長井就安
長井 就安(ながい なりやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏家臣。父は長井親房。伯父・長井重信の養子となる。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 文禄4年1月20日(1595年2月28日) |
官位 | 治部大輔、備前守 |
主君 | 毛利元就→輝元 |
氏族 | 大江姓長井氏 |
父母 |
父:長井親房 養父:長井重信 |
子 |
元保、女(長井元重正室) 養子:元重(湯浅将宗の嫡男) |
生涯
編集安芸国の戦国大名・毛利氏の同族[1]である長井氏の出身。毛利氏家臣の長井親房の子として生まれ、伯父の長井重信の養子となって家督を継いだ。
天正19年(1591年)12月13日、毛利輝元から「備前守」の受領名を与えられる。
文禄2年(1593年)5月4日、文禄の役に従軍していた嫡男の元保が朝鮮において戦死したため、湯浅将宗の嫡男であった湯浅二郎五郎(後の長井元重)を娘婿に迎えて、家督を継がせた。
脚注
編集参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻103「長井二郎右衛門」