開帳の雪隠(かいちょうのせっちん)は古典落語の演目のひとつ。開帳雪隠(かいちょうせっちん)、開帳(かいちょう)とも。これらの演題では、東京落語で広く演じられる。この項目では、上方落語雪隠の競争(せんちのきょうそう)、二軒雪隠(にけんせんち/にけんぜんち)についても記述する。

概要

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原話は、1772年明和9年)に出版された笑話本『鹿の子餅』の一編「貸雪隠」。

主な演者に、東京の6代目三遊亭圓生、上方の3代目桂米朝らが知られる。

あらすじ

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演者はまず、寺院で行われる出開帳(=ある寺院の仏像を他の寺院に出張して公開すること)の風習について触れる。

ふたりの男が寺院(※東西・演者によりバリエーションがある。後述)で行われている善光寺の出開帳の話をするうち、片方が新商売を思いつく。「出開帳の際、境内は多くの人で込み合うため、有料の雪隠(せっちん/せんち=トイレ)を置けば、特に立って用を足せない女性が、金を払ってでも使うのではないかと思う」

ふたりは早速寺院に向かい、四方に竹の支柱を立て、それにむしろを張って簡易式の小屋を作り、中にと、またがるための台を置いて(あるいは掘った穴の中に樽をはめ込んで、上に板を渡し)、呼び声を叫ぶ。「普通席4、特等は8文」

コンビのもくろみは見事に当たり、数日間は大儲けとなったが、ある日を境に客足が急減する。ひとりが「当節の人間は、小便をしなくなったのだろうか」といぶかしがっていると、境内の様子を見回っていたもうひとりが顔色を変えて戻り、「商売敵ができた。同じ値段で、こっちより設備が清潔で上等だ」と報告する。ふたりはあわて、呼び声を「小便はここです」などと直接的にしたり、「元祖雪隠」という看板を出してみたりしたが、効果がない。突然、新しい雪隠を見ていない方の男(以下、A)が「ひとりで番をしていてくれ」と言い残し、どこかへ行ってしまう。相棒(以下、B)は「むこうの雪隠屋と喧嘩でもしなければいいが」と心配するが、しばらくすると、少しずつ客足が戻り始め、はじめのように稼げるようになる。

日が暮れ、参拝客がいなくなったころ、Aが戻ってくる。Bが「どこへ行っていたんだ。俺ひとりで多数の客をさばき、難渋したのだぞ」となじると、Aは、

「むこうの雪隠で、日暮れまでしゃがんでた」

バリエーション

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  • 出開帳が行われる寺院について、東京では両国回向院、上方では和光寺とする場合が多い。
  • 雪隠を開業するふたりの男は、東京では八五郎熊五郎、上方では喜六と清八の類型で演じられ、また名もそう設定されることが多い。
  • 雪隠を開業するふたりについて、男たちではなく、老夫婦として演じる場合がある。
  • 川端康成は、掌編小説集『掌の小説』の中で、本作を下敷きにした「雪隠成仏」という作品を著している。こちらでは、隠れていた男が最後に遺体で見つかる。