黒澤久雄

日本のタレント、俳優、歌手

黒澤 久雄(くろさわ ひさお、1945年12月20日 - )は、日本タレント俳優歌手映画プロデューサー実業家。黒澤プロダクション・黒澤フィルムスタジオ代表取締役社長。黒澤明文化振興財団理事長。デザインエクスチェンジ社外取締役

くろさわ ひさお
黒澤 久雄
生年月日 (1945-12-20) 1945年12月20日(79歳)
出生地 日本の旗 日本
ジャンル タレント
活動期間 1966年 - 現在
著名な家族 林寛子(前妻)
黒澤明(映画監督、父)
矢口陽子(女優、母)
黒澤和子(デザイナー、妹)
黒澤優(元女優、長女)
黒澤萌(歌手、次女)
松岡充(ミュージシャン、娘婿)
受賞
日本アカデミー賞
最優秀作品賞
2001年雨あがる
優秀作品賞
1990年
1991年八月の狂詩曲
その他の賞
テンプレートを表示

来歴・人物

編集

愛称はクロパンであるが、由来は「黒パン」ではなく「黒澤の女パンツ」。小学生の時にブリーフを穿いていたことからという。血液型はAB型。成城大学中退。

父親は「世界のクロサワ」こと映画監督の黒澤明、母親は元映画女優の矢口陽子、妹は映画衣装デザイナーの黒澤和子

成城大学在学中の1966年にフォークバンドブロード・サイド・フォーを結成。『若者たち』が大ヒットしたが、黒澤の留学によりバンドは解散、その後、DJタレントとして活動する他、映画プロデューサーとして『』以降、父の作品にかかわっている。

1979年よりテレビ番組『象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日系)にレギュラー出演、テレビ番組『クイズダービー』ではゲスト解答者として度々出演し、24連勝という記録を残している。ゲスト解答者の中では圧倒的に勝率1位である。正答率は9割1分8厘(平均7勝1敗〜8勝0敗ペース)。

1980年タレント林寛子と結婚、1男2女を儲けたが、2003年6月24日に離婚。長女は元女優黒澤優、次女は歌手黒澤萌。優の夫は歌手の松岡充SOPHIA)である。

2004年にはゲームソフト制作会社コーエーと黒澤プロダクションの共同事業として、黒澤明の遺稿を元にした金髪碧眼の侍が主人公となる映画『鬼』(仮題)の制作を発表[1]。黒澤久雄が監督で2006年に公開予定とされていたが、実際には完成していない。この映画とのメディアミックス作品として同時発表されたゲームソフトはコーエー(後のコーエーテクモゲームス)単独事業として『仁王』と名を変え幾度かの中断・作り直しを経て開発が継続し、2017年に発売された。

2007年現在では黒澤プロダクション代表取締役社長、黒澤明文化振興財団理事長を務め、黒澤明の作品の著作権管理や文化事業などを行うほか、実業家としては東京都内を中心に飲食店経営などを行っている。またタレントとして藤村俊二が代表を務めるオフィスオヒョイ(2011年解散)に所属していた。

2007年4月21日、黒澤プロダクションに勤める秘書と再婚した。

黒澤明文化振興財団による黒澤明記念館寄付金問題

編集

佐賀県伊万里市黒川町大字福田字米島地内に建設が計画され、1999年7月2日に伊万里市市街地中心部の商業施設内に仮施設として黒澤明文化振興財団がサテライトスタジオを開設[2]

2001年、黒澤明文化振興財団が寄付金を募り黒澤明記念館を建築する予定で2007年年度末までに伊万里市は黒澤明記念館建設購入権などに計3億5100万円を支出し、寄付金としては約3億8800万円(と市には報告されていたが、うち約1億円は財団の基本財産である黒澤監督の画コンテの評価額である事が判明)集めていたが、同財団が佐賀県に提出した2007度決算報告書ではわずか140万円しか残っていないことがわかり、純資産も9000万円しかなかった。2010年2月19日、伊万里市議会全員協議会で黒澤久雄らは「資金の大半は仮施設の運営などで使い果たしてしまった」と陳謝した。しかし、実際は資金の私的利用によるもので、不正利用した費用全額は久雄が払うという方向で決定した[3][4]

