馬渡俊雄
日本の内務・警察官僚、実業家
馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月14日[1][2] - 1946年(昭和21年)2月1日[3])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。旧姓・加藤。
経歴
編集東京府豊多摩郡淀橋町で加藤弘之の三男として生まれる[1]。1885年7月、佐賀藩の家老諫早一学の家臣で、判事や弁護士を務めた馬渡俊猷の養子となる[3]。第一高等学校を経て、1901年9月、東京帝国大学法科大学政治学科に入学。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1906年、東京帝大を卒業し内務省に入省、愛知県属となる[1][4]。
以後、滋賀県事務官、大阪府事務官、山口県事務官・警察部長、福岡県事務官・警察部長、神奈川県警察部長、和歌山県内務部長、新潟県内務部長などを歴任[1]。
1919年4月、愛媛県知事に就任。30ヵ年継続土木事業計画、県立中等学校学級増設の5ヵ年継続事業などを推進。また、 越智郡今治町と日吉村、北宇和郡宇和島町と八幡村の合併を推進し、今治市、宇和島市が誕生した。1921年5月、欧米の視察を命じられ知事を辞任した[1]。帰国後、1922年6月、福島県知事に就任。四か月の在任で同年10月16日に依願免本官となり退官したが、誠実な行政を行った[5][6]。
親族
編集- 兄 加藤照麿(男爵・医学博士・貴族院議員)
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。