長谷川好三
長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12月1日[1] - 1970年(昭和45年)1月1日[2][注 1])は、日本の政治家・実業家。茨城県議会議員・笠間市長。大泉砕石株式会社・初代代表取締役、茨城放送取締役、茨城新聞取締役、茨城県砕石協会会長。茨城県砕石共同販売理事長。
長谷川好三 はせがわ こうぞう | |
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生年月日 | 1916年12月1日 |
出生地 | 日本 茨城県笠間市 |
没年月日 | 1970年1月1日(53歳没) |
出身校 | 茨城県立水戸中学校卒業 |
前職 | 日立市議会事務局長 |
子女 | 長男・長谷川大紋 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1963年5月1日 - 1965年9月15日 |
茨城県議会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1948年 - 1956年 |
来歴
編集茨城県笠間市福原出身。県立水戸中学校を卒業し、時事新報・いはらき新聞で記者を務める。その後、日立市議会事務局長を経て1948年に茨城県議に初当選。2期務め、県会財政委員長・運営審査委員長を歴任した。
1963年に笠間市長に当選するも、直後に公職選挙法違反で逮捕。裁判で争うも有罪確定によって1965年に失職。在任中は日動画廊・笠間日動美術館創業者の長谷川仁や洋画家・朝井閑右衛門、小説家・田村泰次郎らと共に特産品の笠間焼による地域振興に取り組み、1964年に笠間市芸術村を開村した。また桜やバラの研究に情熱をかたむけた。
市長失職後は水戸市長選や第32回衆議院議員総選挙に立候補するも、当選できずガス事故で急逝[2]。享年53。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『茨城県議会史 資料編』茨城県議会事務局、1979年、22頁には「昭和44年12月31日」。
出典
編集参考文献
編集- 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 資料編』茨城県議会事務局、1979年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。