馬島誠
馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日[1] - )は、日本のパラアイスホッケー選手、パラ・パワーリフティング選手。2010年バンクーバーパラリンピックアイススレッジホッケー銀メダリスト。長野県生まれ。
個人情報 | |||||||||||||||
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フルネーム | 馬島 誠 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1971年8月24日(53歳) 長野県上伊那郡辰野町 | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | パラアイスホッケー、パラ・パワーリフティング | ||||||||||||||
種目 | 男子 | ||||||||||||||
チーム | パラアイスホッケー男子日本代表 | ||||||||||||||
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来歴
編集上伊那郡辰野町出身。辰野西小学校、辰野中学校、長野県伊那北高等学校、1997年に駒澤大学法学部卒業。
幼少から剣道や杖道など武道に励む。大学3年生のときアルバイト先での測量作業中、6万6000ボルトの特別高圧の送電線に接触する事故に遭い、下半身に障がいを負い、車いす生活となる。一命は取り留めたものの2~3週間意識が戻らず、3回の植皮手術とリハビリで丸1年入院した。
大学卒業後、長野県内の企業セイコーエプソンに就職[2]。そこでアイススレッジホッケーと出合う。練習に励み、日本代表に選出される。2006年トリノパラリンピックでは5位入賞、2010年にバンクーバーパラリンピックでは銀メダルを獲得した[3]。
日本代表引退後は、地元のチーム、長野サンダーバーズの代表として後進の指導などを行う傍ら、一般社団法人ドリームペーパーコミュニケーションズのメンタルアドバイザーとしてのボランティア活動や、自身の経験を生かした講演活動を行う[4][5]。
2016年以降は、パラ・パワーリフティングという競技で2020年東京パラリンピックを目指す[6][7][8][9][10]。
2018年、インドネシア2018アジアパラ競技大会97Kg級で7位(記録155Kg)。
2019年、第19回全日本パラ・パワーリフティング国際招待選手権大会・男子97Kg級で優勝(記録160kg)。
2021年1月、第21回全日本パラ・パワーリフティング国際招待選手権大会・男子97Kg級で優勝(記録161kg)
出典
編集- ^ スポーツこころのプロジェクト. “夢先生の紹介”. 2018年12月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 駒澤大学. “「活躍する卒業生」2016.11.15”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ こころバンク. “チャレンジド・アスリート”. 2018年12月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 公益財団法人長野県障がい者スポーツ協会. “アスリート講演会”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ “学長課外特別講座「『東京2020オリンピック・パラリンピックと未来共生社会について』~共生社会と大学~」2018年10月”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ 毎日新聞. “パラ・パワーリフティング 学生時代、事故で下半身不随・辰野の馬島誠さん、日本記録。「東京」で金メダルを/2016年3月10日”. 2018年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。
- ^ NPO法人日本パラ・パワーリフティング連盟. “日本記録2017.8.26時点”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ sportsbull. “「君もやってみないか?」の勧誘でパラ・パワーリフティングが強化中 2017年07月23日”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ 夢新聞. “馬島 誠”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ challeath. “「パワーリフティング男子97Kg級、馬島誠が自己ベスト更新で7位」2018.10.14”. 2018年12月8日閲覧。
- ^ “2020年度 abn(長野朝日放送)スポーツ特別賞(2021年5月)” (2021年5月). 2023年12月22日閲覧。