長井氏克
長井 氏克(ながい うじかつ、1841年11月26日(天保12年10月14日[1]) - 1904年(明治37年)10月9日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、津市長。
経歴
編集津藩士の子として伊勢国津に生まれる。戊辰戦争の際には大軍監として藩兵を率いて仙台・秋田に進軍した。1869年(明治2年)、津藩少参事に就任し、1871年(明治4年)には権大参事に昇進した。
1878年(明治11年)、「伊勢新聞」を創刊し、社長に就任した。また代言人免許を取得し、代言組合会長になった。
1880年(明治13年)より三重県会議員、同議長を務めた。1887年、三重同志会を立ち上げて自由民権運動を推進し、大同団結運動に参加し、自由党が成立するとこれに加入した。
1889年(明治22年)に津市会議員、同議長に選ばれ、翌年には津市長に就任した。1900年(明治33年)、立憲政友会創設の際には三重県支部創立委員となった。
1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。
脚注
編集参考文献
編集- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。