關三十郎 (5代目)

日本の歌舞伎役者

五代目 關 三十郎(せき さんじゅうろう、1879年(明治12年)7月2日[1] - 1931年(昭和6年)2月25日)は歌舞伎役者。本名は関富成。屋号尾張屋俳名は歌山。

概略

編集

四代目關三十郎の子。東京本郷に生まれる。1885年(明治18年)東京市村座「花化稲荷月朧夜」で関花助の名で初舞台。1907年(明治40年)3月東京明治座で土蜘蛛役で名題昇進、父の名を継ぐ。景清や弁慶、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「源平布引滝・実盛物語」の実盛、「祇園祭礼信仰記・金閣寺」の此下東吉など風格ある実事を得意としたが、四代目澤村源之助の相手を勤めるなど、腕のいい脇役としても活躍する。1909年(明治42年)に東京国華座の座元となり蓬莱座と改称。以降は小芝居の舞台と劇場経営に努めたが、不運にも経営が思わしくなく借財を抱え、地方巡業を余儀なくされるなど、役者としては大成しなかった。

養子(甥)は六代目關三十郎

脚注

編集

参考文献

編集
  • 野島壽三郎「歌舞伎人名事典」日外アソシエーツ 1988年 ISBN 4-8169-0813-7
  • 演劇界増刊「三代の名優」演劇出版社 1982年