金 東柱(キム・ドンジュ、: 김동주1976年2月3日 - )は、大韓民国ソウル特別市出身の元プロ野球選手内野手)。

金 東柱(キム・ドンジュ)
Kim, Dong-Joo
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 ソウル特別市
生年月日 (1976-02-03) 1976年2月3日(48歳)
身長
体重
180 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1998年 1次ドラフト
初出場 1998年4月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2000年2008年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
大韓民国の旗 大韓民国
2000 野球
2008 野球
キム・ドンジュ
各種表記
ハングル 김동주
漢字 金東柱
発音: キムドンジュ
英語表記: Kim Dong Joo
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野球韓国代表の常連であり、シドニーオリンピック野球韓国代表北京オリンピック野球韓国代表に選ばれた。2009年1月に韓国代表引退を表明し、第2回WBCには出場しなかった。

2000年シドニーオリンピック 野球 銅メダリスト。2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。

経歴

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アマチュア時代

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高校時代からパワーと正確性を兼ね備えた大型三塁手として鳴らした。高校3年生だった1993年の1次ドラフトでOBベアーズの指名を受けたが、高麗大学への進学を選択。大学卒業後、1997年の1次ドラフトでOBベアーズから4年越しの指名を受け、入団した。

斗山時代

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プロ1年目から三塁手のレギュラーを奪取し、チームのポストシーズン進出に大きく貢献。以後、韓国を代表する右の大砲としての地位を確立した。

当時金、タイロン・ウッズ沈正洙で構成された斗山のクリーンナップは他球団の脅威となっていた。

2004年オフに成績不振から引退宣言する騒動を起こしたが[1] 、すぐに撤回。翌2005年は故障で終盤欠場したものの、打率.302、10本塁打をマークし復活を果たした。

2006年は、開幕前に行われた第1回WBC1次リーグの対チャイニーズタイペイ戦で肩を脱臼。帰国後に全治3ヶ月と診断され[注 1]、わずか43試合の出場にとどまった。

2007年には119試合に出場し、打率はリーグ5位の成績を残した。

2007年オフにFA権を行使。引き止めのため、斗山は韓国史上最高額の4年62億ウォン(約7億円)という破格の条件提示を行ったが、金はそれを蹴り日本球界移籍を目指す。

しかし、金は日本球界移籍の最低条件として2年4億円という度を超える金額を設定。この要求額の前に獲得を表明するNPB球団は現れず、韓国野球委員会へ身分照会を行った球団もなかった。斗山も、元メジャーリーガー金善宇の獲得に大金を注ぎ込む方針に切り替え、契約提示を撤回してしまった。

年明けの2008年1月6日、斗山から梯子を外された金はなんとしても日本球界移籍を果たそうと自ら来日。翌日の7日、横浜ベイスターズの球団事務所に直接押しかけ、売り込みを行った。しかし横浜からは門前払いを受けた。

結局日本球界移籍を断念し、失意のまま韓国に帰国。斗山と再契約の交渉に入る。14日に、当初の提示額を大幅に下回る年俸7億ウォン、出来高2億ウォンの1年契約を締結した[2]

2008年オフも日本球界への移籍を図ったが、斗山が移籍を認めなかったことで断念。

2011年オフ、2度目のFA権行使で再び日本球界への移籍を目指したが、どこからもオファーはなくまたも移籍に失敗。斗山と2012年からの3年契約を結び残留した。

2012年は足の故障もありシーズン後半は試合に出場せず、6年ぶりに出場試合数が100を下回った。

2013年は許敬民にポジションを奪われ、さらに出場機会が減少した。

2014年はプロ入り後初めて一軍出場がなく、同年オフに斗山から戦力外通告を受けた[3]

その後は現役続行を希望していたが、契約する球団はなく翌年1月に現役引退を表明した[4]

プレースタイル・人物

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センターまで125メートル、両翼まで100メートルと韓国で最大規模の蚕室野球場で場外ホームランを打った唯一の選手であり、プロ入り後しばらくは長打力を最大の武器にしていたが、2004年以降は相次ぐ故障もあってシーズン20本塁打を越えたことが無くなり、代わりに柔らかいバッティングができる中距離打者へと変貌を遂げた。

重さを感じさせる体格のため膝に故障を抱えており、守備に関しては守備範囲が狭く失策も多い。

応援歌はかつて姜永寿李明洙が使っていたものの流用である。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 OB
斗山
125 510 547 69 121 21 1 24 216 89 4 3 0 16 29 2 8 87 14 .265 .310 .473 .783
1999 114 455 399 62 128 25 3 22 225 84 2 1 1 4 41 1 10 53 9 .321 .394 .564 .958
2000 127 539 469 78 159 29 1 31 283 106 5 2 0 6 51 1 13 65 17 .339 .414 .603 1.017
2001 103 421 364 49 118 18 0 18 190 62 2 2 0 6 47 5 4 57 10 .324 .401 .522 .923
2002 120 487 415 63 132 21 0 26 231 79 1 1 0 7 52 2 13 61 8 .318 .405 .557 .961
2003 118 504 401 61 137 23 2 23 233 89 3 2 0 13 79 8 11 53 15 .342 .450 .581 1.031
2004 124 517 430 72 123 19 1 19 201 76 4 6 0 2 69 3 16 67 14 .286 .402 .467 .870
2005 94 338 268 51 81 13 1 10 126 50 1 2 0 1 57 9 12 38 10 .302 .444 .470 .914
2006 43 164 140 19 35 7 0 4 54 16 0 0 0 0 23 2 1 17 7 .250 .360 .386 .746
2007 119 481 382 68 123 24 0 19 204 78 11 2 0 2 83 11 14 55 10 .322 .457 .534 .991
2008 109 451 363 55 112 12 2 18 182 104 2 2 0 13 63 5 12 54 11 .309 .415 .501 .916
2009 105 426 354 63 125 28 0 19 210 86 3 1 0 3 61 10 8 55 17 .353 .455 .593 1.049
2010 110 470 387 60 114 22 0 20 196 67 0 1 1 5 67 4 10 45 15 .295 .407 .506 .914
2011 120 483 406 57 116 24 1 17 193 75 6 1 0 3 66 5 8 54 18 .286 .393 .475 .869
2012 66 245 223 18 65 5 0 2 76 27 3 1 0 4 16 0 2 24 7 .291 .339 .341 .680
2013 28 101 82 6 21 2 0 1 26 9 1 0 0 4 10 0 5 9 4 .256 .356 .317 .674
KBO:16年 1625 6592 5540 851 1710 293 12 273 2846 1097 48 27 2 89 814 68 147 794 186 .309 .405 .514 .919
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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背番号

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  • 18 (1998年 - 2014年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 鄭成勲と途中交代。

出典

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関連項目

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外部リンク

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