に所属するブリストル・ローヴァーズFCとクラブ間で業務提携を行なった。両クラブの共通点にはホームカラーが同色そしてユニフォームの酷似がある[4] 。
脚注
編集- ^ スペインリーグ初の日本人オーナー、坂本圭介が夢見る「和製欧州クラブ」(Number Web, 2013年3月22日)
- ^ “El Sabadell deja al Barça B sin ascenso a LaLiga Smartbank” (スペイン語). Sport.es (26 July 2020). 26 July 2020閲覧。
- ^ “El C E Sabadell estudia expulsar a dos socios que realizaron gestos nazis” (スペイン語). El Pais (2014年12月15日). 2020年7月30日閲覧。
- ^ “Sorry Lionel. We Made Plans – From Issue 14”. standamf.com (12 September 2015). 3 May 2018閲覧。