鈴木寛人
鈴木 寛人(すずき ひろと、2001年10月7日 - )は、茨城県筑西市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
霞ヶ浦高等学校硬式野球部 コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県筑西市 |
生年月日 | 2001年10月7日(23歳) |
身長 体重 |
186 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2019年 ドラフト3位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
指導者歴 | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集中学時代は筑西田宮ボーイズの投手として活躍。
霞ヶ浦高校に進学。同高校に進学した理由は「挨拶や礼儀、気配り」などの指導がしっかりしており、人間的にも成長できるだろうと考えたためであった[1]。霞ヶ浦高校では1年秋からベンチ入りするも、高卒プロ入りの夢を諦めていたが、監督の言葉で立ち直り、3年夏に急成長を遂げた[1]。3年の夏に第101回全国高等学校野球選手権大会に出場。
2019年10月17日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け[2]、契約金4500万円、年俸600万円で入団に合意した[3]。
広島時代
編集2020年は、二軍で体力強化に励み、二軍公式戦では1試合登板にとどまった[4]。
2021年は、二軍での登板もないまま、10月14日にプロ2年目での戦力外通告を受けた[5]。
引退後の2022年に、1年目の春季キャンプからイップスを発症し、投球フォームが崩れてしまい思うように投げれない状態となっていたことを明かしている[6]。
広島退団後
編集2022年に、学生野球資格回復研修制度を利用。母校の霞ヶ浦高校の選手寮で後輩と生活を共にしながら、指導を行っている[7]。同校の監督は鈴木に対して母校でイップスを克服させて、社会人野球に復帰させたいという考えをもっている[6]。
選手としての特徴・人物
編集長身から放たれる最速150km/hのストレートと、縦に鋭く落ちるスライダー[1]、フォークが武器[4]。プロの舞台では、高校の先輩でカープの同僚である遠藤淳志を目標としている[1]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 52(2020年 - 2021年)
脚注
編集- ^ a b c d “広島ドラ3・鈴木寛人 霞ヶ浦高校で培った「人間力と向上心」【インタビュー】”. やる気ラボ (2019年12月12日). 2020年2月7日閲覧。
- ^ “2019年プロ野球ドラフト会議 交渉権獲得選手情報!”. 広島東洋カープ公式サイト (2019年10月17日). 2019年11月10日閲覧。
- ^ “広島3位鈴木が仮契約、プロで阪神井上にリベンジだ”. 日刊スポーツ (2019年11月11日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ a b “<惜別カープ戦士>プロ2年目でまさかの戦力外・・。二軍でわずか1イニング登板に終わった長身右腕。|carp|編集部コラム”. 広島アスリートマガジン (2021年10月22日). 2021年10月22日閲覧。
- ^ “広島 3連覇貢献の今村猛、中村恭平ら6選手に戦力外通告”. デイリースポーツ (2021年10月14日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ a b “わずか2年で広島を戦力外となった鈴木寛人は、今も「イップス」と闘いながら再びマウンドを目指す|プロ野球|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2022年10月6日閲覧。
- ^ “本来の細かい野球できてない 霞ケ浦・高橋監督【高校野球’22展望】” (2022年7月11日). 2022年7月28日閲覧。
- ^ “広島・韮澤雄也内野手「ニラ」か「ニラレバ」。別に怒りませんよ/ニックネーム | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年11月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 鈴木寛人 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)