長谷川宗広
江戸時代の大坂の浮世絵師
来歴
編集初代長谷川貞信の門人かといわれる。大坂の人。作画期は嘉永元年(1848年)から慶応の頃にかけてで、宗広と称し中判の役者絵を描いている。
作品
編集- 「喜平治 木村治郎左衛門」 中判錦絵2枚続 池田文庫所蔵 ※嘉永2年頃、『仮名手本忠臣蔵』より
- 「戻り馬八蔵・嵐吉三郎 馬士江戸平・尾上多見蔵 奴逸平・嵐璃珏」 中判錦絵3枚続 池田文庫所蔵 ※安政4年(1857年)8月、大坂中の芝居『千金手綱恋染込』より
- 「僧正遍昭・実川延三郎 文屋康秀・坂東彦三郎 喜撰法師・坂東彦三郎 在原業平・嵐鱗子 大友黒主・嵐吉三郎 小野小町・坂東彦三郎」 中判錦絵3枚続 池田文庫所蔵 ※万延元年(1860年)3月、中の芝居『六歌仙体綵』より