鈴木貞敏
鈴木 貞敏(すずき ていびん[1] / さだとし[2]、1925年〈大正14年〉8月12日[3] - 2009年〈平成21年〉10月24日[2])は、日本の警察官僚、政治家。第11代警察庁長官、参議院議員(2期、自由民主党)。位階は従三位[4]。勲等は勲二等[2][5]。
鈴木 貞敏 すずき ていびん | |
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生年月日 | 1925年8月12日 |
出生地 | 山形県寒河江市 |
没年月日 | 2009年10月24日(84歳没) |
死没地 | 神奈川県横浜市西区 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 警察庁長官 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 山形県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1986年 - 1998年 |
経歴
編集山形県立寒河江中学校(18期)などを経て、1948年(昭和23年[3])東京大学法学部[3]政治学科を卒業[1]。
1948年、国家地方警察に入る[3][6]。淡路島、東京と一線署長を2度経験[8]。その後、警察庁警務局人事課長、警視庁刑事部長、警察庁刑事局長、警察庁警備局長、警察庁警務局長、警察庁次長を歴任した[3][6]。
1984年(昭和59年)、旧内務省解体後に採用された警察幹部第一期生で、初の戦後派として第11代警察庁長官に就任[3][6][8]。
グリコ森永事件の捜査を指揮した。1985年(昭和60年)に退官した[3]。
1986年(昭和61年)、第14回参議院議員通常選挙山形県選挙区で当選[1][2]。 参議院選挙制度に関する特別委員長を務める[9]。翌年5月、田中派に入会した[10]。
1992年(平成4年)、第16回参議院議員通常選挙で再選。1995年(平成7年)農林水産委員長に就任。
1998年(平成10年)の参院選に出馬せず、政界を引退した[2][3]。同年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[11]。
肺炎のため[2]、2009年(平成21年)10月24日、神奈川県横浜市西区の病院で死去、84歳[12]。死没日をもって正八位から従三位に叙される[4]。
元秘書
編集脚注
編集- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』335頁。
- ^ a b c d e f 『現代物故者事典 2009~2011』322頁。
- ^ a b c d e f g h i 『現代政治家人名事典』242-243頁。
- ^ a b 『官報』第5205号8-9頁 平成21年12月1日号
- ^ 「秋の叙勲受章者 勲三等以上と海外分」『朝日新聞』1998年11月3日
- ^ a b c d 『日本警察官僚総合名鑑』109頁。
- ^ a b 「鈴木貞敏さん死去 気遣いの人だった 関係者悼む」『読売新聞』山形版 2009年10月30日
- ^ a b 「今日の顔 第十一代警察庁長官となった鈴木貞敏さん」『読売新聞』1984年9月28日
- ^ 参議院会議録情報 第120回国会 選挙制度に関する特別委員会 第1号
- ^ 「鈴木貞敏氏が田中派入り」『読売新聞』1987年5月14日
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ “鈴木貞敏氏死去/元自民党参院議員”. 四国新聞. (2009年10月29日) 2023年1月4日閲覧。
- ^ “県議会議員紹介”. 自民党山形県連 2019年6月1日閲覧。
- ^ 「県議選激戦区から 村山市区 16年ぶり選択の機会 統一地方選」『朝日新聞』山形版 2015年4月7日
参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
- 『現代物故者事典 2009~2011』日外アソシエーツ、2012年。
議会 | ||
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先代 大塚清次郎 |
参議院農林水産委員長 1995年 - 1996年 |
次代 真島一男 |
官職 | ||
先代 三井脩 |
警察庁長官 | 次代 山田英雄 |
先代 三井脩 |
警察庁警備局長 | 次代 山田英雄 |
先代 今泉正隆 |
警視庁刑事部長 | 次代 中平和水 |