高円寺 (杉並区)
東京都杉並区高円寺南にある寺院
高円寺(こうえんじ)は、東京都杉並区高円寺南4丁目にある曹洞宗の寺院である。山号は宿鳳山(しゅくほうざん)。
高円寺 | |
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所在地 | 東京都杉並区高円寺南4-18-11 |
位置 | 北緯35度42分13.4秒 東経139度39分10.2秒 / 北緯35.703722度 東経139.652833度座標: 北緯35度42分13.4秒 東経139度39分10.2秒 / 北緯35.703722度 東経139.652833度 |
山号 | 宿鳳山[1] |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 観音菩薩 |
創建年 | 弘治元年(1555年) |
開山 | 建室宗正[1] |
中興 | 無倫[1] |
正式名 | 宿鳳山 高円寺 |
法人番号 | 1011305001276 |
歴史
編集弘治元年(1555年)、中野成願寺三世建室宗正により開山された。将軍徳川家光が鷹狩りの際、雨宿りのために当寺に立ち寄り、時の住職が家光を将軍としてではなく一般の雨宿りの客として、さりげなくもてなしたことが気に入られ、家光は鷹狩りの度に当寺に立ち寄るようになったことで、当寺は広く知られるようになった。これが何年も続いたことで、家光は世話のお礼に宇治から茶の木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされ、この「お手植えの茶の木」は今も境内に見ることができ、またこのような徳川家ゆかりの寺であることから「三つ葉葵の紋」を所々で見ることができる。
それまで当地は小沢村と呼ばれていたが[2]、徳川家光が当寺の名から高円寺村と改称したとされ、それが現在の「高円寺」という地名に至っている。かつて寺の周辺に桃の木が多くあり桃園とも言われ、本尊は「桃園観音」[1]、寺は「桃堂」、門前を流れた川は「桃園川」と呼ばれていた。
寛保2年(1742年)、弘化4年(1847年)、明治33年(1900年)、昭和20年(1945年)と4度罹災し、堂舎や古記録類の多くを消失した。現在の本堂は昭和28年(1953年)に宮大工・中村青雲により再建された。
境内
編集本尊は観音菩薩像で、他に室町期の作とされる阿弥陀如来坐像も安置されている。
- 開運子育地蔵堂
- 稲荷社
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高円寺 本堂
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本堂の扁額と彫刻
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開運子育地蔵堂
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稲荷社と双龍鳥居
脚注
編集- ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 高円寺.
- ^ 新編武蔵風土記稿 高円寺村.
- ^ 文化財案内標示板本文一覧 馬橋稲荷神社 杉並区教育委員会。