鷲津鈆平
日本の陸軍軍人
鷲津 鈆平(わしづ しょうへい、1885年1月20日 - 1970年2月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集愛知県出身。愛知一中を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第6連隊付となる。陸士生徒隊付などを経て、1915年(大正4年)12月、陸軍大学校(第27期)を優等で卒業した。
歩兵第6連隊中隊長、参謀本部員、アメリカ駐在を経て、1918年(大正7年)9月から11月まで在欧米軍に従軍した。参謀本部員、フィリピン出張、欧米出張などを経て、1926年(大正15年)12月、支那駐屯軍参謀に就任。近衛歩兵第3連隊付を経て、1929年(昭和4年)8月、陸軍大佐に昇進し陸軍歩兵学校教官となる。アメリカ大使館付武官、参謀本部付、歩兵第13連隊長などを歴任し、1934年(昭和9年)8月、陸軍少将に進級。
歩兵第39旅団長、近衛師団司令部付、陸軍戸山学校長を歴任し、1937年(昭和12年)11月、陸軍中将に進んだ。1938年(昭和13年)7月、第21師団長に親補され、中国戦線で活動。1940年(昭和15年)9月、第4軍司令官となり、参謀本部付を経て1941年(昭和16年)12月、予備役に編入された。1945年(昭和20年)4月に応召、名古屋師管区司令官に就任した。同年10月、召集解除となった。
栄典
編集- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]