雁 (鴻型水雷艇)
鴻型水雷艇
艦歴 | |
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計画 | 昭和9年度計画(②計画)[1] |
起工 | 1936年5月11日[1] |
進水 | 1937年1月20日[1] |
就役 | 1937年9月20日竣工[1] |
その後 | 1945年7月16日雷撃により沈没[1] |
除籍 | 1945年9月30日[1] |
要目(竣工時) | |
排水量 | 基準:840英トン 公試:960トン |
全長 | 88.50m |
全幅 | 8.18m |
吃水 | 2.76m |
機関 | ロ号艦本式缶2基 艦本式タービン2基 2軸、19,000馬力 |
速力 | 30.5ノット |
航続距離 | 14ノットで4,000海里 |
燃料 | 重油:245トン |
乗員 | 129名 |
兵装 | 45口径十一年式12cm単装砲3門 53cm3連装魚雷発射管1基3門 (六年式魚雷3本) 40mm機銃1挺(雉、鷺、鳩は毘式) (雁は25mm機銃1挺) |
艇歴
編集1935年(昭和10年)11月22日、雁と命名され[2]、水雷艇に類別[3]。1936年(昭和11年)5月11日に三菱重工業横濱船渠で起工。1937年(昭和12年)1月20日進水。同年9月20日に竣工し、呉鎮守府籍、第11水雷隊に編入された[4]。
日中戦争では、華北沿岸作戦、揚子江遡行作戦に従事[1]。1938年(昭和13年)6月30日、馬当下流茅林州(茅林洲上流[5])で触雷し損傷を受けた[6]。
太平洋戦争開戦後、香港攻略作戦、海上護衛作戦に参加[1]。1942年2月に第11水雷隊解隊後はアンダマンの第12特別根拠地隊に所属、インド洋での哨戒護衛任務に当たる[7]。1943年2月10日、ラングーン港で停泊中に爆撃を受けて至近弾により損傷し、7名が死亡、20数名が負傷した[8]。1944年(昭和19年)2月24日、マラッカ海峡で英潜水艦「タリホー」を体当たり攻撃で損傷させるが自らも被害を受けた[9]。1945年(昭和20年)7月16日、アンボン輸送作戦中、ジャワ海マタシリ海南方で米潜水艦「バヤ」の雷撃により沈没[1]。同年9月30日に除籍。
歴代艇長
編集- 艤装員長
- 広瀬弘 少佐:1937年4月1日[10] -
- 水雷艇長
- 広瀬弘 少佐:1937年9月20日[11] - 1937年11月15日[12]
- 上杉義男 少佐:1937年11月15日[12] - 1938年12月15日[13]
- 山口達也 少佐:1938年12月15日[13] - 1939年11月15日[14]
- (兼)入戸野篶生 少佐:1939年11月15日[14] - 1939年12月5日[15]
- 杉原与四郎 大尉:1939年12月5日[15] - 1940年4月1日[16]
- (兼)村上忠臣 大尉:1940年4月1日[16] - 1940年10月15日[17]
- 吉田謙吾 大尉:1940年10月15日[18] - 1941年9月15日[19]
- 福山強 大尉:1941年9月15日[19] - 1942年10月5日
- 森栄 大尉:1942年10月5日[7] - 1943年6月10日
- 横田志茂喜 少佐:1943年6月10日[20] - 1945年7月15日 戦死
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、459頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 390頁。◎「水雷艇雁鷺鳩命名ノ件」昭和十年十一月二十二日(達一四〇) 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ水雷艇三隻ニ左ノ通命名ス | 三菱重工業株式會社横濱船渠所ニ於テ製造 | 水雷艇 雁 カリ〔後略〕。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 99頁。◎昭和十年十一月二十二日(内令四七四) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス | 航空母艦ノ項中「蒼龍」ノ下ニ「、飛龍」ヲ加ヘ、水雷艇ノ部鴻型ノ項中「雉」ノ下ニ「、雁、鷺、鳩」ヲ加フ。
- ^ 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集21巻』122頁。
- ^ 『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』26ページ
- ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ a b 森栄 (2008年11月). “回想録 『聖市夜話』”. 桜と錨の気ままなブログ. 2024年3月4日閲覧。
- ^ 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社、166ページ
- ^ “雁の艇歴”. 大日本帝國海軍特設艦船. 9 May 2024閲覧。
- ^ 『官報』第3073号、昭和12年4月2日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第57号 昭和12年9月20日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072300
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第412号 昭和14年12月7日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077200
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第459号 昭和15年4月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第545号 昭和15年10月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079200
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第714号 昭和16年9月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100
- ^ 森栄 (2008年11月). “回想録 『聖市夜話』”. 桜と錨の気ままなブログ. 2024年3月4日閲覧。
参考文献
編集- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8』海軍大臣官房、1940年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0461-X
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集21巻』哨戒・護衛艦艇 海防艦・水雷艇、光人社、1998年。
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』原書房、1981年、第3刷。ISBN 4-562-00302-2
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
- 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』戦史叢書第79巻、朝雲新聞社
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料篇、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。