その後、2010年5月には、同財団側が、多額の資金を集めて記念館を造ることが現実的でないとした上で、市内の商店街にすでにオープンしているサテライトスタジオをリニューアルし本記念館としたいとの意向を示し、記念館の建設を事実上断念することを決めたと、伊万里市側が明らかにした[5]。しかし、そのサテライトスタジオも、2011年3月6日をもって閉館となり、展示品は3月末までに黒澤プロダクションに返還された[6]

音楽

編集

シングル

編集

※ クラウンレコードから出された3枚は、MEG-CDよりCD-Rでも発売されている。

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
クラウンレコード
1968年 EP PW-23 A なぎさ
B 白い砂浜
1968年 EP PW-39 A 白樺の想い出
B 白い砂浜
1969年 EP PW-53 A わかればなし
B 青い雨
東芝レコード
1970年 EP EP-1209 A 二人だけの世界 / Can't Help Falling In Love[注釈 1]
B ハッピー・ハート / Happy Heart[注釈 2]
ビクターレコード
1975年12月20日 EP SF-112 A しあわせの唄 加藤省吾 さいとうあきひこ 神保正明
B 家族 津田義彦

アルバム

編集
発売日 規格 規格品番 アルバム
ビクターレコード
1975年12月20日 LP SF-10051 人生ひと休み

全編曲:神保正明

Side:A

  1. ティナ(作詞・作曲:黒沢久雄)
  2. 家族(作詞・作曲:津田義彦
  3. 時間通りに魔術師が(作詞・作曲:荒木一郎
  4. 置き手紙(作詞:笠間ジュン、作曲:佐々木勉
  5. 余情(作詞・作曲:岸本健介
  6. 雨の日の恋(作詞・作曲:黒沢久雄)

Side:B

  1. 心の居場所(作詞:笠間ジュン、作曲:佐々木勉)
  2. 風鈴(作詞:治郎丸巧、作曲:岸本健介)
  3. リオの別れ話(作詞・作曲:荒木一郎)
  4. どうでもいいことさ(作詞・作曲:黒沢久雄)
  5. 新しい恋の夜明け(作詞:笠間ジュン、作曲:佐々木勉)
  6. しあわせの唄(作詞:加藤省吾、作曲:さいとうあきひこ

テレビ番組

編集

ラジオ番組

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ エルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」のカバー。
  2. ^ アンディ・ウィリアムスのカバー。
  3. ^ レギュラー降板後の1987年4月19日(第385回)放送分にゲスト出演。
  4. ^ 1989年10月15日放送の「500回記念大会」には小林千登勢とペアで出演した。
  5. ^ 1994年7月10日放送の「700回記念大会」にはOBチームメンバーとして麻木久仁子とペアで出演した。

出典

編集
  1. ^ 「鬼」(仮称)総合エンターテインメントコンテンツ制作発表会(コーエーINFORMATION、2004年10月28日)
  2. ^ 黒澤明文化振興財団 - 記念館概容」、「サテライトスタジオ
  3. ^ 黒澤明文化振興財団:「記念館」建設計画の財団、寄付3億円不記載--07年度決算 - 毎日jp(毎日新聞)
  4. ^ 「寄付金使い果たした」黒澤財団理事長が陳謝 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  5. ^ 朝日新聞 2010年5月7日
  6. ^ 黒澤明記念館スタジオ閉館 運営財団、寄付金使い果たし asahi.com・2011年3月7日
  7. ^ 名古屋放送株式会社社史編集委員会 編『希望の泉 2』名古屋放送、1982年4月1日、101頁。NDLJP:12274809/133 
  8. ^ 開局50周年記念社史編纂事務局 編『名古屋テレビ放送50年史』名古屋テレビ放送、2012年、80頁。 

関連項目

編集

外部リンク

編集